第9話 琥珀

 食堂の窓から、何か大きなものが飛んでくるのを確認できた。

 あれは……ドラゴン? 流石は異世界、ダークエルフがいればドラゴンもいる。招かれざる客なのだろうが、密かに高揚してしまった。


「アヤメ様、しばしお待ちを。キーファ、あとは頼みます」


 スフィーリアがいそいそと部屋を出ていき、僕とキーファが取り残される。


「アヤメ様、こちらへ。連中に見つかると厄介です。まずはその服を着替えて、この魔法具と鞄も隠しましょう」

「あ、うん……」


 キーファに手を引かれつつ、一階の別室に連れて行かれる。どうやら物置になっているようで、雑多なものが放置されていた。壊れた家具やら古びた絨毯、古めかしい服……等々。


「急いでこれに着替えてください」


 キーファが投げて寄越したのは、グレーを基調とした簡素な服。……修道徒が着る服かな?


「あと、それ以外の荷物は一旦こっちに入れましょう」


 僕の鞄を取り、クローゼットの中に押し込んだ。


「急いでください。隠れてやり過ごすのも手ですが、見つかる可能性もあります」

「あ、うん……」


 僕が服を脱ぎ始めると、キーファがさっと恥ずかしげに視線を逸らした。ヌードイラストは平気なのに、異性のリアルな脱衣を見るのは気恥ずかしいのか……。

 初めて着る服なので少々手間取ったが、なんとか着替えることができた。


「ふむ……。その黒髪と黒目は珍しいですけど、とりあえずは問題ない格好になりましたね。もし連中に見つかって何か詮索されることがあっても、どうにか誤魔化してください。あと、これでも首に提げてくださいな」


 手渡されたのは、輪になった紐に銅製の飾りがついたペンダント。飾りは、先端に翼らしきものが生えた杖のような形をしている。


「これは……?」

「祈りの聖杖のペンダントです。ラーヴァ派のルキアルト教信者がよく身につけています」

「へぇ……」


 キリスト教の十字架のようなものかな?

 指示に従い、ペンダントを首にかける。


「アヤメ様は、今からルキアルト教の信者です。まだ入信したばかりなので、教えのことはまだよくわかっていません。という設定です」

「わ、わかった」

「ちなみに、魔法は得意ですか?」

「全く使えないと思ってくれ」


 もしかして、こっちに来て魔法を使えるようになったのだろうか? 試してないからわからない。


「全く使えないんですか? ふぅん……? まぁ、とにかく見つからなければいい話ですね」


 キーファが思案げに室内を歩き始める。

 しかし、それが良くなかった。雑多なものが散らばっているなか、足下を見ずに歩いたことで、キーファは何かにつまづいて体勢を崩してしまった。


「危ないっ」


 キーファが転びそうになったところで、体を支えようと手を伸ばす。


「あ」


 とっさのことで足下を見ておらず、僕も何かにつまづいた。

 キーファの手を掴んだまではいいものの、そのまま一緒にすっ転んでしまった。

 仲良く地面に転がる僕ら。そして、気づいたときには。


「……き、気安く抱きしめないでください。アヤメ様のことは尊敬していますが、そこまで親しくなった覚えはありません」


 キーファを床に衝突させないようにするためだったのだが、僕はキーファの小さな体を抱きしめていた。キーファが恥ずかしそうにもぞもぞと動く。


「あ、ごめんっ。僕は別にやましい気持ちがあったわけじゃないんだけど……」


 すぐにキーファを解放。キーファはすぐに離れて立ち上がった。


「それはわかってます。助けていただいてありがとうございます。でも……こっちは色々と複雑なんです。あなたもいい年した男なら、乙女心に配慮してください」

「えっと、うん。ごめんね」


 乙女心に、ね。キーファはどういう心境なのだろうか?

 僕も半身を起こす。そこで、キーファが僕の瞳を覗き込む。


「……今更ですけど。その黒い瞳、神秘的で綺麗ですね」

「へ? そ、そう、かな? むしろ、キーファの赤い瞳の方が綺麗だよ?」

「そ、そうですか? アヤメ様は、これを、綺麗だと言ってくれるんですか?」

「うん。ルビーみたいだよ」

「……そうですか。人族は、この赤い瞳を毛嫌いすることが多いのですけどね。赤い目は悪魔の象徴だ、とか」

「僕は育った文化が違うから、そんなこと全然思わないよ」

「……この褐色の肌も、アヤメ様にとってはなんでもないものでしょうか?」

「うん? 気にしたことなかったな。すごく綺麗で魅力的だと思うけど、こっちでは何か問題あるの?」

「褐色の肌は、闇色の魂を宿す証……。そう思っている者も少なくありません」

「肌の色なんてただの生まれつきだろ? 魂の色とは関係ないよ」

「……ええ、そうです。関係ありません。それに、ダークエルフという呼び名も好きではありません。名前からして、何か悪いもののようではありませんか」


 そもそも、僕がダークエルフと理解している呼び名は、こっちでもダークエルフなのだろうか? 微妙に言葉は違うけれど、ニュアンスは似ているからそう翻訳されている、というところかな?


「……なら、こんなのはどう? アンバーエルフ」

「アンバー、エルフ?」

「アンバーは、琥珀っていうブラウン系の綺麗な宝石なんだ。キーファの肌の色とは少し違うかもしれないけど、細かいことは気にしないでさ。稲穂を黄金色って表現することもあるし」

「……イナホ?」


 ああ、こっちでは稲穂はあまり知られていないのね。だとすると、米は食べられないのかぁ。残念。


「稲穂は、僕の国で良く食べられている穀物のこと。

 とにかく、僕はキーファをアンバーエルフって呼ぶことにする。琥珀のように美しく気高い種族だ」


 キーファがくしゃりと泣きそうな顔をした。


「……ありがとうございます。あたしに偏見なく接してくれるのは、スフィーリア様に続いて二人目です。そして……新しい呼び名をくれたのはアヤメ様が初めてです」

「異世界人の最初の功績かな?」

「かもしれませんね。あなたのような人を見ていると、人族も捨てたものではないと思えますよ」


 キーファの微笑みに心洗われる気分になっていると。

 ガンッ。

 不意に大きな音がした。そういえば客人が来ているはずだが、その関係か?


「ちっ。あいつら、また……。ちょっと行ってきます。アヤメ様は待っていてください」

「待って。……僕も行くよ。何が起きているのか、僕はちゃんと知っておいた方がいい気がする」

「……わかりました。でも、変なボロ出さないでくださいよ」

「……了解だ」


 キーファは立て掛けていた弓を取り、部屋を出る。僕もそれに続いた。

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