第20話 第三章 蠢く影が表に出る時③

 ――その日は、空が朝から不機嫌に曇っていた。夜になっても厚い雲は移動をせず、王様のように傲慢に月を隠し睥睨している。


 遠雷が轟き、道行く人々の顔も心なしか陰っていた。


 ヒューリはそんな人々に混じって道を歩む。


 彼が住まうつがい街は、アース有数の大都市として世界にその名を轟かせている。


元はどこにでもある都市に過ぎなかった。しかし、ここまで発展したのは、ゲートが近場に発生したことに加え、次元貿易を生業とするディメンション・スマイルのホームがあるのが理由としては妥当なところだろう。


 右を見れば、左を見れば、至る所に都市開発が継続中であることを示す工事が行われている。日々変貌する街の在り方は、成長したいと願う子供のように無邪気なのかもしれない。


 ――もっとも住んでいる側からすれば、新たなものが完成することは良い面もあれば、悪い面もあるわけだが。


「ふん」


 ヒューリは鼻を鳴らす。昨日まで通行可能だった場所が通行止めになっている。生まれてからずっと住んでいる街だから、こんな不都合は慣れっこだ。


 しかし、面倒だ。この脇道が通れないのならば、一度大通りに戻って大回りしないといけない。


 こっちは仕事で疲れてるのによ、と愚痴りながら引き返す。人通りの皆無な脇道から大勢が歩む大通りへ。


「ん?」


 大通りに足を踏み入れたヒューリは、戸惑ったように一歩後ろに下がった。人が多いのは、大通りだから当然だ。しかし、彼を囲うように群れる二十人もの人垣は奇妙だ。


 次元決闘のファンか、と思ったがどうやら違うようだ。手に持ったレコーダーやカメラが、名刺や名札よりも如実に彼らの正体を証明している。


「次元決闘者の永礼 ヒューリさんですよね」


「お父さんのことでちょっとお話伺いたいんですけど」


 カメラのフレッシュがたかれる。


 ああ、またかよ、とヒューリは内心の不満を無表情の下に隠し、素知らぬ顔で引き返す。


「待ってください」


 と追いかけてくる声と足音。ヒューリは、足音を派手に鳴らしながら元来た道を歩む。


 しばらく進むと、先ほどの通行止めに行き当たる。後ろで鼻笑いが聞こえた。


「ヒューリさん、もう逃げられませんよ。少し話を聞くだけじゃないですか」


 記者の指摘は正しい。左右はマンションの壁がそびえて逃げ場などない。


 ヒューリは、観念したように足を止め、両手を上げる。


「ホールドアップって……あの、私たち警察ではありませんよ」


「もしや、お父さんみたいに後ろめたいことでもあるんですか?」


 蔑む笑いが巻き起こる。


 ヒューリは、何も語らない。ただ無言で、自身の左手首に巻かれた腕時計を指差した。


 記者たちは、口角を上げたまま、吸い込まれるように腕時計に視線を向ける。


「おい、お前ら。これに凄い秘密があるんだぜ」


「え、それはどんな」


 ――うわ!


 記者たちの驚いた声。ヒューリの腕時計が、激しく発光し、視界を奪われたのだ。


 時間にして数秒ほど。しかし、記者たちが目を開けた時、すでにヒューリの姿はなかった。


 ※


「ふう」


 ヒューリは、マンションの屋上から地上で慌てふためく記者たちを眺めていた。


 護のように超人的な身体能力はないとはいえ、彼とて過酷な修練を積む次元決闘者である。軽業師のように壁を蹴り、外壁のパイプを伝ってよじ登るなど朝飯前だ。


 眼下で、記者たちが「あっちだ」と見当違いの方を指差し走り去っていく喜劇が披露されている。


 二か月前に、オールワールドフェスティバルが中止になった頃から、彼らはヒューリに付きまとうようになった。理由は、イワサにあるのだろう。


 イワサは、麻薬の使用を未然に防げなかったとして、各異世界から大バッシングを受けている最中だ。バッシングの中には、正当な言い分もあれば、尾ひれのついた噂までよりどりみどり。


 記者としては、少しでも新情報を獲得して、世間に注目されたいのだろう。


 ヒューリは、疲れたように息を長く吐いた。


「まったく、親父のことなんざ知らねえっての。しばらく顔はおろか、連絡すらしてねえって」


「察してあげてください。あなたのお父様は、大変な窮地に立たされているのです」


 落ち着いたアルト声が、夜闇から手を伸ばすように聞こえた。


 ヒューリは、妙な声を上げそうになったが、すんでのところで抑え、後ろを振り返る。


 ――闇の中で光を放つような美がそこにあった。


 年のころは二十代後半ほど。ダックスフンドに似た垂れ耳に、ウェーブがかった亜麻色のセミロングヘア。無機質な白い肌に切れ長の青い瞳が、冷たい印象を感じさせる。


 緑の刺繍が入った赤いドレスは、露出が少ない。しかし、しなやかな体のラインが香るような色気を漂わせている。


彼女は、上品な動きで一礼した。


 どこか貴族の令嬢を思わせる所作。……ヒューリは、アニ人の女を眺め、「ああ」と声を上げた。


「あんたはたしか、親父の秘書だったよな」


「はい。こうして言葉を交わすのは初めてですね。私はバルロッサと申します。以後お見知りおきを」


 優雅な動きで、彼女は再度頭を下げる。


 ヒューリは、居心地悪そうに身じろぎし、ぶっきらぼうに尋ねた。


「何の用?」


「……少々お待ちください。――静かに静かに眠りたいの。だから、どうか静謐なひと時を私にくださいな。【シークレット・ラ・ヴ】」


 バルロッサが、唇に人差し指を当てる。


 まるでそれが合図であったかのように、音が世界から消えていく。


「これは……」


「無音魔法です。大気中に満ちる母なるスーのマナ、失礼。アースでは、ナチュラムマナでしたね。魔力を込めた言葉で、ナチュラムマナに干渉し、周囲の音と逆位相の音を生み出すことで、無音の空間を作っているのです。ここならば、どれだけ大音量で叫ぼうが、誰にも聞かれません。カラオケでもしてみます?」


「やらない」


「どうしても?」


「いや、いいって」


「後悔しますよ。カラオケ、楽しいのに……」


「いらねーって。なんで、そんなにカラオケ推してくんの? 業者の回し者か!」


 キョトン、と不思議そうな顔でバルロッサが首を傾げる。


(雲みたいな女だな)


 とヒューリは、頬を掻いた。


「……残念ですが、時間もないことですし、話を進めます」


「へいへい。誰かさんのせいで時間が消費されたしな」


「? それは残念です」


「おいおい」


「? まあ、いいです。実はお話がありまして」


「ああ、はいはい」


「まだ何も」


「親父とラーラのことだろ」


 ヒューリは、冷えた感情を瞳に灯し、バルロッサを見つめる。並の人間ならば、これで委縮するはずだ。


 しかし、彼女は、たじろぐ様子もなく感心したように頷いた。


「素晴らしい。イワサ様がいうほど、あなた様の頭は悪くありません。むしろ明達と言っても良い」


「別にそこまで持ち上げるもんじゃないさ。親父は記者連中に追いかけまわされる状態で、身動きさえできない。いや、それどころか、大会中止になったことに腹を立てたどこぞの異世界のお偉方が、殺し屋でも雇っているかもしれねえから、今出歩くのは、自殺行為だろうな。


――でも、ラーラは待ってくれない。


 オールワールドフェスティバルの中止は、恐らく布石だ。何かをしようと企んでいる。けど、あいつらはしばらく表立った行動をとっておらず、わけがわからない。


困った親父は誰かに手助けを頼みたいと思うだろう。ああ、しかししかし、誰が敵だかわからない。スパイもてんこ盛りでいるだろうしな。じゃあ、身内にってなるのは自然な話さ」


「まさしく。そこまでご理解いただけているならば」


「嫌だぜ」


 場が凍り付く。冬空の凍える寒さも、その寒さには参りましたと降参するかもしれない。


 バルロッサは、呆然と目をしばたたかせた。


「お父様の危機ですよ?」


「だから? 俺は親父が嫌いだ。困っていようが知ったことか。うちの社長が依頼を受けたから前は手助けしたまでのこと。まあ、もっとも前の依頼は継続中らしいから、小鞠がやれっていえば、俺は動かざる得ないが……ああ、クッソ。早く本題に入ってくれ」


「は、はい。実は、気を付けろ、とイワサ社長から言付けを頼まれていまして」


「ハア? 話ってそれ? わざわざそれを伝えにあんたはきたのか」


 バルロッサは、吹いた寒風に揺れ動く髪を片手で押さえつける。ただのありきたりな動作だが、この女はやけに様になっている。


 親父の奴、業務中に鼻を伸ばしてるんじゃねえか、とヒューリは邪推し、一人ほくそ笑む。


「何か?」


「いや? で、気を付けろって意味は?」


「ご存じかと思いますが、ラーラの社長、シルビアは、オールワールドフェスティバルにおいて、麻薬のバラまきに関与している可能性があるとして、当社主導で関係各所に働きかけ、逮捕するつもりでした」


 ヒューリは頷く。


 異世界が繋がって以降、あらゆる次元犯罪が発生している。次元犯罪とは、異世界を跨いで生じる犯罪のことだ。異世界間での麻薬密輸、違法な武器の取引、異世界にいる傭兵への殺人依頼等々、新たな世界同士のつながりは、新たな悪を呼び覚ますものなのだ。


 現状、その悪を裁く存在がいない。価値観の違い、法の違い、文化レベルの違い、あらゆる差異が、異世界間を跨いで機能する異世界警察、と呼ぶべき機関の設立を排斥している。


 だが、不義を見逃しては、生活が立ち行かなくなるのは道理。どの世界においても、人の営みを守るためには、人を法で、ルールで縛るしかない。人類は頭が良いが、縛らなければ簡単に悪へ染まる危険性を秘めた生き物だから……。


 ゆえに異世界中に名を轟かせるディメンション・スマイルが、代わりに異世界警察の代わりを担っている。各異世界の主要機関・人物たちと協力して、あらゆる悪行を防いでいるのだ。


「しかし、なぜか開催国であったエーアをはじめ、いくつかの異世界の重鎮たちが、シルビア逮捕に難色を示したのです」


「どうして?」


「理由は、証拠がないだとか、この機にライバル社に汚名を着せて潰そうとしているだとか、散々なものです」


「それは、妙な話だな」


 ヒューリは、白い息を吐いた。


 オールワールドフェスティバルの中止は、参加した異世界にとっての痛手である。当然、麻薬を広めた疑いのあるシルビアは逮捕するのが道理だろう。


 ヒューリは、頭の中で考えを整理しつつ、言葉を吐きだす。


「……大会中止以上のメリットが、シルビアから提示されたか? うん、それが妥当かもしれない。あの女は、異世界でも有数の大企業の社長だ。異世界貿易で得た利潤は並大抵のものじゃないだろう。


 ……それを活かした、つまり金で釣ったか? でもよ、金だけで世界が動くか? もっと何か大きなメリットが……あー、分からん」


「それについては、イワサ社長もまだ掴めていないとのことでした。……ですが」


 言葉がそこで止まる。ヒューリは眉を顰め、続きを促す。


 彼女は、苦い物を食べたような顔になった。


 なんとなくだが、良い話ではないと思う。ヒューリは、心にかかる負荷を予想してどっしりとした心構えで次の言葉を待つ。


「実は裏切り者が、エンチャント・ボイスにいる可能性あり、ゆえに気を付けろ。そう、社長はおっしゃっていました」


 予想するために構えた心の盾は、あっさりと砕かれた。……ハア? とあきれたような声が零れた。膝は面白おかしく笑う。


「おい、何の冗談だ?」


「冗談、ではありません」


「冗談に決まってんだろ! 何の根拠があってんなこと言いやがる!」


 バルロッサは、息を呑む。だが、臆さずにヒューリの瞳に真っ向から立ち向かってくる。


「……落ち着いて聞いてください。先ほどあなた様がおっしゃったように、社長の命は数多の殺し屋に狙われています」


「そう、だろうな」


「ええ。社長ご自身が、かなりお強い方ですので、殺し屋が来ようが問題はない。……普段ならば。でも、おかしいのです」


 バルロッサは、眉を顰めた。


「社長は、誰が敵か分からないからこそ、あなた様がいらっしゃるエンチャント・ボイスと私にだけご自身のスケジュールを共有していました」


 ああ、そういえば。その話に、ヒューリは心当たりがあった。


 小鞠とイワサは、自身と部下のスケジュールを交換し、互いに何かあった時はすぐさま救援に迎えるように準備をしている。そういう、話をしていたはずだ。――ヒューリは、イワサの話が出た時点で、まともに耳を傾けるのを止めたためうろ覚えだが、間違いないはずだ。


「その状況であれば、たとえ当社の中にスパイが潜り込んでいたとしても、社内に情報を共有していない以上、完全にこちらの行動が筒抜けになるはずはない、と踏んでいたのです。外出の時は、なるべくコッソリと抜け出していましたし。……ですが、社長は行く先々で殺し屋に襲われた」


「単に雇われた殺し屋の数が多かったから、出くわすことも多かったんだろ」


「いいえ。社長が通るルートに地雷が仕掛けられていたり、遠距離から狙撃されたりしました。それらは、事前に社長がどこに向かい、どのルートを通るのか予測できないと不可能な芸当でしょう。そして、計画を立てるためには、社長のスケジュールを知っておかなければならない」


「……それで、俺らしか怪しいのはいないってか」


 悔しいが、完全否定する材料がない。ヒューリは、強く舌打ちした。


 バルロッサは、苦しそうな顔で彼を見つめている。冷たそうな印象を受ける見た目をしているが、意外と中身は優しい女性なのかもしれない。――そうは思っても、優しく応じられるほど、ヒューリの心中は穏やかではない。


「あの、ヒューリ様」


「あ?」


「社長は、自分の身を案じていろ……とおっしゃっていたのです。ご自分の身よりも、あなたの身を心配しているのです」


「どうせ、未熟だからって言いたいんだろ」


「いいえ。あなた様が大事だからです」


 バルロッサは、ヒューリに歩み寄ると、縋るように肩を掴んだ。


「イワサ様は、不器用で厳しい方です。でも、ちゃんとあなた様の父親としてあなたを愛してらっしゃいます。どうか、それだけは分かってあげてください」


 カッとヒューリの頭に血が上り、咄嗟に手を払いのけようとする。――だが、彼女の瞳に光るものを認め、彼はゆっくりと離れるにとどめた


「……あいつは、事あるごとに俺を殴り、罵倒する。それが、愛のカタチだというのか?」


「そうです」


「即答だな。あんたはあいつを信じているんだろう。……でも、俺はあんたほどあいつを信じられないよ。仲間のほうが信じられる」


 ヒューリは、歯を食いしばる。……自分自身信じられないが、子供のように瞳に溜まるものがある。まったく、未熟にもほどがある。ヒューリは、そっぽを向き、彼女に見えないように涙を拭った。


「ヒューリ様……」


「ん、もう良いだろ? 俺は行くよ。……忠告はいちおう聞いといてやる。けど、親父に言っておけ。あんたの会社と違って、俺の会社は信じられる奴ばっかりだってな」


 返事も聞かずヒューリは走り去った。


 無音魔法の効果範囲外に飛び出した瞬間、街の喧騒が帰ってくる。――ああ、今はこの喧騒がありがたい。


 ヒューリは、己のうちに湧き上がる感情に名前が付けられないまま、街をひた走った。

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