第03話 チュートリアルの丘
この場所はチュートリアルの丘と呼ばれていた場所で、本格的に冒険の始まる場所である。記念すべき場所ではあるのだが、難易度設定が非常に高く、数回ここで足止めをくらった記憶がある。鮮明な記憶として焼き付けられた、忘れようにも記憶から消せない場所。その再現度は異常なレベルにある。
私のゲームにおける使用キャラは、目の前に現れた女魔術師のエミリアだった。
実物は私の記憶にあるより華やかで、魅せることに長けた妖艶な姿は、服を着ていてもなおスタイルの良さを隠しきれない。
エミリアを使うプレーヤーの性別は、驚くことに8割までが男性だった。
確かにいい女だ。
何となく気まずいがエミリアは私のことなど気にせず、恋人のように体を寄せてきた。そして私を下から見上げ、ふっくらとした唇を近づけてくる。
ど、どうする……キスするのか? この私が。
期待するようにエミリアは目を瞑り待ち受けていていた。吐息と香水の香りが私の鼻孔をくすぐる。
理性が持ちそうにない。
やるしかない!
煩悩に流され覚悟を決めた時、いきなり肩を叩かれる。
「ぐぁ!」
現実に引き戻された。
「お二人さん、いいムードのところ悪いが俺の話を聞いてくれないか」
「ちっ! いいところだったのに何よ」
エミリアがすねた表情をして私に身体を預ける。もうヤバい状態であるが、問題はそこじゃない。目の前にいるのは戦士のグレイだった。
ということは私は勇者枠か。
あとは、ここにヒーラーのキャシーがいればパーティーメンバーは揃うことになる。
そんな考え事をしていると誰かが背後から駆けてくる。
「お待たせしました」
修道服を纏ったキャシーである。
これで私が勇者であることは確定した。そういえば名前は何だ。
私はステータスを確認する。
ハワードとなっていた。私は名前も決めずにデフォルトのままにしたようだ。
変更するにはすでに手遅れだ。
「おい、ハワード顔色が悪いぞ、いったいどうした?」
「いや何でもない」
「そうか、実は俺たちにとって重要な話を小耳に挟んでしまってな」
「私たちに関係ある話なの? ねえ、グレイ早く言いなさいよ」
「エミリアはせっかちだな」
グレイの話はクエストの始点になり、チュートリアルクエストが開始される。確か記憶ではこの後で初期スキルが解放されたはずだ。
「ハワード! パーティーから追放したアベルのことだ。やつが俺達に復讐しようとしているらしい」
「はぁ? 最弱のアベルが復讐。返り討ちにすれば片が付くじゃない」
「そうですね。私もエミリアに賛成です」
「俺もエミリアの意見に賛成だ。リーダーのハワードはどう考える?」
思いだしたぞ、このクエスト。
アベルが復讐のために村に来て、俺達を順番に殺めていく流れだ。NPC(ノンプレイヤーキャラクター)枠はすべて死ぬ。
そして厄介なのはアベルが覚醒していることだ。
たしか、普通に挑めば勝てない難易度だった。
このゲームはステータスよりも武器の質が強さに直結していて、戦闘体験に主眼を置いたゲームデザインになっていた。武器収集と特別な能力を武器等に付加する事が攻略の鍵となる。私の使ったエミリアでは武器が出なければ詰んでいた。
私は腰に吊るした武器を見て絶望する。このゴミ装備では無理。
どうするか考えても何も思いつかなかった。
思い悩んでいても時間の無駄だ。
「そうだな、雑魚のアベルなど逆に討ち取ってやる!」
こんな感じでいいか。仲間たちは嬉しそうに酒場のほうに戻っていく。先行きが見通せず立ちすくんでしまう。私は気持ちを整理することにした。
どう考えようと、この状況は最悪だ。
アベルを打ち破らなければ脳筋勇者に待ち受ける運命は……。
ざまぁされ、もう遅い側だ!
ゲームのように復活できる保証はどこにもないのだ。
なんとしてでもアベルを倒さなくてはならない。奴を止めないとパーティーメンバーだけでなく私も死ぬことになる。
一連の会話でクエストは受注したことになり、この戦いはソロ攻略が条件のため仲間達の協力は得られない。
試しに誘ってみたが、一人でも勝てると言って誰も取りあわなかった。
パーティーメンバーから過去の経緯を確認して、アベルの事を要約すると。
アベルを我々が追放したあと、幼馴染のイリヤが現れてアベルのパーティー復帰を懇願する。撤回を求めるイリヤを追い払ったことが引き金となり、村に帰る途中でイリヤはゴブリンに襲撃され死んでしまう。運が悪かっただけで我々が直接手を下したわけではない。だが、アベルの狂気を誘い恨まれることになる。
今のアベルはもう既に狂っていて、ゲームのファーストシーズンでは最初の魔王に改造されてラスボスになっていたと記憶する。
残された時間が問題だ。ざまぁされるまで! あと何日なんだ?
この設定、クエストはひどすぎる。
視線を感じたので見回すと、淫魔が木陰からのぞき込んでいた。
なんなんだ奴は!
心のどこかに注意を促す声が聞こえたが無視してしまう。淫魔と武器を集めることに注意が行ってしまっていたのだ。
攻略の課題として思いだせたこと。それは世界観として多少行き過ぎた正当防衛であっても許される。それはいい。だが、残念なことに仲間はNPC枠になり戦闘に参戦することはない。
要するに一人でアベルに打ち勝つしかないのだ。
私は村を出て草原に向かうことにした。村はずれから草原に向かうと人通りが少なくなり、一見のどかな草地と木立の生える草原が広がっている。ちょうど正午を過ぎたころで少し腹が減ってきた。
おっと、景色など見ている暇はない。性能の良い武器を得るためにはモンスターを倒さなくてはならないのだ。
武器とエンチャントオーブと呼ばれる素材が最重要なドロップ品になる。
あとは必要なもの以外捨てることにした。
MMORPG、大規模多人数同時参加型と言いながら戦闘スタイルや攻撃の考え方はハックアンドスラッシュと呼ばれる戦闘に特化したゲームに近い。プレーヤーのステータス変化、武器性能、スキルで戦闘力や防御力が変わる。
序盤ではステータスとスキルは望めないので、必然的に武器性能に依存してしまう。チュートリアルでアベルを倒すには運任せの武器収集は避けられない。
草原は広々としていて心地よい風が吹き抜ける。私にとってそんな事はどうでもよかった。
ただ敵を倒して武器を得るだけだ。
ここに生息するモンスターはグレイハウンドと呼ばれる犬と弱めの狼レッサーウルフで、私にとっては適正レベルの敵だ。
私は襲ってこないグレイハウンドをリンクしないように引き狩りを始める。一度に多くの敵と対峙すると対処できなくなるからだ。切りつけてはヘイトをもらったか確認して、群れからある程度離れて犬を殺す作戦をとる。
犬なのに狼なみの体力と攻撃力で慎重に戦うしかない。
一撃では死なないことに冷や汗を流しながら、なぜこんなに一撃が弱いのか考えている。答えは出そうにないが。
斬り合っていて、剣先がどうにか急所に入り犬は死に絶える。
慌ててドロップを確認に行くと運よくブロードソードと呼ばれる長めの剣が手に入った。
攻撃方法は通常攻撃と呼ばれる武器を使った攻撃法、そして初期キャラが持つ基礎スキルと基本魔法だけだ。
魔法は発動が遅く初手でしか使えない。敵がすばやく二発目に詰め寄られて詠唱妨害される。
スキルは発動は早いがインターバルが長い。
今の私の攻撃方法は魔法で削り、通常攻撃の合間で初期スキルを入れ、最後にスキルで止めを刺す作戦だ。
ここで問題になるのが知力の低さだった。
魔力切れすると通常攻撃で戦うしかないからだ。魔力総量は知力に依存するため、知力の低い私に不利に働くのだ。
私はとにかくモンスターを狩りまくった。魔力が切れると村に戻って食事とドロップ品を売り払う。その金で防具やポーションなどを揃えていく。エンチャントオーブはまともな物がなく、武器はオーブを装着できるスロットのない物がほとんどで使い捨てにしている。
武器の強化は基本性能の高いものほど強化率が高い、そして極まれに魔法が付加された武器が存在する。武器としての強さは基本性能が高く、付加魔法の数と種類で決まると言っていい。
さらに極悪なのはエンチャントオーブの存在である。武器にはオーブスロット呼ばれる穴があり、穴の数だけオーブを装着できる。すなわち、オーブスロットが多く、エンチャントオーブの質と種類が重要なのだ。
残念なことに一週間近く狩りをしているが、ブロードソードで2スロット、付加魔法は無し、オーブは凍結一個が成果だった。
魔法の使用頻度が減ったことしかメリットはない。
がむしゃらに戦っていると運命の日が訪れてしまう。
狩りに明け暮れたものの成果はこれといってなかった。夕闇が迫り心細さが増したこともあり、諦め気分で村に戻っていた。
村の入口に淫魔のような怪しげな人影がある。肩を震わせながら何かを大声でしゃべる男。
夕闇に紛れるようにアベルが待っていたのだ。
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