第18話 緩い

 地平線の向こうから日が昇る。

 夜に塗りつぶされていた景色に光が射し、新しく世界が生まれ変わる。

 緑に覆われる畑に風が吹いて、さやさやと優しい音を奏でる。

 美しい景色だと思う。人工物で埋め尽くされていないこの田園風景に、心が洗われる気がする。

 僕の描くイラストより、ただありのままの世界の方が美しいのではないだろうか。

 あるいは、当たり前にあるものでは、そこまで感動もできなくなるのだろうか。

 早朝は空気が冷たく、スフィーリアの用意してくれた紅茶の温もりが嬉しい。


『外で一緒に夜明けを見ませんか?』


 この世界で初めての夜を過ごした後、まだ日が昇りきる前に、スフィーリアからそう誘われた。

 就寝の時刻が早かったため、夜明けと共に目覚めるのも苦労はなかった。スフィーリアに誘われるまま、僕たちは二人で表に出たのだ。

 そして、二人で迎えた日の出は、絵師として悔しさを抱かせる程に、美しいものだった。


「……僕の絵なんてなくても、世界は綺麗なもので溢れているんじゃないかな?」


 隣に立つスフィーリアに尋ねてみた。


「美しい景色は、確かに人に感動を与えます。

 しかし、人の手で作り上げた優れた作品は、心の奥深く、魂を揺さぶります。美しさだけではなく、そこに込められた人の心や想いに、魂は共鳴するのです。

 アヤメ様の絵を見て、わたしは感動という言葉だけではいい表せない衝撃を受けました。だから、アヤメ様の絵には、綺麗な景色や、その他のただ美しいばかりのものにはない魅力があるのです」


 確信を持って言われて、僕はふと、スフィーリアが意図したものとは別の問題を考えてしまう。これは、その一つの答えのようにも思う。

 ただ美しい画像なら、地球ではAIが量産できるようになるだろう。でも、そこに人の想いが宿らないのであれば、表面的な感動で終わってしまう。

 人の手で作るものの価値は、きっとここにあるのだろう。 


「……僕の作品が、魂を揺さぶる、か」

「そうです。だから、アヤメ様は本当に素晴らしいのです」

「……満足してもらえるよう、これからも頑張るよ」

「ありがとうございます」


 早朝の光に照らされるスフィーリアの笑顔が、女神よりも美しく感じられる。

 一晩心を落ち着けて休み、改めてスフィーリアを見ると……心底魅力的な人だと思う。地球だったら世界レベルで有名になれそうな容姿に、天真爛漫で優しい性格。今まで見てきたどんな女の子より、魅力的だと思う。

 こんな子の隣に立っていられるなんて……。冷静になって考えると、足がすくむような驚きだ。


「と、ところでだけど……礼拝堂の壁画を描くのは、僕にもできると思う。けど、信者と寄付金を集めるのは、僕にはできないかな……。スフィーリア、そっちは大丈夫?」

「それについては、やり方次第でどうにでもできると思っていますよ」

「へぇ、自信ありそうだね。確かに、スフィーリアが声を掛けたら自然と集まりそうかな。今まで進展してないのが不思議なくらい」


 こんな美少女に勧誘されたら、ほいほいと信者になってしまいそう。


「……実のところ、わたし、ほとんど布教活動はしていないんです」

「そうなの? なんで?」

「教会施設の復旧で忙しかったのが一つ。元々は荒れ果てた状態だったのを、わたしとキーファの二人で修繕したんですよ。大工を雇うお金もないし、建築の知識もないので、色々調べたり、魔法でどうにかしたり」

「大変そうだな……」

「ええ、なかなかの労力でした。

 それに、別件で魔法の研究もしていました。その派生で、アヤメ様を召喚するに至ったんです」

「どんな魔法の研究を?」

「んー……今は、秘密です。もしかしたら、今は知らない方が良いかもしれません」

「そう……。なら、訊かないでおくよ」

「ありがとうございます。そして、わたしが積極的な布教活動をしなかった最後の理由ですが」

「うん」

「わたしが積極的に呼びかけると、信仰の対象が神様ではなくわたしになってしまうと思ったんです。でも、わたしを崇拝する信者にはなってほしくないんですよ」

「ああ……ありそう」

「わたしを崇拝し、わたしを神様と同一視する……。それは違うと思うのです。わたしは誰かの神様にはなれません。常に清く正しくあるわけではなく、人間を超越した何者かでもありません。

 なので、礼拝堂の壁画とは別に、布教のための絵がほしいと思っていました。わたしではなく、神様を信仰してもらうために。アヤメ様には、持ち運びするための絵も描いていただきたいと思っています」

「なるほど……。うん、それは引き受けるよ」

「ありがとうございます」


 絵があっても、それでもスフィーリアを崇める人は出てくる気がする。でも、スフィーリアだけで頑張るよりはましかな。


「ただ……そうだなぁ。スフィーリアは神話をただの物語としか認識していないのに、布教活動をするのも変な感じ、かもね」

「そうですね。ただ……人を導くのには、必ずしも熱心な信仰は必要ないとも思うのです」

「ふぅん?」

「神様を至上の存在とは思わなくていいんです。でも、神様の物語を知り、心の内に神様のイメージを宿しておくだけで、人は大きな力を得られると思うんです。

 神様ではなく、物語の力を、わたしは信じます。あの神様のようになりたいという思いは、人を強くし、良い方へと導いてくれます。

 だからわたしは、布教活動をすること自体にはさほど抵抗はありません。わたしなりのやり方で、ルキアルト教を広めていこうと考えています」

「物語の力……」


 スフィーリアにとっての布教活動は、日本人が自分の好きな漫画やアニメを布教するのと同じ感覚なのかもしれない。別に神様を熱心に信仰してほしいわけではない。それでも、物語に出てくるエピソードやセリフを、人生の糧としてほしい……。

 たぶん、スフィーリアのしようとしていることは、求められている布教活動とは違うのだと思う。

 だけど、僕としては、スフィーリアのスタンスであれば協力してもいいと思える。スフィーリアが狂信的な信者で、人々にも同じ狂信を求めるのであれば、僕はきっと協力できなかった。


「……スフィーリアのスタンス、僕の故郷での物語のあり方に似てるかも。

 そして、目指すところは、故郷の宗教観に似ている気がする。別に神様に毎日祈りを捧げるわけではないし、神様のために生きるわけでもないのだけど、心の深いところでは神様の存在が息づいている……」

「ほほぅ。やっぱり、アヤメ様の故郷がどんな場所で、人がどんな考えを持って生きているのか、知りたくなります」

「……うん。ま、とりあえずキャラデザが終わってから、かな」


 スフィーリアには、日本のことをきちんと説明しないといけない気がする。

 エッチなイラストを神様のイラストだと誤魔化したけれど、あれは嘘だと打ち明けないとかなー……。


「まずはそっちを終わらせましょう。今日も一日、宜しくお願いします」

「うん。わかった。あ、でも、スフィーリアって、僕に付きっきりで大丈夫なの? 普段のお仕事とかは?」

「大丈夫です。実のところ、何もしようとしなければ、何もしなくても良い立場なんです。普段は回復薬の調合とか魔法の研究とかをしていますが、今はアヤメ様との活動が優先です」

「そっか。なら、いいか」

「ええ。いいんです。

 わたしは聖女という立場ですが、神様のために生きるつもりはありませんし、当然、神様のために死ぬつもりもありません。

 布教するときにも同じです。誰にも、神様のために生きてほしくないですし、神様のために死んでほしくもありません。

 緩くていいんですよ。信者としての生活なんて」

「……斬新な宗教観だ。その緩さ、好きだけどね」


 風と共に、土の匂いが僕たちを包む。

 紅茶を飲み干したら、また屋敷の中へと戻る。

 異世界生活二日目。今日も一日、描いていこうか。

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