異世界離婚
「もう沢山よ!」
百舌子が怒りに任せてマグカップをテーブルにたたきつけると、キーンという耳障りな音が店中に響き渡った。
「ちょっと、みんなこっち見てるよ」
二人がいるカフェは近頃流行りの紅顔王時代復刻スタイルで、今時珍しい金属製のテーブルと椅子をわざわざ海外から取り寄せて使っている。天井からは赤、青、紫の巨大な守護鉄彩柱が何本も吊り下げられていて、その間を縫うように空中回遊型室内鑑賞用生物が巨大な蛇のようにゆっくりと巡回していた。
蟹江はこいつが大の苦手なので、先程からなるべく上を見ないようにしていた。
最近の流行ってよくわからないわ、わたしが歳をとったからかしら? 以前蟹江は彼氏にそう聞いてみたことがある。しかし彼氏は学生の頃から流行という物を分かった試しがないので、これは愚問だったなとすぐに蟹江は気づいた。
「もう沢山よ」
百舌子は本日4回目のもう沢山よを口にした。
「また
蟹江は慎重に言葉を選んだ。
「そんな生易しいものじゃないわ、もう終わりよ私たち」
「今度は何?」
「異世界の育成方針」
「またかぁ」
蟹江はグラスの底に残った季節の三種粘液ミックスドリンクをずずっと啜った。
「アイツ、私のやることにいちいちケチをつけるのよ。この間も『お前が送り込んチート転生者のせいで危うく国が亡びるところだった』なんて言ってきてさ。革命が起きるのは文明レベルが上がる前兆なのに」
「ふーん、そうなの?」
そう言われても蟹江は異世界を持っていないので分からなかった。異世界は薬剤師の安月給では到底手が届かない代物なのだ。
「それで私言い返したの。あなたの介入はぬるいのよ、あなたの送った転生者はスローライフしてばかりで何の役にも立ってないじゃない、って」
「そういうのが好きだもんね、猿彦くん」
「アイツの選んだスキルを聞いたらびっくりするわよ? 『菓子作り』、『動物調教』、『薬草知識』ふざけてるでしょ? 転生者一人送るのに一体幾らかかると思ってるのよ」
腐るほど金持ってるんだから別にいいじゃないかと蟹江は思ったが、火に油を注ぐだけなので黙っていることにした。
百舌子と猿彦は結婚して今年で20年になる熟年夫婦だ。子供に恵まれてなかった富裕層にはよくあることだが、10年前に購入した異世界をわが子のように溺愛している。
蟹江も一度だけダイブさせてもらったことがある。豊かでのどかな世界で、人々は幸せそうだった。ただ蟹江はそんなことよりダイブ用寄生生物の顔にへばりつく感触のほうが嫌いで二度と試す気にならなかった。
私は一生要らないわ、異世界。その晩蟹江は彼氏にそう宣言した。
「見てるだけで何が楽しいのかわからないよ。自分が転生できるならともかく」
「蟹江はもし転生できるならどんな世界に行きたい?」
彼氏は蟹江の飼い犬を撫でながら聞いた。
「あなたとならどこにでも」蟹江は彼氏の腕にもたれ掛かった。「私達のことを知ってる人が誰もいない世界で静かにのんびり暮らしたいわ」
「蟹江ちゃん、聞いてるの?」
百舌子の声で我に返る。「ごめん、なに?」
「離婚よ」
「本気?」
「もう決めたの」
「そっかぁ。二人とも大学時代からの友達だから、ずっと応援してたんだけどね。二人の間の問題だもんね」
蟹江はウェイターを呼び止めると、ミックスドリンクのおかわりを注文した。
「離婚したら異世界はどうするの?2つに分けられないでしょう?」
蟹江は気になっていたことを聞いた。
「もちろん私がもらうわよ」
百舌子は興奮気味に言った。
「良かった」
「え?」
「だって百舌子の生き甲斐でしょ」
「そうよ、あんな奴に渡すものですか」
百舌子はマグカップの中身を飲み干すと、深いため息をついた。
「私も蟹江ちゃんみたいに一生独身でいればよかったのかなあ」
蟹江はしばらく黙りこんだが、やがておもむろに口を開いた。
「実は、今度結婚するんだ」
「え?嘘!?蟹江ちゃん彼氏とかいたの?」
「ごめん、ずっと隠してたんだ。なんか恥ずかしくて」
蟹江はばつが悪そうに言った。
「おめでとう、今が幸せの絶頂期ね」
「そうなの」
蟹江は満面の笑みで答えた。
「今夜はお祝いにお菓子を焼くの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます