異世界発掘屋

「いってきます」

 まだ眠っている妻と息子を起こさないように、根津ねづは声には出さず喉の奥でだけそう言った。


 ピーク時には乗客がすし詰めになる大型公共輸送生物もこの時間は流石にガラガラで、窓から見える道路にも人影は疎らだった。時折、清掃員に誘導された汎食生物たちがやってきては、道路に落ちたゴミをせっせと食べている。


 この風景も見慣れたものだな。根津は思った。


 会社につくと、意外なことに向かいの席のりゅうはすでに仕事に取り掛かっていた。


「おはよう、俺より早いやつがいるとは思わなかったよ」

 根津が挨拶すると、劉は無精髭面をこちらに向け、「徹夜明けだよ」とだるそうに言った。

「そりゃまた。進捗はあったのか?」

「レベルCが一つとレベルD二つ、20時間もやってこれ」

「ご愁傷さま」

 根津は席に座ると、発掘用寄生生物を頭から被った。



 根津たちの職業は未知世界調査員、通称「異世界発掘屋マイナー」である。


 その存在が発見されて1世紀、異世界は娯楽として巨大産業に発展していた。富裕層たちはこぞって所有権を買い集め、育成し、互いに見せびらかした。庶民の間では旅行会社の主催する異世界観光ツアーが大人気だ。


 その巨大産業にとって必要不可欠なのが、新しい異世界を探し出して市場に流す根津ら発掘屋の存在である。

 誰も知らない世界を誰よりも早く見ることができる、そのロマンは夢見る若者を引き付けてやまず、30年以上も憧れの職業ランキングの上位に鎮座し続ける花形の仕事。しかしイメージと裏腹に、実態は過酷なものだった。


「そもそもビジネスとして成り立ってないんだよ」3年前に退職した猫目がよく憤っていた。「一日に異世界を1000個見つけても、900個にはそもそも生命すら存在しないだろ? 残り100個にしたって、文明世界と呼べるのは10個もないし、レベルB以上文明になると1つあれば御の字ときたもんだ!」

「昔はもっとマシだったんだがな」皆からキャプテンと呼ばれていた定年間際の社員が言った。「めぼしい異世界はもう掘り尽くされたのかもしれん」



「そういえば猫目って今どうしてんだ? お前仲良かっただろ?」根津は劉にきいた。

「え、知らないのか?」劉は目を丸くした。「テクノマインだよ」

「テクノマインってあの異世界発掘ベンチャーの? あそこで働いてるのか?」

「働いてるとかじゃねえよ、猫目が創業したんだよ」


 テクノマインは近頃業界を震撼させているユニコーン企業だ。

 これまで異世界発掘は根津のような発掘屋が候補となる異世界を見つけ、環境や文明に応じて人力でレベル付けをしていくのが普通だった。その作業を自動化することで原価を下げ、誰でも手が届くようにする、それがテクノマインの企業理念だ。

 最新の人工培養知能を使って寄生生物に知能を付与し、人のかわりに発掘からフィルタリング、文明レベル評価までさせようというのだ。



 その夜、根津は猫目の行きつけだという居酒屋にいた。週末ということもあり、店は大勢の会社員で賑わっている。


「まさか根津の方から誘ってくれるとはな」

 猫目はいかにもベンチャー企業の社長といったなりで、飾り気はないが清潔感のある服装によく手入れされた顎髭を蓄えていた。

「劉に連絡先聞いたんだ。こっちこそ今をときめくCEOがすんなり会ってくれるとは思わなかったよ」

「やめてくれよ、俺とお前の仲じゃないか」

 そんなに仲良くもなかったけどな、と根津は思った。


「社長業も楽じゃないよ。投資家からはまだリリースできないのかと毎日のように催促されるし、社員はすぐ辞めるし、最近なんか脅迫状まで来るんだ」

「脅迫状?」

「ああ、どうせ保守団体かなんかだろ。寄生生物に知能を与えることの危険性について便箋に何十枚もびっしり書きつけて送ってきやがる」

 猫目は腸酒をグイッ飲み干した。

「そんなことより根津はどうなんだ? まだ発掘屋やってんのか?」

「ああ、お前がいた頃よりも大分酷いよ。レベルA以上の異世界なんてめっきり見なくなってしまった」

「だからやり方が間違ってるんだよ!」

 猫目は思わず大声を出してしまい、慌てて周りを見回した。


「遣り甲斐搾取って奴さ。夢見る若者を安い賃金で長時間働かせて資産家共を肥えさせてる。クソみたいな業界だよ」

「分かるよ。俺だって最近は子供の顔すらろくに見れないんだ」

「なあ根津、うちの会社に来ないか?」と猫目は言った。「お前みたいな経験豊富な発掘屋は貴重なんだ。人工培養知能を改良するのにその経験が生きる」

「そうだな‥」

「おいおい、まさかまだ愛社精神とかあるのか? それとも発掘屋としての誇りか?」

「いや、そう言うのじゃないんだ」

 根津は空になったグラスを眺めた。



「すこし歩かないか」という猫目の提案で二人は一駅分歩くことにした。


「根津ぅ、考え直せよぉ」

 猫目はかなり酔っていた。

「どうせ発掘屋業界は俺が潰すんだぁら」


 根津は何も言わず、ただ無防備なこの酔っ払いの背中を黙って眺めていた。その手には良く研がれたナイフが握られている。


 子供の頃から発掘屋に憧れ、それだけを考えてきた。並行宇宙理論、進化生物学、文化人類学、寄生生物学など、発掘屋になるには多分野に渡る専門知識が必要になる。根津はそのために文字通り全てを捧げて来た、青春も趣味も家族との時間も。


 しかしその情熱もとうに消え失せていた。猫目に言ったことは嘘ではない。発掘屋の誇りなどという物は身体中ひっくり返して探してももうどこにも見つからなかった。


 実際、猫目の提案は魅力的だった。年収も今より高く、勤務体系も柔軟。ひょっとしたら今からでも失った人生をやり直せるかもしれない、と根津は思った。しかしその人生は自分の人生なのか、それとも根津恭輔という同姓同名の別人のものなのか。根津には分からなかった。


「発掘屋なんて仕事、なくなっちまった方がお前も劉も幸せなんだよぉ」猫目が半ば叫ぶように言った。



 家につくと、妻と息子はもう眠っていた。

 二人を起こさないよう静かに書斎の鍵を開け、中へ入る。

 デスクの上に散らばった書きかけの脅迫状をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り投げ、引き出しにナイフをそっと仕舞った。


「結局のところ」

 根津恭輔の頬に一筋の涙が滑り落ちた。

「どっちかが死ななきゃいけなかったんだ」

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