その一番の近道は、コツコツ地道で 6


 バッカスは、ムーリーとコーラルを伴ってウエステイル事務所と戻ってきた。


「あー……」


 その事務所の前で、バッカスは自分の下顎を撫でながら顔をしかめる。


「餓えたオオカミがいっぱいいる気配がするわねぇ……」


 バッカスのうめき声の意味を正確に理解したムーリーも、頭を掲げて空を仰ぐ。


「どうするの、バッカスくん?」

「どうしたもんかなぁ……」


 ムーリーの言う餓えたオオカミというのは言い得て妙だ。

 この事務所を中心に、空腹感や飢餓感とでも言うべき気配が多数漂っている。


 空腹で気が立っているなんていう言葉があるが、まさにウエステイル事務所の周辺はそういう空気に満ちているのだ。


「まだみんな理性的っぽいのが救いか」

「コーラルちゃんみたいな子は我慢しすぎて倒れちゃうのかもしれないけど」


 ちらりとムーリーに視線を向けられたコーラルが、少し恥ずかしそうに身動ぎする。


「あ、そうだわコーラルちゃん」

「なんですか?」

「貴女、小食って言っていたけど、それを理由に日頃から必要な食事も抜いてるんじゃなぁい?」

「えっと、それは……」


 ムーリーの言葉に、即座に返せない時点で事実なのだろう。


「貴女のそのほっそりとした体型からは、それを維持するための努力が見えてるし、それに見合うだけの美しさも感じるわ。けれどね、食べないコトで維持するほっそりは、簡単に劣化しちゃうの。

 アタシとしては、食べた上で体型を維持する努力をするのをオススメするわ」

「なるほどな。シノンの影響はあれど、今日やたらとメシを喰ってたのはそれが原因か。しっかりとしたモノを口にしたのをきっかけにして、コーラルの身体が足りない栄養を補給しようとしてたんだな」

「だと思うわ。あと、コーラルちゃんが倒れちゃったのは、そっちの方が強い原因ね。暴走しているアナタのお友達の影響は半分以下くらいかも」


 もちろん、ムーリーはそれを見抜いた上で、コーラルの身体の為になる料理を作ったのだ。


 二人からの言葉に、なんと答えれば良いのか分からず、けれども色々見抜かれて恥ずかしいコーラルは顔を赤くして俯く。


「体型維持にしろ、痩せるにしろ、無理もラクもはすんなって話だな。

 こういうモノの近道ってのは、結局地道にコツコツするのが必要なんだよ」

「バッカスくんの言う通りね。小食であるコトと食事をしないコトは別よ。美しさを維持したいなら、覚えておいてね」

「……はい」


 恥ずかしさに俯いたまま、蚊の泣くような声で返事をするコーラル。

 二人が自分の為を思ってくれているのは分かってはいるのだが、やはり恥ずかしいのだ。


「そしてダイエットする為にラクするコトを選んだバカにお仕置きをしにきたワケなんだが」


 現実逃避してないで、ちゃんと事務所へ向かおうと、バッカスはそちらへと視線を向ける。


「ここまで来ていうのもアレなんだが……やっぱ行かなきゃダメか?」

「ダメね。それに、アナタが行きたくないのって、単に影響受けたくないからってだけでしょう?」


 まったくもう――と、ムーリーが呆れたように嘆息した。

 それを受けて、バッカスも改めて腹を括ったような顔をする。


「仕方ねぇなぁ……中に入ったら人間同士が共食いしてましたみたいな光景が広がってないコトを祈るぜ」

「ごめん。その可能性は考慮してなかったわ。やっぱ行くのやめない?」


 即座にムーリーが掌を返す見て、コーラルが少し大きめな声を出す。


「お二人がお喋りを続けてると一生、中に入れなそうなので、さっさと行きましょうか!」


 そうして二人よりも前に出て事務所へと向かっていくコーラルに、バッカスとムーリーは仕方なさげに追いかけるのだった。




「ロティ!」

「……コーラル?」


 中に入るなり、コーラルが駆けだした。

 受付に座っている女性――ロティという名前のようだ――が、青い顔をしているからだろう。


「顔が真っ青よ!」

「ああ、うん……なんか、すごいお腹すいちゃって……」


 弱々しく口にするロティへ、ムーリーが何かを取り出して差し出した。


「大したモノではないけれど、こちらをどうぞ」

「え?」

「体調が悪いのではなく、単に空腹で調子が悪いだけなら、これで多少は改善するんじゃないかしら?」


 ムーリーが差し出したのは、砕かれたナッツ類が硬められた細長いお菓子だ。バッカスの記憶からすると、前世でいう栄養バーとかカロリーバーのようなモノに似ている。

 バッカスも興味があり、思わずそれに視線をやってしまう。


「美味しく食べやすく腹持ちが良い――そんな携帯食の試作品なの」

「この人は料理人さんだから、味は本物よ」


 戸惑うロティに、コーラルがそう添えると、少し悩んでからロティは手に取った。


「ありがとうございます。頂きます」


 それを一口かじると、ロティがホッとしたような顔をする。

 どうやら彼女はコーラルほど重傷ではなさそうだ。


「ねぇロティ、ケンカイオスさんはどちらにいるかしら?」

「まだ第三会議室だと思うけど……」


 急にどうしたの――という様子のロティを見、答えに窮するコーラルの代わりにバッカスが一歩前に出た。


「シノンのバカが変な魔導具を持ち歩いていてな。

 どうにも本来の効果の副作用として、周囲の人間の空腹感を強めるモノのようなんだよ」

「それじゃあ、コーラルが倒れて、私のお腹が減ってるのって……」


 ナッツバーをもう一口かじってから、ロティは三人を見上げて訊ねてくる。

 それに、三人は沈痛な面持ちでうなずいた。


「俺とこいつはシノンからその魔導具を取り上げにきたんだ。

 アンタやコーラルの様子から察するに、副作用の影響で空腹が限界を超えると、人間が人間を共食いしかねないっぽくてな」

「うえ……ッ!?」


 共食いに関してはバッカスのでまかせのようなものだ。

 実際にそれが起きる可能性はゼロではないが、そう高くはない。


 それでもわざとそれを口にしたのは、ロティに余計な思考を挟む前に緊急事態だと思い込ませる為である。


「私……これを頂かなかったら……」

「空腹のあまりに、お客さんにかみついてたかもしれないわねぇ……」


 ムーリーもバッカスの言葉に乗っかると、ロティの顔が青ざめた。


「コーラル、お二人を第三会議室に――」


 状況を理解したロティがそう口にしかけた時――


「いや案内は必要なさそうだ」


 ――受付の右側にある廊下から、シノンが姿を現した。


 昼間にあった時以上にシュっとしてイケメン度が増している。


「ようシノン。随分とバカな姿さらしてるじゃねぇか」

「どういう挨拶だよ、バッカス」


 苦笑する姿は、痩せたことを除けばいつも通りだ。

 どうにも、副作用の方にはあまり意識が向いてなさそうである。


「テメェの持ってる馬鹿げた魔導具を出しな。

 その不良品のおかげで、テメェが歩き回った先々で倒れてる奴が出てるぞ」

「え?」


 驚いたような顔をして、シノンが腰元にある鞘に入った大振りのダガーのようなモノに触れる。


「……この痩せる魔剣は手放したくないんだけどな」

「その魔剣がどういう作用をしてるか知らねぇが、無関係なヤツが唐突な空腹感と飢餓感に襲われて倒れてるんだよ。とっとと出せ」


 一歩、バッカスが踏み出す。

 シノンは半歩下がりながら、歯ぎしりをした。


「この魔剣のおかげで痩せれたんだッ! この魔剣は、手放せねぇ!」

「はッ! 他人を犠牲にしたくだらねぇ道連れダイエットなんぞして喜んでんじゃねぇぞシノン! 語り笑いの名手って肩書き、返上した方がいいんじゃねぇのか?」


 さらに一歩、バッカスが前に出る。

 さらに半歩下がりながら、それでもシノンは負けじと言い返した。


「は、腹が減るだけならいいだろッ! 痩せたいと思えば痩せれるんだ! そんな魔導具、他にないだろうッ!?」

「腹が減った挙げ句に、人間同士で共食いを引き起こすかもしれなくてもか?」

「…………ッ!?」


 パクパクと、口だけ動かして言葉がなくなる。

 両手を力なく落としたことで、バッカスはシノンが観念してくれたのかと、安堵する。


 だが――


「いやッ、やっぱダメだ! 手放したく、ないッ!!」


 ――シノンはそう叫ぶと同時に、どこからともなく四つの鉄線を取り出した。


 両手それぞれに一つずつ。そして、開いた状態でシノンの近くに浮遊して、くるくると回転しているモノが左右に一つずつ。


「本気か、シノン?

 俺とは仕事も、考え方も違うお前だが、語り笑いを通じて国に世界に笑顔を増やしたいっていう信念は、尊敬してるんだぜ?」


 バッカスも、収納の腕輪から魔噛を取り出す。


「おれはッ、どうしてもッ、手放したくないッ! 手放せないッ!」

「そうかよッ! なら無理矢理取り上げるだけだッ!!」


 二人が睨み合いながら構える。


「ちょっとちょっとッ! 事務所の中でおっぱじめちゃうワケッ!?」


 ムーリーが慌てて、コーラルとロティの元まで下がる。


「あの二人が本気になるとだいぶ危ないのよね……どうしようかしら」


 持ってきていた自分の剣に触れながら、ムーリーが本気で困っているうちに、バッカスとシノンの戦闘が始まるのだった。


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