訳を聞く

 この廃病院が心霊スポットになった経緯はよく分かっていない。

 医療ミスによる患者の死亡。職員の不祥事が相次いで将来に行き詰まった。医師が個人的な問題により心身を病んで自殺した──大まかにはこの三種類だが、細かなバリエーション違いまで含めれば枚挙にいとまがないほどだろう。原因についての噂自体はありふれている。どれが原因だったにしても、経営が悪化して廃業したということは変わりなく、施設の後始末がされなかったことにより廃墟と化したという結果だけは共通しているのだ。

 出る幽霊や語られる怪談の種類も豊富だ。

 医療ミスで死亡した患者が出るとか、それを気に病んで自殺した医者が手術のやり直しをしようと迷い込んできた人間を攫ってはかっ捌くとか、幽霊に祟られて死んだ患者が離れられずにそこに遺って連れ帰ってくれと泣き叫ぶ──こんな調子で多数の怪談がまとわりついている。噂だけが野放図に広まり、まともな人間が寄り付かなくなり、またろくでもない連中が集まっては馬鹿なこと事件や事故を起こしたりという悪循環が続く。

 そうした年月の積み重ねを経て、結果として地元どころか心霊マニアの間でも知られる心霊スポットとなったのだ。


 だから俺たち心霊スポットに肝試しに来たんですだって暇だったからと恥も外聞もなく宮田と共に訴えれば、男はどういうわけか愉快そうな笑い声を数度上げた。


「肝試し。いいですねえ古典的で伝統的じゃないですか」


 事故とかには気をつけた方がいいですよと呑気な忠告を添えてから、男は続けた。


「とりあえずね、僕らは怪しいものじゃないです。僕は善川よしかわといいます。善哉の善に川端康成の川です」


 こっちは山下ですという無難かつにこやかな紹介に、タブレットを抱えた大男は黙って頭を下げた。

 相手方に名乗らせた以上はこちらも名乗るべきだろうかと口を開こうとした途端、善川がひらひらと手を振った。


「名乗んなくてもいいですよ。嫌でしょう、こんな胡散臭いやつらに名前名乗るの。僕らも名刺まで出す気はないですし」


 善川の言葉に素直に頷くのも角が立ちそうな気がして、俺は何とか別の話題を振ろうと試みたが、予想外の状況に頭は少しも回ってくれなかった。


「あの……善川さん、たちは何してんすか、こんなとこで」


 吸い損ねて握りつぶした煙草のパッケージを離さないまま、恐る恐ると言った様子で宮田が問いを口にした。

 善川は教師のように一度頷いて、


「僕らはですね、大掃除と……何だろうな、運動会です。要は」


 大掃除に運動会という聞き慣れた単語が突然に出てきたので俺と宮田はすっかり混乱してしまった。

 大男──山下がこちらを一瞥してから善川の方を見て、呆れたような調子で言った。


「もう少し言い様があるでしょう。分かりませんよそれだと、説明としては零点です」

「だっていい大人が面子を賭けて除霊競争ですよ。馬鹿らしくて大笑いじゃないですか、そんなの」


 信じられますか君たちという男の言葉に俺と宮田は顔を見合わせる。何を言っているのかが相変わらず分からない。とりあえず耳に入った言葉から覚えがあるものを阿呆のように聞き返した。


「除霊、するんですか」

「します。頼まれたので」

「頼まれるんですか」

「除霊屋なので。全日本除霊師協会っていうのがあってですね、そこに所属してるんですよ僕ら」


 分からないことを問うた結果、聞いたことのない職業と団体らしきものが出てきて、俺は言葉に詰まる。そんな八百屋や服屋の系列のように名付けられたところで実在を疑わざるを得ない。

 けれども今、俺の目の前には夜の心霊スポットにスーツ姿で来た上に幽霊らしきものの生首を踏みつけ蹴り飛ばしてから友好的に自己紹介を始めるような人間が存在している──しかも二人も──のだから、何が疑わしいのかというのもあやふやに感じる。そういえばさっき名刺がどうとか言っていたことを思い出してしまって、そういうところは普通の社会人と同じなのだなと思った途端に妙な不安感に襲われた。

 ともすれば遠くなりかける気を辛うじて繋ぎとめている俺の内心など知るわけもなく、善川は言葉を続けた。


「実害がそこそこ出てるそうですからね、ここ。管理者としても頭が痛いんでしょう……大丈夫ですか?」


 どこからお疑いですかと馬鹿に丁寧な口ぶりで問われて、真剣に考えようとした。だがそもそも頭から全部分からないことに気づいて、俺はとりあえず首を振った。


「全部分からないですけど……俺そういうのっぽいやつ、心霊番組とか漫画とか、映画とかでしか見たことないんですけどそれでいいんですか」

「いいですよ。そういうやつです」

「除霊もですか」

「そうです。霊とか怪異とか……こわいものをこう、除きます」


 明るく答える善川の横で山下が一瞬こちらに睨むような目を向けた気がしたが、暗さのせいで見間違えたのだと思うことにした。宮田は既に穴のような目で宙を見つめるばかりで、煙草を吸おうとする気配すらない。


「そういうこと、結構需要があるんですよ。だから僕らみたいなの、ちゃんと会社としてやってるわけです」

「除霊屋って名前で……?」

「さすがにそのままだと胡散臭いのが過ぎるので、もうちょっと普通の社名ですよ」


 短い笑い声を挟んで善川が続けた。


「そもそもここ、そういう漫画みたいな心霊スポットでしょう。結構な評判の。近所の方から苦情とかね、あるんですよ。馬鹿が夜来て騒いでうるさいとか、カスが真昼間にわざわざ遠くから来て首括るとか」


 ご近所からすればたまったもんじゃないですからねという言葉に、夜に来た馬鹿である俺はいたたまれなくなって目を逸らした。


「そんで除霊をね、頼まれたんですけど。仕事ついでにこっちの行事も済ませようって魂胆でした。仕事する分には文句もないでしょうから」

「行事っていうのは、その、運動会は、何のために……?」

「ガス抜きですねえ、端的に言えば──除霊にも派閥みたいのがあるんですよ。やり方の」


 剣道の流派見たいなもんですかねえと間延びした口調で言って、善川は少しだけ間を開けてから続けた。


「結果というかやることはね、同じなんですけど。こだわりとか美学みたいな話です。霊や怪異を除くのに術式なんぞに頼るのは軟弱だとか、道具をぶん回すのはやり合う相手への敬意に欠けるとか……そういうのでちくちくばきばきやり合ってるんでね、馬鹿らしくって」


 明らかに山下が非難がましい目を善川に向けてから、どうしてか俺たちの方を見て、ばつが悪そうに目を伏せた。


「で、やるんですよ年一で。どっちが今年成果を出せるかみたいな、各派閥から代表者出してもらって、どっちがたくさん除霊できたでしょう大会みたいなのを」


 今回の会場はここにしたんですよと呑気な口調で言って、善川は俺に笑顔を向けた。


「西館と東館に別れて、どっちが先に済ませて戻れるかっていう単純な勝負ですよ。僕と山下さんはね、審判とか監視員なんですけどね……一般人君たちが紛れちゃったんで、ちょっと困ってるってところです。巻き込むのね、よくないんで。危ないかもしれないし」

「そういうことなら帰りますよ俺たち。お邪魔なら──」

「邪魔ですけどね、今更手遅れっていうか。この状況で途中退場してもらう方がね、面倒なんですよ」


 一応結界張ってるんで出入りされると困るなあとやんわりと言われて、どうやらその運動会が終わらない限りは俺も宮田も帰れないのだなということを悟った。


「今回の二人はね、腕はいいんで。すぐ帰れると思いますよお」


 それまで我慢してくださいと善川が頭を下げる。つられて俺も一礼すれば、嬉しいことに山下も軽く礼を返してくれた。


 背後で砂袋が地べたに叩きつけられたような音がした。

 振り返った先、西館近くの地面にぼろくずのようになった白衣の人間がうつぶせに落下したきりぴくりとも動かずにいる。


「山下さん」

「滅多打ちですね。杖原さんでしょう」


 行儀が悪いですねという山下の言葉と共に白衣の人間は溶け崩れるように消えて、とうとう宮田が棒のように真後ろにぶっ倒れた。

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