第34話 吐露

「相変わらず、アヤメ様は禁欲的な人ですね。わたしが良いと申し上げておりますのに、どうして触れようともしてこないのでしょう?」


 並んで湯船に浸かりながら、スフィーリアが呆れる。

 なお、僕は必死にスフィーリアから視線を逸らし、スフィーリアの裸体から意識を外している。


「……ぼ、僕の国では、女子の体に無闇に触れてはいけないという考えがあってだね」

「もちろん、無闇に触るのは良くないと思います。でも、同意を得た上で触れるのもダメなんですか? アヤメ様の国……ニホンでは、性的な交わりに忌避感でもあるんです?」

「そういうわけでは……ないよ。僕が慣れてないだけ……」

「子作り以外でセックスしてはいけない……などとは言わないわけですね?」

「い、言わないよ……。そんな禁欲的な国じゃない……」

「では、男女の触れ合いに慣れていただくため、積極的になっても問題はないわけですね?」


 スフィーリアが体を寄せて、僕の肩に頭を乗せてくる。スフィーリアの濡れた髪が僕の肌に張り付いた。女性の髪に触れること事態に不慣れなのに、濡れて艶を増した髪が触れるのはさらに緊張してしまう。


「これくらいはいいですよね?」

「い、いいと思います」


 良くないけど! こう言うしかない!


「今夜は一緒のベッドで寝ましょう」

「ええ!? そ、それは……」

「添い寝をするだけです。もちろん、アヤメ様がその気になってしまったら、わたしが責任を取ります」

「いや……でも……」

「アヤメ様。わたしだって、ただの人間です」

「……うん」

「人並みに性欲もあります」

「……うん」

「好いた相手と交わりたいという気持ちはありますし、自らを慰めることだってあります」

「……うん」


 話を聞いているだけで、下半身が緊張してしまう。


「そして、人並みに……寂しいと思う気持ちも、誰かに支えてもらいたいという気持ちもあります」


 その一言で、ふっと緊張が緩む。


「……そっか」

「半年前、一人でこの町に放り出されて、一から全てを始めるのは心細いという気持ちがありました。まぁなんとかなるでしょ、という前向きな姿勢ではいましたけれど、やっぱり、心から平気だったわけではありません」

「……そうだよね」

「一人で活動し始めて、三ヶ月程してからキーファに出会い、一人きりという寂しさはなくなりました。でも、代わりに別の辛さもありました。

 年上のわたしがしっかりしなきゃいけない、不安に思っている姿を見せてはいけない、キーファを支えないといけない……。

 キーファの前では平気な顔をしていますけど、本当は強がっているだけです。わたしは、心の底から強い人間ではありません」

「……スフィーリアもまだ十六だもんね。当然だよ」


 当然のはずなのだけれど、僕はそれを忘れていたと思う。

 スフィーリアはとても強い人で、誰の支えがなくとも、一人で突き進んでいけると思いこんでいた。

 十六年。たとえ世界が違っていたとしても、その短期間で、成熟しきった強靱な精神を育めるわけもないのに。


「アヤメ様を勝手に呼び出してしまったこと、申し訳なく思っています。でも、こうして当たり前のように側にいてくださって、わたしは救われています。アヤメ様の温かな眼差しに見つめられると、心を緩ませても大丈夫だと思えて、ほっと一息吐けるのです。アヤメ様の隣は、心底心地良いですよ」

「……僕は、大したことをした覚えはないけどな。ただ絵を描いているだけで」

「そうですね。アヤメ様は、ただ絵を描いているだけ。それはつまり、わたしに多大な期待を押しつけないということでもあります。わたしに立派な聖女であれとも、手にした力で人々を救えとも、自分よりも他人のことを考えろとも、言いません」

「……まぁ、その辺は、そうだね。僕はスフィーリアの立場をよく理解していないし、聖女はこうじゃないといけないという偏見もない」

「わたしをわたしとして見てくださるアヤメ様のこと、好きです」

「……そっか。大したことはしていなくても、僕は、スフィーリアの求める存在にはなれているのかな」

「ええ。そうです。そして、アヤメ様は聡明でもあり、才能があり、努力家でもあり、夢中になれるものがあり、心優しい魅力的な人。お話するのも楽しいです。武力がなくとも、格別に逞しい肉体を誇っていなくても、共にあることがわたしにとって大きな支えです。

 余計に気を張らずに付き合える、友人であり、仲間であり、恋しい人。

 わたしは、あなたが好きです」


 共に過ごした時間は短い。でも、付き合いの長さは重要ではないのだろう。

 直感的に、感覚的に、相手を好きになることだって、何もおかしなことではないはず。


「……スフィーリアの気持ち、すごく嬉しい」

「……ベッドに行きますか?」

「そ、それはちょっと待って。僕は……その……恋愛には疎い方で」

「でしょうね」

「いきなり体の関係を……というより、精神的な結びつきを大事にしたい気持ちもあって」

「純真の女神様がお好きなのでしたっけ」

「ん……まぁ、うん。その……大事にしたい相手には、ただ欲望をぶつけるような真似はしたくなくて。だから……」

「まだセックスはしない、ということですか?」

「……それがいいかな」

「では、わたしと恋仲になることは、了承していただけるのでしょうか?」

「それは、うん……。僕も、スフィーリアのこと、好きだから」


 スフィーリアが僕に寄りかかるのをやめ、さらに僕の頬を両手で掴む。

 くいっと、導かれるままに首を振ると、桜のような笑みを見せるスフィーリアの顔。


「もう一度、言ってください。好きだって」


 ちゃんと目を見て言ってほしい、ということか。

 気恥ずかしいけれど、でも、一方的な告白ではないのだから、これくらいはしっかり言おう。


「……好きだよ。スフィーリア」


 スフィーリアの笑みが深まる。

 そして、無言のまま、スフィーリアの顔が近づいて。

 唇にそっと、優しい感触がした。

 それはすぐに離れていき、頬を染めたスフィーリアが、また綺麗に笑った。


「キスは、禁止じゃないですよね?」

「……うん」

「じゃあ、もう一度」


 再びの口づけ。こういうときのマナーとして、目を閉じた。

 唇を触れ合わせるだけの軽いもののはずなのだけれど、心臓は破裂せんばかりに高鳴って、頭もぼやけてしまう。のぼせたわけでは、もちろんなくて。

 最初のキスは一瞬で、二回目のキスは、三十秒くらいは続いた。

 唇で感じるスフィーリアの存在は、繊細で優しくて愛おしかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る