その一番の近道は、コツコツ地道で 9
シノンと一戦を交えてから数日後。
バッカスの工房にて――
「マジで申し訳なかった」
「だからもう謝らなくていいって言ってるだろー」
椅子に座って魔導具をいじっているバッカスの横で、テーブルに両手を伸ばしながら突っ伏しているシノンがいる。
あのあと、シノンが痩せると同時に、魔剣の余波で飢餓状態になっていた人たちも元に戻った。
ただ、そんな中でシノンだけは目を覚まさなかったのと、戦闘でのケガもあったので治療院へと運ばれたのだ。
数日入院していたシノンは無事に退院し、今に至っている。
身体そのものはケガ以外健康体らしいのだが、メンタル的にはそれなりに参っているようで、雑談の間にやたらと謝罪してくる。
「まぁどうしても謝罪を続けたいってんなら、謝罪代わりに質問に答えてくれ」
「おう。答えられるヤツならな」
作業していた手を止めて、バッカスはシノンに視線を向けた。
「あんだけ言ってやったのに、なんで魔剣に手を出したんだ?」
「言い訳させてもらうなら出すつもりはなかったんだよ」
「あん?」
身体を起こし、両手を軽く挙げながら答えたシノンにバッカスは目を眇める。
「変な男に声を掛けられてさ、なんか魔剣を取り扱ってる行商だっていうから、ちょっとしたジョークで言ったんだよ。痩せる魔剣はないかってさ」
「――で、あれを出された、と?」
「おう。在庫処分だとかで格安で押しつけられてなぁ……まぁ大して懐の痛む値段じゃなかったし、邪魔ならお前にでも押しつければいいかなくらいの気持ちで受け取ったんだ」
バッカスは下顎を撫でながら話を聞き、思考を巡らせる。
こちらの様子を見、シノンが話を止めたが、気にするなと視線で告げて先を促した。
「買ったからには一応試したくなるのが人情ってモンだろ?」
「そこは否定せんが、そんな怪しいモンを気軽に使おうとすんなよ」
「正論は時に人を傷つけるんだぜバッカス」
「だったら存分に傷つけよ。自業自得なんだからな」
「こう見えてだいぶ凹んでるんだぜ?」
曖昧な笑みを浮かべて肩を竦めてみせるシノン。
だが、確かにいつものテンションではない感じはするので、本人の言う通り凹んではいるのだろう。
「使った直後はさ、痩せたコトに気持ちが上がったんだけどな? 冷静になってくると、さすがに効果が直接的過ぎてやばくね? とは思ったんだ」
「やばいとは思ったのか」
「思ったね。思ったんだけど、どういうワケか……もうちょっとだけ、もうちょっとだけ痩せた姿でいたい……みたいな感じが強くなっていってな。気づくと、あんな状態よ」
「あの魔剣には、使い手を魅了する――というか依存させるというか――まぁそんな効果が付与されてたからな」
「……らしいな。道具として最悪だろ」
「ああ、同感だ」
一度使ってしまった時点で、強烈に魔剣の効果に魅せられるのだ。
話を聞く限り、そこで精神力で魔剣を手放せればなんとかなったのかもしれないが、抗いきれなければ、そのまま魔剣に飲み込まれる。
「シノンは、この町でゾンビ騒動があったのは知ってるか?」
「ああ。人に感染するゾンビってやつだろ?」
「実はあの事件の裏で、魅了の魔剣に関する事件もあったんだよ」
「魅了の魔剣ってのは?」
「異性を惹きつける魔剣だな。まぁそういう言い方をすれば聞こえはいいけどな。
この魅了の魔剣ってやつも、お前の買った痩せる魔剣と制作者が同じだ」
「女を無差別洗脳でもすんのか?」
「ご明察」
「しかも使い手が依存しだす?」
「名推理だ」
「最悪じゃねーか」
思わず首を竦めるシノンに、バッカスは苦笑した。
「どうにも、目的の達する際の周囲の被害を度外視した魔剣ってのを作っては、売ったり配ったりしてる職人が近隣にいるっぽいんだよな」
「あー……」
バッカスが言わんとしていることに気づいて、シノンは思い出すように答える。
「オレが会った商人は……商人っぽくない見た目してたけど。
フード付きローブを来てて、ローブの下からは銀だか白だか区別の付かない髪色が見えてたな。痩せてて……ちょっと不健康そうな白い肌で……でも、痩せてるし老け顔のせいでだいぶ年上のよう見えたが、何となくだが――たぶん実際はオレらと同世代くらいな感じはしたな」
情報からイメージしてみるものの、思い当たる顔がない。
「商人としても職人としても心当たりねーな」
「そうか――だが、どう見ても流れ者だから、今もこの町にいるかはわかんねぇぞ」
「そりゃまた困ったもんだな。捕まえられりゃあ、なんか情報が得られたかもしれねぇんだが」
何であれ、その情報だけで人を探すのは難しいだろう。
一応、バッカスはコネを使って調べるつもりだが、あまり期待はしていない。
「そいつがたまたま剣を手放したかっただけなのか、剣をばら撒いている張本人なのかで、少しばかり話は変わってくるが……」
「どっちにしろ、そいつを見つけられないと話になんないワケか」
「ああ。マジ面倒な話だ」
やれやれ――と肩を竦めて、バッカスはこの話は終わりだ……と、視線で告げる。
シノンはそれを理解して一度うなずくと、話題を変える。
「そういや病院で寝てる時に、本の差し入れがあってさ?
身体に関する内容だったんだけど、そこで知ったんだよ。体脂肪って言葉。バッカスは知ってるか?」
「ああ。知ってるよ」
「さっすが! 最新の本らしいのに耳ざといな! 本になる前から知ってた感じか?」
問いかけには答えずに、バッカスは肩だけ竦めた。
(この世界にはもう体脂肪って言葉が生まれたのか?
本来の体内脂肪って言葉が、この世界だと体脂肪って表現されてるだけか?
それとも、別の意味があるのか)
前世では、体内脂肪という言葉を元にヘルス用品メーカーが生み出した造語だった。
ただそれによって日本人の肥満に対する認識が変わったらしいので、使いやすい言葉というのは重要なのだろう。
「今度その本、借りれるか?」
「いいぜ。ともかく、その体脂肪ってやつの話なんだけどな」
「ああ」
完全に雑談のようなので、バッカスは耳を傾けつつ作業を再開する。
「基本的には体内の二割から三割くらいが健康らしいんだよ。まぁおれは五割くらいありそうだけどな?」
どうやら話を聞く限りバッカスの知っている体内脂肪と同じもののようだ。
この世界では、前世よりも早く肥満と健康に関する情報が出回りだしたようである。
あるいは――
(なんとなく美食の国にいたっぽい先輩が一部に広めてたネタかな? それが研究の末に外に出てきた感じかね?)
――そっちの方が、急に生まれたというよりも正確そうだ。
もっとも、バッカスには事実を確認する術など、ないのだが。
「ダイエットをするならこの体脂肪ってヤツと戦わないとダメらしいんだよな」
「それを減らす方法は、もう前に語った通りだぞ?」
「おう。似たようなコトが本に書いてあってビックリしたぜ」
「なら……今度こそ実践していくのか?」
「いいや」
バッカスが訊ねると、シノンは首を横に振る。
「…………」
作業の手を止めて、思わず眇めた視線を向けるバッカス。
その視線を受けてシノンはニヤリと笑った。
「ダイエットはやめにする」
「……そうかよ」
そんな気はした――と嘆息しながら、作業を再開しようとした時だ。
「だが別の目標が出来た」
「ほう?」
興味があってシノンに話の先を促す。
すると、シノンはまたも自信満々の表情で告げた。
「今日からオレは体脂肪の状態十割越えを目指す! 目標十二割ッ!」
「おい」
バッカスは思わず半眼になってしまったが、シノンは気にもしないで拳を握り熱弁を振るう。
「もちろんいきなりそんな状態になれるとは思ってないぞ! やっぱこういうのの一番の近道はコツコツ地道に……だろ? だからオレはいつもよりもっと多くの美味しいモノを食べていこうと思うんだ!」
その様子にバッカスは大きく息を吐くと、呆れたように作業を再開する。
「そんなワケで、コンゴトモヨロシクな!」
「はいはい。一度くらいのやらかしで友達付き合い止めるほど狭量じゃねぇから、安心しろ」
「そいつは何よりだ」
バッカスの答えに、シノンは本当に安堵したような心底嬉しそうな表情で笑うのだった。
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