第10話 正義

 向かった先は礼拝堂。そこで、スフィーリアが男女のペアと相対していた。

 女性の方は、まだ十四、五歳の少女。身長は百五十センチくらいで、空色の麗しい髪が腰まで届いている。綺麗な顔立ちなのだが、目つきに険があり、あまり良い印象は持てない。服装は、スフィーリアのものに似た清楚な印象のローブ。純白を基調として、金の刺繍で彩られている。その右手には、豪華な飾りのついた杖。


 男性の方は、イメージとしては神父だろうか。年齢は三十代くらいで、厳格な顔つき。髪はブラウンの短髪。厳かな印象の黒い服を着て、肩に装飾された白いストールをかけている。


 二人とも教会関係者で、人族だろう。

 二人の近くに、破損した長椅子が転がっている。どちらかが壊したに違いない。

 緊張した雰囲気の中、二人は僕たちをちらりと見て、それから何も見なかったかのように無視。

 口を開いたのは空色の髪の少女。


「スフィーリア様がこの町に来て早半年。荒れ果てた教会施設をここまで整備したのはご立派ですが、これまで何名の信者を獲得できました? せっかくこの地での布教を任されたというのに、なぁんにも成果を上げていないのでは期待外れも良いところです。

 愛と豊穣の女神に愛されし聖なる乙女……。王都ではもてはやされておりましたが、ただ容姿だけを賞賛されたのであって、聖女としての実力は全く伴っていませんわ。本当に役立たずですねぇ。

 こんな風に形だけ繕っても、無駄なんですわ!」


 少女が杖を振りかぶり、椅子に向かって叩きつけようとする。

 思わず、体が動いた。椅子を……いや、この場所を守るために、少女の前に立つ。事情はまだまだよくわからないのだが、この子に好き勝手させていいとは思えなかった。

 振り下ろされた杖が、僕の眼前で止まった。


「……あなたは誰ですか? 私の邪魔をするということは、私に敵対する者だと判断して良いということですね?」


 杖が赤い光を放つ。その杖の先が、一瞬僕の頬に触れた。


「熱っ」


 焼きごてでも押し当てられた感覚。魔法か何かで、杖が熱を帯びていたようだ。頬が火傷になっているのがわかる。


「邪魔です。退いてください」

「……退きません。杖を下ろしてください」

「へぇ、私に楯突くわけですね? そうですか……」


 少女の意味深な笑み。毒蛇が獲物を前に笑っているかのよう。

 戦う力のない僕では、きっとこの華奢な女の子にさえ全く歯が立たないのだろうな……。

 ほのかに死の予感さえ抱いていると、スフィーリアが割って入ってくる。


「リーキス様。これ以上、彼を傷つけることはおやめください。何の力も罪もない、ただの少年です」


 僕と話しているときとは一転し、スフィーリアの声が凛と澄んでいる。こんな振る舞いもできたとは……。


「何の力もないのは事実でしょう。しかし、私に楯突くというのは、それだけで罪です。私は、正義の女神ジャスカに愛されし聖女、リーキス・フィントーラなのですから」


 つまりは、自分が正義であって、自分の意に添わないものは全て悪、と。

 そんなとんでもない発言を平気でするとは……。日本だったら大炎上案件だ……。


「リーキス様。それでも、どうか彼をお許しください。彼はただ無知であるだけで、これからその身と魂を浄化していくのです。蒙昧もうまいなる迷い子を救い出すのも、我ら聖女の務めではありませんか」

「ふん。そんな愚鈍なけだものかばうとは、お優しいこと。しかし、無知であることもまた罪……。許してほしくば……そうですね、スフィーリア様、この杖に口づけを。それで許して差し上げましょう」


 リーキスが赤く光る杖を差し出す。僕の頬を焼いたあの杖に口づけをしろ、と?

 なんだ、それは。

 これは、一体何が起きているんだ? この子は一体何を言っているんだ?


「……わかりました。それでお許しいただけるのでしたら」


 スフィーリアが、熱せられた杖の先に顔を近づける。

 見ていられなくて、僕はその間に割って入る。


「待ってください! その……悪いのは僕なのでしょう!? だったら、僕がやります!」


 何がどう悪いのか皆目検討がつかないが、たぶん、逆らってはいけないのだろう。ここは変に抵抗するのはやめるとしても、僕が傷つけばいいはずだ。


「はぁ? あなたなんかに興味ありません。さっさと消えてください」

「でも……こんなの……」

「大丈夫です。下がっていてください」


 僕の言葉を遮り、スフィーリアが聖女の微笑みを見せる。

 それでも、僕としてはこのまま見ていたくはなかったのだけれど、不意に、キーファに手を掴まれた。

 視線を向けると、キーファは首を横に振った。大人しく見ていろ、というのか?


「ありがとうございます。キーファ」


 そして。

 スフィーリアは、澄ました笑顔で、躊躇ためらいなく熱せられた杖にキスをした。

 肉の焼ける、嫌な音と匂いがした。

 十秒程でスフィーリアは離れたのだが、すぐに手で隠されたその唇は、酷く焼けただれていた。

 なんなんだ。

 何が起きているんだ。

 わけがわからない。


「あはっ! いいでしょう。その誠実な態度に免じて、その豚の罪は許して差し上げます。

 しかし……スフィーリア様、わかっておいでですよね? あと半年以内に、教会施設をきちんと復活させ、かつ、信者五千人と寄付金二億リルカを集めること! それができなければ、スフィーリア様は聖女の称号を剥奪、王都にある資産は没収、王都からも永久追放です!」


 顔を手で隠したままスフィーリアが頷く。


「礼拝堂はまだ形をそこそこ整えただけ。そして、まだ集めた信者なんて二桁もいかないのでしょう? 半年経ってもそれだけでは、これから一体どうされるおつもりなのでしょうね? 王都で築いた地位も名声も全て剥奪され、罪人としてこの辺境の片田舎で生涯を終える……。なんて惨めなのでしょう!」


 あはははは! リーキスが心底楽しそうに笑って、続ける。


「ま、せいぜいあと半年、あがいてみることですわね! どうせ無駄だと思いますが!

 さ、用事は終わりましたわ。トピー! もう行きますよ!」

「はい」


 二人が礼拝堂を後にする。近くで休んでいたドラゴンに並んでまたがり、そのまま飛び去っていった。


「二度と来るなっ」


 吐き捨てたのはキーファ。ふぅ、と軽く息を吐いたのはスフィーリア。

 背景の全てを理解したわけではないのだが、要するに、あれが敵なのだなということはわかった。

 それより。


「スフィーリア! 火傷が……」

「アヤメ様。落ち着いてください。あれくらいの傷、すぐに治せますから」


 キーファが言っている間にも、スフィーリアの手が桜色に光る。察するに、回復魔法を使っている。数秒でその光は消え、スフィーリアが以前と変わらない綺麗な素顔を見せてくれる。


「ちょっと痛かったですけど、私は平気です。驚かせてしまって申し訳ありません。それより、アヤメ様の傷も癒やしましょう」


 スフィーリアが僕の頬に手をかざす。その手が淡く光って、頬の痛みが即座に引いた。これが魔法か……。


「もう痛みませんか?」

「うん。ありがとう」

「いえいえ。これが聖女の務めですから」


 安心させるためだろう、スフィーリアが笑っている。

 お互い、怪我が完治したのは一安心。

 でも、僕はその笑顔を見ると、どうにも胸がもやもやしてしまうな……。僕を不安にさせないため、無理をしているような……。

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