第47話 確認

 目が覚めたのは早朝で、まだスフィーリアは僕にしがみついて眠っていた。

 この感じも、半年もあれば少しは慣れるものらしい。慣れるどころか、スフィーリアに抱きつかれていないと眠れないとさえ思う。

 昨日は夕方に寝たから、結構な時間を眠り続けたことになるかな。疲れ切っていたはずだけど、今はすっきりしている。喉は乾いたかな。


「……可愛い寝顔」


 近すぎるスフィーリアの寝顔が可愛くてしょうがない。

 そっと頭を撫でて、さらさらの髪の感触を確かめる。柔らかくて、艶やかで、気持ちいい。

 しばらく撫でていたら、スフィーリアがはっと目を覚ます。


「アヤメ! 起きたの!?」

「え? あ、うん。おはよう。起きたよ」

「そう……良かったぁ……」


 へにゃりと安心した顔。


「え? 普通に寝て起きただけじゃないの?」

「……アヤメ、昨日は一日中起きなかったから」

「……え? 一日中?」


 一日中寝ていた? ってことは、僕、昨日の夕方から寝ていたのではなくて、一昨日の夕方から寝ていたのか?

 じゃあ……もしかして、三十時間とか四十時間くらい寝てたの?


「ごめんね、アヤメ。そんな疲れ切るまで無理をさせて……」

「いや、平気だよ……。肉体労働を続けたわけじゃなく、絵を描いていただけなんだし」

「そう……。アヤメって、本当にバカ。頑張りすぎ」

「そりゃまぁ、スフィーリアのためだからね」

「……うん。ありがとう」


 ぎゅぅー、と強めに抱きしめてくる。僕も、応えるようにスフィーリアを目一杯抱きしめた。


「あー……もうずっとこのままでいたいかも……」

「それもいいね……。ずっと、このまま……」


 どれくらいそうしていただろうか。

 スフィーリアが、ふっと力を抜く。


「でも、今日が勝負の日。今日は、リーキスたちが来るから」

「ああ……そうだった」

「この前みたいに、礼拝堂を壊させない」

「……うん」


 今回、スフィーリアは礼拝堂に防御魔法をかけている。そう簡単に焼かれる心配はない。また、予定では見張りも立てているはず。まだ特に知らせがないということは、奇襲はされていないはずだ。


「……起きようか。そんで、相手を待とう」

「うん」


 服を着替え、軽く身だしなみを整えてから、礼拝堂に赴く。

 地平線の彼方が少し白んでいる程度の時間帯、特に変わりなく礼拝堂はそこにあった。

 もう季節は秋を迎えようとしていて、早朝の空気は肌寒い。そんな中で、キーファが入り口付近に立っていた。


「おや、寝坊助さんもようやく目を覚ましたようですね。おはようございます」


 気さくな挨拶。壁画制作で随分と無理をさせてしまったから、元気そうで何よりだ。


「おはよう、キーファ。見張り、ありがとう」

「いえいえ。あたしとしても、もう一度壊されたらたまったものではないので」

「……もう二度と、壊させるわけにはいかないな」


 ただ、前回同様、相も変わらず礼拝堂には余所の神様も大集合している。

 リーキスが問答無用で破壊してくる口実にはなる。


「油断せずに待ちましょう。どこからやってくるかもわかりませんし」

「だね」


 夜が明けていく。地平線の彼方から日が昇る様も、見慣れたものになってきた。

 ビル群などがないので、夜明けはとても綺麗だ。

 夜明けから三十分程すると、ティアとミィナが、食事を持ってきてくれる。

 そういえばお腹も空いていたし、喉も乾いていた。

 焦りすぎないようにと注意されつつ、食事をする。


 そして、またしばらく待って。

 体感では午前八時過ぎに、二頭のドラゴンが飛んできた。

 そのうちの一頭には、リーキスとトビー。

 そして、もう一方には、銀髪に、煌びやかな甲冑を着た美女が乗っていた。年齢は二十歳前後だろうか。きりっとした精悍な顔立ちに、百八十センチ近い高身長。


「ルリエ・シンフィート。戦の女神、ウォーラに仕える聖女です」


 スフィーリアが教えてくれた。なるほど、あれが三聖女の最後の一人か。


「お久しぶりです。ルリエ様」


 スフィーリアが恭しく頭を下げると、ルリエも慇懃に礼。


「お久しぶりです。スフィーリア様。お変わりなく……ということもありませんね。王都にいた頃より、随分と顔色が良いようです」

「そう見えますか?」

「ええ。そう見えます」


 リーキスと違い、ルリエは話のわかる人に感じられる。微笑みにも品がある。

 それに……どうやら、実力的にはルリエが一番強いらしい。あのリーキスとトビーも大人しくしている。


「スフィーリア様の疑いは、聖槍を破壊したこと、となっています。身の潔白を証明するため、スフィーリア様は、本日までに、この地に教会を整備し、信者五千人と、寄付金二億リルカを集める試練を課されています。

 その達成具合は、いかがでしょうか?」


 厳かな声。敵対的ではないが、友好的とも言い難い。

 その問いに、スフィーリアは首を横に振った。

 結局、この半年はずっと壁画に携わるばかりで、信者も寄付金も考えていなかった。町の皆と交流する中で、ルキアルト教の布教などバカバカしくてやめたのだ。


「残念ながら、達成できたのは教会施設の整備だけですね。信者も寄付金も全然です」


 スフィーリアの答えに、ルリエはふっと口を緩める。


「そうですか。残念です。となると、スフィーリア様は聖女の地位を剥奪され、王都にある資産は没収、王都からも永久追放となります」

「はい。わかりました」

「……嬉しそうですね」

「いえいえ。そんなことは、ね」

「……ともあれ、達成できなかったというのであれば、これで話は終わりですね。……ん?」


 ルリエが気づいた通り、中心街の方から何者かが飛んできているのが見えた。あの光に包まれている感じ……エルフのユトピスかな。

 その光は、僕たちの近くで着陸。ユトピスと、一緒にいたドワーフのギージャが、こちらに駆けてくる。


「おぅい! お届けもんだぜ!」

「お届け物……?」


 ルリエがスフィーリアを見る。スフィーリアも首を傾げた。僕もなんのことかわからない。

 ギージャは、スフィーリアに紙の束を渡す。

 そこには……町の人の名前が、びっしりと書き連ねてあった。


「え? これは……?」

「スフィーリアのいる、この教会への入信希望者のリストだ。五千人分、名前があるぞ」

「……え? 五千人分? 本当ですか?」

「何度も確認したから、数え間違いはないと思うぞ」

「あ、でも……わたし、こんなお願いは……」

「まぁ、そっちのお嬢ちゃんからのお願いだからな。こっそり呼びかけてみてくれってよ」


 ギージャの視線の先には、そっぽ向いているキーファ。


「キーファ……。あなた、どうして……?」

「別に試練の達成とかどうでもいいです。でも、スフィーリア様に、たった五千人の信者も集められないと思われるのはしゃくでしたので」

「そう……ですか……」


 スフィーリアが惚けている。その顔を見て、キーファがしたり顔。


「ま、五千人の信者を集めるくらい、できて当然です。あたしは何も驚きません。あ、ギージャさん、信者集めのお手伝い、ありがとうございました。これで、ダークエルフを差別的な目で見てきたこと、チャラにして差し上げますよ」

「へいへい。小賢しい小娘だ」


 ギージャが肩をすくめて一歩下がる。

 次に、ユトピスも一枚の紙をスフィーリアに渡す。


「二億リルカの小切手だ」

「……はい?」


 小切手という概念があるのか、という驚きはさておき。

 そんな巨額の金、どこから……?


「商人ギルドの長、ドバンゴからの寄付金だ。……ただし、受け取るのであれば、商談がしたい、とのことがな。聖女様特性の絵の具や避妊具に興味があるらしい」

「……そう、ですか」


 スフィーリアはそれを受け取るか迷う。


「スフィーリア様。受け取ってください」

「お願いします!」


 ティアとミィナがそんなことを言うので、スフィーリアは不思議そうに二人を見る。


「商人ギルドの長、獣人なんです」

「色々な獣人に取材をするときに知り合いまして」

「スフィーリア様に寄付しておけば、絶対いいことがあるってお伝えしました」

「スフィーリア様はとてもすごい人なので、絶対損はないって」

「わたしたち、スフィーリア様が罪人扱いされるのは嫌です」

「スフィーリア様が罪人なわけないです」

「スフィーリア様からすると大した意味もないことかもしれませんけど」

「この試練は、ちゃんと達成してください」


 二人の言葉に、スフィーリアがふぅと溜息。


「……わかりました。これは、受け取っておきましょう。ユトピスさん、わざわざご足労いただきありがとうございました」

「我はそれを届けただけだ。礼を言われることではない」


 ユトピスが下がる。

 そして、スフィーリアは再びルリエと対峙。


「なんか、達成できちゃったみたいです。期限、間に合ってます?」

「……私は商人ではないから、今日までというのが、今日いっぱいなのか、前日までになのかはどうでもいい。達成できたということにしておこう」

「そうですか。じゃあ、条件は達成です」

「まだ、教会施設を見せてもらってませんが?」

「あ、そうでした。礼拝堂をご覧くださいませ」

「……教会施設の整備。とってつけた嫌がらせのように、立派な壁画も必要だという条件ですが、どうですか?」

「すごいのができましたよ。皆のおかげで」


 スフィーリアが三人を案内する。僕と他の三人も後を追った。

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