第13話 第二章 奮闘⑧

 ――午後三時、【カナリア】の裏路地にて。


 建物と建物に挟まる形で存在するそこは、人がにぎわう表通りと異なり静謐さが佇んでいる。


 人通りはあまりなく、たまに野良のネーラ(猫に似た角の生えた魔物)が通り過ぎていくだけ。エーア特有の心地よい陽光は、この場所においては些か魅力が減じているように思える。


 そんな歩く価値など見つけられないような場所に、二人の男が向き合う。


 一方は、スーツ姿のイワサだ。銀縁眼鏡の奥に控える目は、いつもよりも鋭さを増している。泰然とした態度を崩さず、手は腰に下げた刀の柄に添えられていた。


 もう一方の異様な恰好をした男は、呆然と立っているだけだ。焼けたローブを身に纏い、浮浪者のようであるが、両手を覆う黒手袋や手首のアンクルは超一級品であり、妙なアンバランスさがある。


 しかし、武道の心得がある人間であれば、見かけの異様さよりも別のところに注意が向くだろう。


(こいつ、人間か?)


 イワサの額から汗が一筋流れる。


 気持ちが悪い。それがイワサの率直な意見だ。


 得体の知れぬ幽鬼さとは裏腹に、空間を侵食するような巨大なる殺意は隠す素振りさえない。


イワサは、額の汗を拭おうともせずに問いかけた。


「貴様、何者だ?」


「ほう、どう答えたものかのう。……リベンジマンとだけ名乗っておく」


「ふざけた名前だ」


「ひどい言い草だのう。勝手に呼び止めておきながら。ただの能天気に散歩しているジジイをいじめて楽しいか?」


「……貴様とはまともに会話するつもりはない。素直に私の問いにだけ答えたまえ。最近、次元決闘者に【パンプアップドリンク】と呼ばれる新種の麻薬を配っている不届き者がいる。その人物の風貌が、どうも貴様に類似しているのだが、これはどういうことかな?」


「はて? 不思議なこともあるものだ。おおっと!」


 男の上げた大声に、イワサは目を細める。


(この男……。私の攻撃の初動を大声で制した)


 戦いは力で制するものにあらず。


 特に達人同士の戦いでは、顕著になる考えだ。相手の意図を読み、己が理に乗せてしまうことが、勝利を手にする近道である。


 イワサは、徹底的に攻撃の発生動作を隠し、ほぼ無拍子で攻撃できる技量を誇る。殺気を消しつつの斬撃。並の戦士では動けもせずに、イワサに斬られるだろう。


 しかし、制した。力ではなく大声という手段で。


 イワサの表情は、さらに硬くなっていく。


「ほほ、いかんぞ、せっかちはのう。今、斬りかかろうとしただろう?」


「何のことだか……それより、質問に答えたまえ」


「わかったわかった。ほれ」


 男は懐から小瓶を取り出すと、振ってみせた。中央は赤く、周囲は黒く輝く謎の液体が、小瓶の中で揺れ動いている。


 報告書にあった写真と一致する小瓶。どうやら本物らしかった。


「やけにあっさりと見せたものだ」


「隠すものじゃない。我の雇い主は嫌がるだろうが、我自身はお主の嫌がる顔を見たいがゆえ、むしろ積極的に見せてやりたいのよ」


「……お前と女狐は何を企てている」


「女狐、確かに、クク、あの女はそう呼ぶにふさわしい」


「質問に」


「答えぬ。それをばらしてしまうのは面白みに欠ける。人はせっかちだからいかぬ。まあ、久遠がない人には無理からぬ話か」


「……久遠がない、か。そうだ。人には永遠など過ぎた代物。だからこそ、今日を懸命に生きるのだ。その口ぶり、気配、確信したよ。貴様……人ではないな」


「……しかり。そして、そうであるがゆえに結果として復讐をせねばならなくなった身である」


 イワサの表情の硬さは、ここに極まる。


 実に奇怪で底知れぬ男。確かなことは、ここで逃がしてはならぬ一点のみ。


 オールワールドフェスティバルは、たんなる規模の大きいだけの大会ではない。


 一つに、各異世界同士の代理戦争という側面がある。異なる世界同士の交流は、言葉でいうほど簡単ではない。価値観の違いからくる差別、文化に対する無知ゆえの偏見……。頭痛の種は、数えるのが馬鹿らしく思えるほど数多く、複雑だ。


 次元決闘は、そういった問題から発生しうる戦を未然に防ぐ役割があるのだ。ルールありの戦いで、比較的安全にガス抜きをする。それが、危うい均衡をギリギリ保てている一つの要因だ。


 だが、オールワールドフェスティバルが重要である理由は、もちろんそれだけではない。大規模な大会で掴む勝利とは、金の生る木なのだ。


勝利した世界は、他の異世界から尊敬を集め、莫大の利益を得る。ゆえに、各異世界の政治を司る者どもは自らの世界の次元決闘者が勝利するように、多額の援助を闘技プロデュース社にする場合が多い。


 そして、闘技プロデュース社や次元闘技者にとっても、オールワールドフェスティバルにおける勝利は甘美である。


ゆえに生まれる悲しき必然。――勝利のために。その大義名分を得た者は、通常よりも簡単に違法行為に手を染めやすい。


 それは例えば、リベンジマンがちらつかせるこの忌まわしき麻薬。禁じられしものと知りながら、勝利の美酒を味わいたいがため、手を伸ばす者もいるのだ。


 イワサは、静かに息を吐き、闘志を高めていく。


「その麻薬を渡せ。これ以上の狼藉行為を見過ごせば、大会の存続が危ぶまれる。いや、それどころか、麻薬を使った選手に負けた異世界が、黙ってはいないだろう。最悪の場合、異世界間での戦争になる恐れがある。オールワールドフェスティバルは、貴様が考えるよりもはるかに、重要なものだ。それを知れ、人外の者!」


 鋭きイワサの声が、裏路地に響く。まるでそれをのらりと躱すように……。リベンジマンは、ローブを揺らし笑った。


「戦……フフ、大いに結構」


「何?」


「人とは、争いを好む獣の名だ。貴様らが争うほどに、我は滑稽で胸がすく思いだ。人よ、己が身分をわきまえよ。人よ、己が醜さを自覚しろ。人よ、貴様らは生き物の頂点ではない。人よ、我が恩讐を知った時、貴様らは灰となって無様に地へと還るだろう」


「……フン、狂犬が。イカレタ妄言に付き合う暇はない」


 空は相変わらず燦燦と陽光を地に降り注いでいた。しかし、だからといって誰しも陽気な気持ちになれるとは限らない。


 イワサは、疲れたようにため息を吐いた。


 ――それは、音のない一歩だ。静から動へ。イワサは、流水の滑らかさで踏み込むと、鞘から刃を解き放った。光の軌跡を残して、刃がリベンジマンの腹部へ迫る。


「ッ!」


 しかし、手ごたえがない。振り切った刃が、美しいまま陽光を反射し輝く。


 眼前にいたはずの男は、霞のように消えてしまった。


(どこに?)


「ここだ、ここ」


「!」


 イワサは、視線を巡らせる。色とりどりの花々、土の香り、地に踊る枝の影。都市開発が進んだ世界では忘れ去られし、自然と共存した街の姿がそこにはあった。だが、肝心のリベンジマンは見えない。


 ただ、声だけが響く。聞くものを不穏にさせる声音で。


「見えぬか。未熟、未熟だの。あの男に比べれば、子供だましに過ぎんて」


「あの男?」


「察しの悪い。貴様も知るあの者だ」


「……? いや、まさか!」


「そう、貴様の脳裏に描いた者のことだ。我はあの痛みを忘れぬ。必ずや貴様ら放浪永礼流の遣い手を滅ぼす」


 風がフワリと吹いて止んだ。もう声さえも聞こえない。イワサは、刀を鞘にしまい黙考する。


 まず間違いなく、あの男とは父を指すのだろう。口ぶりから察するに、ハルカゼと因縁があるのだろうが、イワサは思い当たる節がなかった。


「……チィ、いなくなってもまだあなたに振り回されるのだな。頼むから私やヒューリに迷惑をかけないでくれ」


 イワサは歯を食いしばり、眼鏡のフチを軽く叩く。


 コール音が鳴り、すぐさま返事があった。落ち着いたアルト声は、秘書のバルロッサのものだ。


 イワサはいつも通り指示を出そうとしたが、彼女の声がそれを許さなかった。


「何? 本当か」


「はい。会場は混乱の極みでございます。相手にフィールドの制御を奪われ、中に入れません」


「馬鹿な。フィールドの制御が奪われたとしても、魔法使いが魔力の供給を止めれば良いはずだ」


「それが、連絡が取れないのです」


「裏切り、買収? それとも、脅されているのか、敵の者が代わりを務めているのか。どちらにせよ、早急に何とかしなければ。ん?」


 空に響く甲高い音。これは、フェスティバルギアの飛行音だ。空を見上げれば、蒼穹を黒い機体が横切るのをイワサは目撃する。


 ニヤリ、と彼は笑った。


「どうにかなるやもしれん」


「それはどういう?」


「我が愚息が晴れ舞台ということさ。ならば、やるべきことは決まっている」


「フフ」


「何がおかしい」


「いや、嬉しそうなお声が聞けて、私まで同じ気持ちになったのですよ」


「そうかね。……君の気のせいだと思うが」


「そうですか?」


「ああ、きっとそうだとも」


 イワサは、もう一度空を見上げ、手を伸ばした。黒き星が、遠ざかっていく。もうじき、あの星は地へと一刀を振りかざすだろう。


「それでいい。私の道とは違う、お前の道を行け。人生とは、己が歩みで切り開くものだ」


 見上げるのを止め、彼は歩み出す。己が道を歩むために。

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