第8話 境地
「アヤメ様は、純真の女神を主に信仰されているのでしょうか?」
キーファの問われ、僕は答えに迷う。
「え? いや、そういうわけでもなくて……。えっと、実のところ、僕の国って、あんまり神様を崇めたりしないんだよね。無宗教の人も多くて、僕もその一人というか……」
「無宗教の人が多いんですか? それはまた奇妙なことですね」
奇妙なのか? ああ、でも、世界的に見たら無宗教って少ないんだっけ? そもそも、日本人は無宗教と呼べるのかも不明。生活の中に馴染み過ぎて、改まって宗教を宗教として認識していないだけとか聞いたこともあるな……。
「……ごめん、説明するとたぶん長くなる。僕に説明しきれることでもない。結構、複雑なんだよね」
ちゃんと説明するなら、古事記に出てくるイザナミ、イザナギについてから始めるべきだろうし、日本の神話が日本人の間で教えられなくなった経緯も説明すべきだろう。神道が戦争利用されて云々、などと。
それに、仏教と神道の関係、後にやってきたキリスト教との交わりなど、要素が複雑に絡み合いすぎている。とても、ただ絵を描くことが好きな男子高校生に説明し切れることではない。
そもそも、撫子花恋さんを女神にしてしまった時点で、僕は色々なことを説明できなくなってしまった。
よし、僕は今から、様々な女神様が登場する、よくわからない謎の神話を好む男子だ。そういうことなのだ。
キーファはしばし首を傾げていたが、ふむ、ととりあえず頷いて見せた。
「異世界とは、本当に文化の全く異なる世界なのですね。この世界にも、何か重大な事件があり、神を信仰しなくなったという者はいますが、ただただ無宗教であるという者はなかなか見ません」
「……まぁ、こっちの話は追々」
「そうですね。しかし、アヤメ様は実に美しい女神を描きますね……。写実的ではありませんが、絶妙な簡略化で、女神の可愛らしさや美しさを抽出しています。素晴らしいです……」
ほふぅ、とキーファがうっとりした顔。
ふむ。これは、デフォルメの仕方に感動しているのか?
なるほど、確かに人物を今のようなデフォルメで描き始めたのは、地球でもごく最近のこと。僕からすると当たり前に身近にあるのだが、こっちの世界ではかなりの衝撃だったのか。
考えてみれば、漫画絵も少しずつ発展していった歴史がある。昔々には鳥獣戯画のようなものがあり、数十年前に手塚治虫先生や鳥山明先生等々が活躍し、紆余曲折を経て、萌えを全面に押し出す絵柄も形成された。
ただ一人が研鑽を積んだだけでは、萌え系の絵柄は形成されていない。あれは、先人たちが互いに切磋琢磨して辿り着いた一つの境地なのだ。
この世界の絵画がどの程度発展しているかはわからないが、厳かな宗教画が主流だったとしたら、全く異質の絵画表現に感涙だってするのかもしれない。
「……ちなみに、こっちではどんな絵が描かれているのかな?」
僕が尋ねると、スフィーリアが席を立たった。
「気になります? なら、持ってきますね」
いそいそと部屋から出ていき、それからすぐに戻ってきた。その手には、A4サイズくらいの絵画。
「ここにあるのはこの一枚だけですね。描かれているのは、愛と豊穣の女神ラーヴァです」
油絵かな? 写実的で厳かな雰囲気の絵だ。美女ではあるが、萌えイラストと全く違い、緊張を強いられる感じもある。トーガのようなものを身に纏っており、何故か上半身がはだけて乳房が露わになっていた。視線のやり場に少し困る。
「……なるほどね。僕の絵は、全く異質なんだ」
「そうですね。こういう絵もとても上手なのですが、実のところ、大抵の人にとって、ふぅん、で終わるものなんです。大きな感動はありません。
でも! アヤメ様の絵にはものすごい力を感じます! 見る者の心を掴み、圧倒する力を! わたしは、一枚の絵にあれほどまでに心を揺さぶられたことがありません!」
「わ、わかったから! 顔が近いよ……」
気合いが入りすぎて顔が近づきすぎている。僕はリアル女性に不慣れなのだから、距離感は考えてほしい。
「そ、それより、どうして僕に壁画を描いてほしいの?」
「あ、そうでした。まだ途中でしたね。実は……」
「待ってください、スフィーリア様。客人のようです」
キーファが急に不機嫌そうな顔になる。窓の外を見やって、スフィーリアも軽く溜息。
どうやら、好ましくない客人が来たようだ。
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