負けず嫌いと、美味い話 6
「あちちちち」
蒸し上がった鶏のササミを手で細かく裂いていく。
裂いたものはボウルに放り込んで少し冷ます。
ササミを冷ましている間に、すりおろした
さらに塩と
本来なら塩の代わりに、醤油やめんつゆ、白だしなどを使いたいところだが、あいにくと、魚醤モドキのようなものしか手元にない。
一応、以前に自分用に作った醤油風の調味料はなくもないが、あまり量がないので使いたくなかったのだ。なので妥協して塩とごま油でいくことにした。
さらにもう一つ思いついたことがあり、バッカスは冷蔵庫を探る。
熱の落ち着いたササミと、
ササミを盛り終わったら今度はたっぷりのおろしダレを中央にドカ盛りする。
最後に細かく刻んだ
みんなが座っているテーブルの上に、それを置き、とりわけ用のトングをいくつか置く。
さらに小皿とカトラリーを人数分。
そこまで準備して――
(なんで一人暮らししてるハズの俺の家にこんだけの皿とカトラリーがあるんだろうな?)
――唐突にそんなことが脳裏に過ったのだが今更である。
それから、自分とクリスとシノンには、小さなグラスもだ。
「メシじゃなくて酒の肴だからな、普段より量は少なめだ。食い過ぎるなよ?」
誰――と名指しはしないものの、視線だけ該当者に向けて告げる。
向けられた本人は、わざとらしく視線を逸らす。
その様子をシノンたちは笑いながら見ていた。
「さて、まずは肴の味見からいくか」
お楽しみは最後にあとに取っておくため、バッカスがそう切り出す。
それぞれが自分の皿に、ササミと梅鬼おろしを取っていく。
「バッカスってささっと作った肴でも美味しいからすごいのよねぇ」
「わかります! これも絶対美味しいやつですよね!」
そんなやりとりを聞きながら、バッカスは全員分を取り分けていった。
「おかわりは各自でとってくれ」
言うだけ言うと、バッカスはさっさと自分の分を口に運ぶ。
(即席だったが悪くないな……)
ササミの風味と、
鬼おろしの苦みと辛みとほのかな甘み。そこに混ざるカリカリした食感に酸味。
それらを
そしてその油のこってり感は、散らされた
(酒に合わせるならもうちょっと塩気が強くても良かったが……酸味が強いから、これでもいいか)
バッカスがそれを悪くないと、嚥下したところで、他の面々も声を上げる。
「さっぱりした味わいね。お肉を使ってるのにサラダみたい」
「それだクリスちゃん。鶏肉がどっさり乗ってるから肉料理かと思ったんだが、これはサラダだよな」
「これ美味しいわ。夏の暑い日とか良さそう」
「わかる。なんかスルスル食べれそう」
おおむね、全員から好評のようだ。
「細いパスタ麺を茹でたあと、冷水でキュッとしめたものにこれを乗せて食うってのもあるぜ」
「あ。それすごい美味しそう」
意外にも一番食いついてきたのはルナサだ。
「材料費もそんな掛からないわよね?」
「そうだな。高級食材やマイナー食材は使ってない。市場に行けば揃うもんだけだ」
「あとでレシピ教えて貰える?」
「いいぞ」
「ありがと」
真剣というかしおらしいというか、どことなくルナサらしくはない。
とはいえ、レシピに関しては別に隠すようなモノでもないので教えるのに問題はない。
それにルナサの出自と性格を考えれば、だいたい予想もつくので、バッカスはそんなルナサに特に触れることなく、用意してあった酒瓶に触れた。
「よし。肴の味は問題なかったからな」
「ついに出るのね」
「待ってました!」
アマク・ナヒア神皇国の銘酒『
栓を開ければ、そこから芳醇な香りが――
「…………」
――なかった。
「まぁ香りのない酒もあるしな」
気を取り直して、バッカスはクリス、シノン、そして自分のグラスにそれを注ぐ。
水のように透き通った透明の酒が、グラスのなかで揺らいだ。
「綺麗なお水みたい」
「ここまで透明な酒ってのも作れるんだな」
興味深そうにグラスを見ていた二人も、やがてゆっくりとその手に取る。
二人の姿を見ていたバッカスはおもむろに告げた。
「特に理由はないが、乾杯」
「かんぱい」
「かんぱい」
それにクリスとシノンも応じてから、三人はお酒を口に運ぶ。
まるで水を口に含んだような軽やかな口当たり。
その柔らかな口当たりは、硬度が低い軟水のよう。
硬度の高い硬水に慣れているこの辺りの者からすると不思議な口当たりに感じることだろう。
その透明な液体が、スルスルと喉の奥へと流れていく。
液体が流れた通りに、喉の奥が、食道が、アルコール特有の熱を……特に放――たない。
喉を潤し、胃に落ち、けれどもアルコール特有の熱が腹の中で燃えることはなかった。
三人は一口二口と飲み、やがて結論を付ける。
この透明な液体、
「水だこれぇぇぇ~~ッ!?」
――三人同時に叫んだ。
「ええッ、あの爺さんそこまでするのッ!?」
さすがにルナサも驚きの声を上げる。
その横で、ミーティが顔に手を当てながら、何か考えているようだ。
「クッソ、あのジジイッ! 何が
「さすがに負けず嫌いといってもこれは詐欺じゃないかしら」
「だよなー……景品が、
クリスは口を尖らせ、内容がまったく異なれど興業を
そんな憤慨する大人たちの横で考え事をしていたミーティは、ふと閃くものがあってメガネを光らせた。
「あのー……」
「どうした、ミーティ?」
バッカスに問われ、ミーティが告げる。
「たぶん。詐欺じゃないです」
「なに言ってるのミーティ。お酒のボトルをくれるっていうのに、開けたら水はれっきとした詐欺でしょ?」
ルナサの言葉に、大人たちはうんうんとうなずくものの、ミーティはゆっくりと首を横に振った。
「お爺さんは、お酒のボトルが景品であると常に言ってたんです。
お酒のボトルをくれてやるとは何度も口にしてましたけど、お酒をくれてやるなんて一言も言ってないんです」
四人はミーティの言葉を咀嚼し、理解し――そして最初に叫んだのはルナサだった。
「やっぱり詐欺じゃないッ!」
その様子にシノンは苦笑する。
「あの爺さん、どこまで負けず嫌いなんだよ」
「さすがにちょっと負けず嫌いと言うには無理ないかしら?」
そうは言っても、イーサンに直接文句を言ったところでのらりくらりと躱すことだろう。
それこそミーティが言う通り、「一言も言ってない」と言い張られる可能性が高い。
つまり、どうあってもバッカスは
その事実に気づいたバッカスは立ち上がって――
「ふざけんなよッ、あのクソジジィィィ~~ィッッ!!」
――天井へ向けて吠える。
コノ ウラミ ハラサデ オクベキカ。
バッカスの前世は日本人だ。食い物飲み物の怨みは恐ろしい。
後日、バッカスが奇行を行っているところをクリスに目撃された。
「こんな薄暗い路地裏で、噂好きのネズミやスズメにお金をバラまいて何してるの?」
「俺も負けず嫌いってやつだからな。やられたらやられっぱなしってのは性に合わないのさ」
バッカスの目がだいぶ据わっていて怖かったので、クリスはそれ以上触れず、「そうなのね」と小さくうなずくと、その場からそっと離れていくのだった。
・
・
・
数日後。別の町。
「坊主にはしてやられたが、ふふふ……今頃、遠吠えでもあげている頃か?」
あるいは、大切に保管して記念日にでも口にして叫ぶかも知れない。
「悪く思うなよ?」
微塵も悪く思ってない顔で、嘯くように独りごちる。
こんな簡単なことで、高級な酒が手に入るほど、世の中は甘くないのだ。
昨日たどり着いたこの町で、イーサンはいつものように興業を始める。
だがおかしい。
いつまで経っても挑戦者が現れない。
人はそれなりに集まっているようなのだが、いつもとは異なる視線を向けられているかのようだ。
「うーむ。そこの若い
「勘弁してくれよ。絶対に爺さんが勝つようになってるイカサマ興業なんだろ?」
「ぬ? どういうコトだ? どこでそんな話が?」
「
絶対に勝てない仕掛けを施した上で、勝ってもちゃんと賞品や賞金を渡さない武芸系イカサマ興業ジジイがいるって。アンタだろ?」
まさかの答えにイーサンは目を驚いた。
よもやそのような噂が流れているとは思わなかったのだ。
何でも屋に対して、誤解であると言おうとして、別の人物が口を開く。
「ああ、傭兵界隈でも噂になってるぜ。
なんでもケミノーサの何でも屋が酒を貰える条件満たしたのに、飲んでみたら中身が水だったって話をよ」
「魔導具と神具で防御ガチガチに固めてるって話し出しな」
「本人は本人で腕利きな上に、痛いのが大好きなマゾだって噂も聞いたぞ」
「なんだそれ。最初から勝ち目作ってねぇんだな。勝っても損しかないとか挑戦するだけ無駄じゃねーか」
ザワつく周囲の声の一部が耳に届き、イーサンは驚愕する。
どうしてタネが割れているというのだ。あとマゾではないのでおかしな噂は止めて欲しい。
「いや待て。あの坊主が漏らしたのか? だが、あやつはわざわざネタバレはしないと口にしていたのに……」
そこまで思い返して、気づく。
「いや、あやつはギャラリーの多さを気にしてくれただけで、漏らさぬとは一言も言っていないな?」
しかしこれは、営業妨害だ。坊主に文句を言いに行かなくては――そうは思ったのだが、あの坊主の皮肉げな笑みが脳裏に過る。
恐らく、こちらの
「あの、クソガキめがぁぁぁぁ~~~~ッ!!」
自分のことをだいぶ棚に上げて、イーサンは空へ向かって叫ぶのだった。
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書籍版2巻8/9発売です٩( 'ω' )و
近況ノートに詳細も書いておきましたので、よしなに!
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