第19話 第三章 蠢く影が表に出る時②

「用件って何かな?」


 警戒心を込めた低い声音。それは、カルフレアの口から発せられている。


 薄暗い倉庫は、天窓から差し込む陽光で埃が煌めいていた。周囲に散乱する何らかの機械部品のせいか、室内はオイルのようなニオイが漂っている。そのニオイに混じって、蕩けさせるような甘い香りがカルフレアの鼻腔をくすぐっていた。


 いつもの彼であれば、その匂いを嗅いだ瞬間、美女がいると直感。だらしなく鼻の下を伸ばし、恋人のように歯の浮くセリフを並べていただろう。


 しかし、そんな気にはとてもなれない。


 カルフレアの手には、真っ赤な花束ではなく、無骨なライフルが握られており、油断なく眼前の女に向けられている。相手は、妖艶に笑う女。――シルビアだ。


「用件の前に、まずはそれを下ろさんか。銃を向けるなど、女性の扱いがなっておらぬではないか。女遊びが得意そうな顔して意外と不得手か?」


「あのね、俺だって相手は選ぶさ。お前さん、オールワールドフェスティバルで起きた事件の重要参考人なんだよね」


「ほう? それは異なことを。ワッチは何もしとらんゆえ。フフ、それにそっちのほうは、すぐにどうとでもなる」


「ん? どういう意味かな」


「気にするな。そんな益体のない話よりもビジネスの話をしようではないか」


「ビジネスねえ。それが素敵なラブレターを使ってまで俺を呼び出した理由なわけだ」


「そうだ。理由を聞けば、きっと、気に入ってくれると思うゆえ」


 カルフレアが目を細める。


 状況は、限りなく最悪と言えた。近場に窓がないせいで見えないが、倉庫の外からは何十人もの気配がしている。一体どこにそれだけの大所帯が隠れていたのかと、感心さえしてしまいそうだ。


(ああ、俺の馬鹿!)


 後悔先に立たず。――時間にして約三十分前のこと。『あなたのことが大好きです。直接会ってくれませんか? 会ってくれないとショックで良からぬことをしてしまうかも』といった内容のラブレターが机の上に置かれていた。スマホをはじめとする文明の利器が幅を利かせてはいても、手紙は大切な想いを伝えるツールとして失われることなく、今日を生き抜いている。


 ファンレターや恋文が届くことなど、次元決闘者にはよくあること。ましてや、カルフレアは稀代のプレイボーイ。


 ――やれやれ、モテる男は辛いぜ。


 口元に薄く笑みを湛え、彼はスキップしそうなテンションで、手紙に記された場所へ赴いた。その結末がこれである。


 カルフレアは、ジトリとこめかみから流れた汗を悟られぬように、静かな口調で問う。


「じゃあ、話してもらおうか」


「よろしい」


 シルビアは、唇を舌で湿らせてから話し始めた。


 話の内容は実に簡潔であり、一分ほどで彼女は話し終える。


「君、正気か?」


「本気だとも。返事は急がない。だが、早い方が賢明だえ?」


「どういう意味だい?」


 シルビアは、手首のアンクルを操作し、立体映像を映し出す。


「ふざけるな……」


 カルフレアは、自身の胸をギュッと掴む。血が沸騰し、目の前が真っ白になった。


映像には、薄暗い倉庫のような場所で鎖に繋がれたグリフォンが映し出されていた。


「彼女に何を!」


「安心しろ。どこも怪我をしておらん」


「貴様ぁ!」


「落ち着け。話は簡単だ。この状況、お前が出す返事は一つしかない。相手が有利な時は、素直に従うのが最も被害が少なくて済む。……さあ、返答は?」


 カルフレアは、荒々しく呼吸をしていたが、ピタリと息を止め、引き金を引く。


 残響するライフルの銃声。シルビアの頬が僅かに裂け、血がぬらりと垂れた。


 入り口から兵士が数名入り込もうとするが、シルビアは問題ないと一蹴する。


(なんて、女だ)


 カルフレアは、喉を鳴らす。


 彼女は、確かに死を予感させるには十分すぎる一撃を間近にした。しかし、些事と断ずるが如く冷たく微笑したのだ。


「……危ないではないか。しかし、殺さなかったところを見ると、己が立場を理解しているようじゃの」


「ああ、悔しいけどね。……クッソ、わかった。提案とやらを受けるよ」


「フフ、賢い判断だ」


「何が賢いだ。判断も何もない。ふうう、惨めだ」


 鋭い鳴き声が聞こえる。映像の向こうで、グリフォンが叫んでいるのだ。人の言葉ではないが、カルフレアは寸分の違いさえなくグリフォンの嘆きを理解した。


「ごめん、頼りなくて。ごめん、守ってあげられなくて」


 カルフレアは、空間に浮かぶベガサスの姿を撫でながら、歯を食いしばった。


「俺は、この子を元に戻すまで止まれないんだ。だから、人でなしになっても構わない」


「ほう、やはりワッチの目は間違いではなかった。お前は大事な者のためならば、他を犠牲に出来る人間だ。そういう人間は、信頼ができる」


「お前さんの言う信頼は、利用できるって意味だろう。忠告するよ、シルビア。信頼と利用を取り違えている限り、いつか痛い目を見る。これは絶対だ」


 死刑宣告をするように、カルフレアは人差し指を女に突き付ける。対する豪奢な女は、瞳を逸らすことなくモデルのように細くしなやかな両腕を羽のように広げた。


「ほう、それはけっこう。感動的な忠告痛み入る。では、段取りを決めようぞ」


 シルビアはしゃがみ込むと、地面を二度タップした。僅かな振動と控えめな音。ぱっくりと地面に穴が開いた。


 カルフレアは少しだけ歩み寄り覗き込むと、地下へ続く階段が見えた。


「帰らぬ少年……」


彼の出身世界である【エーア】に伝わる伝承だ。少年がいなくなった母を求めて探していると、暗き穴を見つける。彼は根拠もなく、ここに母がいると思い込み入っていくと、いつの間にか死の国へ辿り着いてしまう。もう彼は生きては帰れない。


 後先考えずに行動すると手遅れになる。そんな愚かさを戒める寓話。


(今日の出来事は、分水嶺になるな)


 予感を握りしめ、カルフレアはシルビアに続いて地下へと下りて行った。


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