品を問う
「悪い人間じゃないんですよ、二人とも」
飲み会の席で言動の荒い友人を庇うような口ぶりだった。
言いたいことは分かるし誰のことを言っているかも見当はつくが、どうにも状況がよろしくない。夏の夜更け、それも廃病院の玄関前で聞くようなセリフではないなと、今更ながら自分達のいる状況の現実感のなさを噛み締めながら俺は俯いた。
「杖原と横部っていうんですけどね、今日来てるのは。若いんだけど腕が良くて、どんなド悪霊でもぶん殴って始末してくれるんですよ」
「ぶん、殴って」
「杖原が道具派なんですよ。横部が術派」
「道具派ってことはやっぱり、数珠とか、日本刀とか」
漫画で読んだことのある諸々を想像しつつ問えば、善川はあっさりと首を振った。
「杖原は金属バットが得物ですね。上手ですよ、殴るの。野球はできませんけど」
金属バットで異形をしばき回す姿を想像したがどうしても近い図柄が不良漫画の抗争シーンにしかならなかった。
善川は俺の顔を見て、不思議そうに付け加えた。
「だってねえ、数珠は散らかるし、日本刀は刃物ですから。危ないじゃないですか」
「じゃあ術式っていうのはこう、漫画とか映画のやつみたいに……光ったり、火が出たりとかそういう」
「術式で身体能力を強化して、ぶん殴ります」
どうあがいてもR指定がつく映画のシーンにしかならず、俺は黙りこんだ。
壊れて開け放たれたままの大玄関の前に、スーツ姿の二人と馬鹿面をさげた若者二人──俺と宮田のことだけども──を合わせて四人が突っ立っている。週末の飲み屋ならまだしも、心霊スポットの玄関口にそんな大人数がたむろしていること自体が異様ではあるのだ。俺たちのような馬鹿な大学生はともかく、スーツはないだろう。
そもそも廃病院の玄関前に突っ立っていてしっくりくる人間なんてものがいる方がおかしい。精々が解体業者ぐらいだろう。スーツを着ていたら尚更だ──ホラーどころか
遠くから破砕音や哄笑じみたものが聞こえてくる沈黙に耐えかねて、俺はよせばいいのに口を開いた。
「そういや……そういや服装とかどうなんですか。善川さんたちは、その、スーツじゃないですか」
「横部もスーツですよ。真っ白いやつにこう、中のシャツが……なんか地獄絵みたいな柄のシャツ着てましたね」
背中の獄卒が故郷の寺のやつによく似てたんで覚えてますと穏やかな口調で続けられて、俺はどう頑張っても最近読んだ非合法かつ闇社会な連中ばかりが出てくる賭博漫画を思い出して泣きたくなった。除霊という単語からどう連想しても白のスーツは出てこない。どのフィクションでもそうだろう。そういうことをする連中は、もっと黒かったり地味だったりすべきだろう。
「杖原は作業服でしたね、今日」
山下の呟きに俺は顔を上げる。まだ白スーツよりは作業服の方がマシだ、ジャンルとしては仕事着だ。現場で体を張る仕事ならば選択肢に入るのも当然だろう。
「中のシャツ、今日は何だったっけ。この間は半剥けの骸骨だったけど」
「今日も髑髏でしたよ、血みどろの。あんなもんどこで見つけてくるんだか」
髑髏柄と作業服。そういえば得物は金属バットだった。それではどうやっても不良高校の大規模抗争に参加している類の人間しか浮かばない。
これまで獲得した情報で構成される人間がどう頑張ってもチンピラにしかならない気がするが、それはどうしてなんだ──さすがに初対面の人間にそれを確認するのも恐ろしいので黙っていたが、どの道除霊がどうこう言っている時点でまっとうな職業ではないということを思い出して、俺は唇を強く噛んだ。
煙草に火を点けようとして取り出したパッケージの中は空だった。現実逃避の手段すらなくなってしまったことで、より絶望的な気分に拍車がかかる。
なんせ先程から廃墟のあちこちからこの世のものとは思えない悲鳴や破壊音に高笑いが聞こえてくるのだ。少し前、正気に返った宮田が煙草を咥えた途端に玄関からは大量の千切れた手足を花束のように抱きかかえながらひどく顔色の悪い看護師が走り出てきた。火を点けたばかりの煙草を吸えもせずに宮田はしゃがみ込んで唸り始め、そのまま頭を抱えている。
これが二人の人間──しかも話からすれば、東と西の建物に一人ずつという割り当て方をされている──による惨状なのだから、何というべきかが分からない。 よしんば善川の言う通りに悪い人ではなかったとしても、酷い人であることは否定できないのではないだろうか。
「除霊ってその──こんなんなんですか」
「こんなんっていうのは?」
「今の状況っていうか、その、大騒ぎじゃないですか。出入りみたいだ」
「出入り」
この間大学の授業で鑑賞させられた任侠映画の一場面を思い出して言った言葉に、善川はぱちぱちと数度目を瞬いてから声を上げて笑い出した。
「出入り、成程そうだ、これだけ賑やかなのはそうですね。実際若いのが暴れてるんだからその通りだ」
「儀式とかじゃないんですか。こういう除霊って」
「儀式もありますよ」
突然に発された低い声に驚いたが、すぐに声の主が山下だと気づいた。山下は時折手元のタブレットの画面に指を走らせながら、こちらに視線を向けもせずに続けた。
「誤解されそうですけどね、一応……あなた方が知っているような、文化的なやりようもあります。読経や念仏あたりならお分かりでしょうが、普通はあれで事足りるんです」
「事足りないやつはね、やっぱりね、
善川が続けた言葉を聞いて、山下の眉間に皺が寄る。善川はそれを面白そうに眺めて微かに笑った。
「言って分かんなかった上に人様に迷惑をかけたら、そりゃあぶたれるに決まってるじゃないですか」
だからああですとバスガイドのように差し上げられた指の先を見れば、東病棟二階の窓に逆さになった人間の顔らしきものが押し付けられている。恐らく苦悶の表情を浮かべているだろうそれから俺は視線を逸らした。
「
その情報は調べたときにも見た記憶があった。ただ巷に流れる噂では、その儀式の最中に神主の幣が燃え上がっただの頼まれた坊主が帰り道に事故っただのといったものばかりだったので、結果としては心霊スポットとしての名声をより強固なものにするだけの効果しかなかったのだろう。
「……土地が悪いとか、聞いたんすけど」
地面に座り込んだままの宮田が絞り出すような声で呟き、山下と善川が驚いたように揃って目を瞠った。
「うん、それもありますけどね。君地元の人ですか?」
宮田が黙って頷く。善川は納得したようにため息をついて続けた。
「土地の良い悪いもね、細かく説明するとキリがないんで雑に言いますけどね。ここは吹き溜まり易いっていうのは確かですよ。そんなところに病院なんていう人が死んだり生きたりするものを建てるから──」
がらがらと凄まじい音を立てて玄関から車椅子だけが走り出ていった。重なるように遠くから微かな高笑いが聞こえてきて、宮田は顔を伏せて小さく丸まった。
「今のは」
「車椅子でしたね。意外と速いんですよね、車輪だから」
微妙に芯を外した答えを爽やかに言いながら、善川は俺に視線を向けた。
「あいつらの仕事としては、掃除が担当なので。とりあえずここから
順調に済めば早く帰れますしねと向けられた笑みには邪気も悪意も見当たらず、俺はどうにか返事を絞り出そうと渇いた喉に力を込めた。
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