♰Chapter 22:開戦前夜

そこは大鏡と無数の服が掛けられた衣裳部屋だった。


「ここで八神くんには対魔法使い用の服を選んでもらうわ」

「……ここから選ばないといけないのか?」


先程は衣服の選定もこなしてみせようという気概を持っていたが、明らかに量が常軌を逸している。

丁寧に整頓されてはいるものの、全ての服に目を通すのに小一時間はゆうに掛かるだろう。

正直服装に関しては動きづらくなければ特にこだわりはない。


「ええ、もちろんよ。これから私たちは魔法使い同士の戦いに臨むわ。その時に普通の服だと魔法に対して脆弱すぎるから機動力・防御力に優れた任務遂行用の服が必要なのよ」

「着慣れた服の方がいい気もするが」

「駄目よ。私の相棒に死なれたら困るもの」

「……オレが選ぶんじゃなかったのか?」


水瀬は心なしか楽しそうにオレの服を選び始めている。

この年頃の少女は服選び一つ取っても胸躍るのだろう。


オレが窓際で見守っている間にもてきぱきと様々な服――明らかにふざけているとしか思えないクマの着ぐるみなどもあった――の中から黒を基調にした制服一式を見繕った。


「これで良し。八神くん、試しに着てみて。きっと貴方に似合うはずだから」


自信満々に言われてはこちらもおいそれと断ることはできない。


「分かった。着替えるから少しの間、席を外してくれ」

「ええ。でも逃げないでね?」


濡れ羽色の長い髪を揺らし、少し首を傾ける。

無意識ではあるだろうが、容姿が整っているだけにその威力は絶大だ。

余談だがこの衣裳部屋には二つの出入口があるため、彼女はそれを指して言ったのだろう。


水瀬が退出するとオレはすぐに着替え終え、大鏡の前で自身の姿を確認する。

よく見れば限りなく透明に近い薄い線が走っているようだ。


「それは『魔力回路』よ」


図ったかのように彼女が扉を開け部屋に入ってきた。

一人で住んでいる家に男を住まわせたことといい、オレを同性の友達かなんかだと思っているのではないのだろうか。


「オレが着替えている最中だったらどうするんだ?」

「別に気にしない、私は」

「オレが気にする」

「意外と乙女?」

「……それならお前は狼だな」


水瀬は口元を手で隠すようにして笑った。


「ごめんなさい。八神くんの反応が面白くてつい。ええ、もうしないから」

「そうしてくれ。それで『魔力回路』と言ったか? オレが魔法使いになる時にもそう言っていたが、魔法使いの肉体だけでなく無機物にもそんなものがあるのか?」


オレは衣服の上を規則的に駆け回る半透明な薄い線を示す。

わずかに魔力の微粒子が滲み出ているようにも感じる。


「そうよ。『魔力回路』は魔力を通す道筋のこと。そしてそれは八神くんを守るためのもの。少し試してみましょうか」


水瀬はオレとわずかに距離を開けると指を鳴らす。

すると鮮やかな紅の小火球がオレの身体に直撃する。


「ッ――」


反射的に躱そうとしたがその必要はなかったようだ。

身体を見回しても小さな火傷の一つさえない。


「ほらね? 今みたいな些細な魔法なら簡単に防いでくれるのよ。そして――」


薄く見えていた『魔力回路』がその姿を消していく。


「さっきまでは貴方の魔力の波長に合わせている最中だったから見えたけど今は順応して見えなくなったでしょう? これでその服は貴方の一部になったのよ」

「なるほどな」


次いで水瀬はこの部屋のもう一つの扉を解放した。


「次は八神くんに『EA』以外のアーティファクトを選定してもらうわ」


部屋に入るとそこは奇跡を体現する場所だった。


浮遊する煌びやかな宝石に、魔力回路が駆け巡る盾。

淡く光る短剣に太陽のレリーフが施された石板などの数々。


「アーティファクトは文字通り工芸品ね。なかには強大すぎるその力からオーパーツと呼ばれるものもあるわ。いずれにせよ、人間がその営みを始める以前から今に至るまでの知恵と努力の結晶よ」


水瀬は棚の上に置いてあった小さなイルカのブローチを手に取った。


起動トリガー・オン


すると空中に二匹の小さなイルカが浮き上がる。

虚空をくるくると泳ぎ回ったあと、そのイルカたちは跡形も消えてしまう。


「こんなふうに魔力を流してから起動というだけで使える道具よ。今のはだいぶ最近に創成されたものなうえに娯楽に特化した『魔術』だけど、他にもたくさんあるから役立ちそうなものを選ぶといいわ」

「一つ、質問いいか?」


水瀬が頷くのを見て口を開く。

これは前々から気になっていたことだ。


「根本的なことなんだが、『魔法』と『魔術』の違いってなんだ?」

「『魔法』は大気中の魔力や私たち自身の生命力を使って直接顕現させるもの、『魔術』はアーティファクトや呪符といった何かしらの形ある媒体を使って行使されるものとされているわ」

「なら水瀬の使っている大鎌に固有魔法が合わさったらどっちになるんだ?」

「大鎌はアーティファクトじゃなくて魔力による具象化だから魔法ね。魔法使いも魔術師も起こす事象自体は現実離れしたものだけど、その具現の手順が少し違うの。これで貴方の質問に応えられているかしら?」

「ああ、すまない。続けてくれ」

「なら本題に戻るけれど、八神くんはどんなアーティファクトが必要だと考えているかしら?」

「そうだな……水瀬はどんなアーティファクトを装備しているんだ?」


水瀬は計三種類のアーティファクトを並べて見せる。


一つは、ブローチだ。

白銀で縁取られ、中央部には水瀬の瞳と同じく澄んだブルーが輝いている。

一目で一級品のものと判別できるくらいに繊細に作り込まれている。


一つは、三本セットの短剣だ。

魔法と接してから日が浅くとも多少の魔力はオレにも感じ取れるようになった。

これ一本で壁の一枚は容易に貫徹できるだけの威力が込められていそうだ。


一つは、水晶だ。

ロゼンジカットが施されており、一層の美しさがある。


「このブローチは八神くんの衣服と同じような役割で、私をある程度のところまで魔法から守ってくれるの。隣りの短剣は自動追尾のルーンが刻まれたアーティファクトね。そして最後の水晶はもっとも重要かもしれないわね。魔法には基本的に回復系統が存在しないの。だから傷を負ってしまえばそれは時間をかけて療養していくしかない。いいえ、魔法で作られた傷は普通の怪我よりも治りが遅いわ。貴方が以前に経験したようにね。でもこの水晶は希少価値が高い代わりにの傷を完全に塞いでくれるのよ」

「表面上?」


気掛かりな言い回しに思わず聞き返してしまう。


「そう、表面上。この前みたいにほぼ治りかけの傷なら大丈夫だけど付きたての傷の場合はその表面上の皮を再生させるだけなのよ。失血死や傷口の化膿を阻止するために使われるわ。つまり、酷い傷が水晶で完治したように見えても激しい動きをすればすぐに傷が開いてしまうのよ。それでも持っていて損はないわ」


そこでオレはあることに気付いた。


「……もしかすると東雲の傷は完治したんじゃなく、その水晶で表面上を取り繕っただけだったのか?」


もしそうなら完治していない東雲を魔法の修練に付き合わせてしまったことになる。

そうと教えてくれなかったあたり、彼女は我が強い。

そして水瀬も口を挟まなかった――いや挟めなかったというべきか。


「朱音は自分の弱みを見せるのが下手だから。ああでも私から朱音のことをばらしたわけじゃないからね?」

「やっぱりオレに怪我が完治していないことを黙っているように言われていたのか」


伊波に加えて東雲にもことさら厚い礼を言っておくべきだったな。

だがそれもこれも隠し通そうとした彼女が悪い。


この話は後々返すとして、アーティファクトに視線を巡らす。


有用とはいえやはり多くの物は所持していたくない。

重量がかさめば動きは鈍くなる。

ゆえに望むべくは小さくて軽いもの。

それでいて不慣れなオレでも扱いやすいものだ。


「その水晶のほかに暗器みたいなものはあるか?」


水瀬は棚の引き出しを開けると数本の鉄針を手渡してくる。


「これは投げ針としても使えるけど、起動すると長さが身の丈ほどまで伸びるわ」

「それはまた常識外な代物だな」


そんなもので貫かれたら死は必定だ。


「二種類だけで大丈夫? 他にも希望があれば言ってね」

「これだけで十分だ」

「欲がないのね」

「欲がない、とは違うと思うぞ」

「そう。なら今日はそろそろお開きにしましょうか」


オレはやはり水瀬の異変が気に掛かった。

やけに軽いやり取りが多く、まるで何かを隠したいあるいは打ち明けたいことがあるのかと邪推したくもなる。


彼女はオレの前を横切って部屋を出て行こうとするが、言葉をもってそれを制止する。


「何か言いたいことがあるんじゃないか? それともバルコニーでの会話が糸を引いているのか?」

「……どうして?」

「態度を見れば大体分かる。憂いは任務の前に絶っておくものだろう。無理にとは言わないが話してほしい」


少しの間があって水瀬は振り返り、オレの瞳と青色の双眸とが正面から交錯した。


「八神くんはどうして冬のあの日、助けてくれたの?」

「人が困っていたら助けるのは当然だろう?」

「……そういう建前の話じゃなくて。それ以外の答えよ。どうか聞かせてほしいの」


真剣な眼差しが痛いほど身に刺さる。

伊波のようにオレが裏切るのではないか、そんな疑心暗鬼の状態にあるのかもしれない。


「……あの時は気付かなかったが、あれから少し考えたことがある」


オレの脳裏に一月のあの日、水瀬が氷を操る魔法使いと戦っていたことが克明に思い出される。


「オレが見た限り、あの氷装の魔法使いと水瀬はほぼ同等の力を持つように感じ取れたんだ。だがその実お前は劣勢に立たされていた」

「貴方の見立て違いだった、とか?」

「いや、違うな。あのときあの時点において、間違いなくお前と氷の魔法使いに明確な差はなかった――ある一点を除いてな」

「それは?」


その答えはすでに水瀬の中にある。

それでも言葉を欲するなら迷いなく言い切ることが彼女のためになる。


「水瀬はもう理解しているはずだ。お前は任務を遂行することよりも自分を優先した。いや――生きることよりも死ぬことを選んだというべきか。だからその一点においてのみ圧されていたんだ」


どんな些細な勝負でも勝ちたいと願うなら相応の気迫が籠る。

氷の魔法使いにはそれを感じたが水瀬の方にはそれを感じなかった。


「お前のさっきの話を聞いて確信したよ。大切な仲間を手に掛けてしまった負い目から自暴自棄になっていたんだろう?」

「仮にそうだとして、なぜ八神くんは手を差し伸べてくれたの?」

「オレはただ、お前に死んでほしくなかっただけだ」


嘘は吐いていない。

だが純粋に善人だからそう思ったわけでもない。

オレが自身の贖罪のために彼女に加勢したことは言わなくてもいいことだ。


今度はより大きな間が空く。

オレにとってはあまりいい空白ではない。

やがて水瀬はゆっくりと一歩後退した。


「……それはいきなりの告白ということ?」

「絶対に違うな。オレはお前に他人と同じくらいの興味しか抱いていない」


任務を除いてオレが他者に抱く興味はゼロ。

つまり水瀬に抱く興味もゼロということだ。


「ふふ、なんだか理不尽な話ね。でも死んでほしくないって思ってくれていることは素直に嬉しいわ」


水瀬は今度こそ背を向け、部屋を出て行った。

振り向きざまに目の端に映った彼女の瞳には薄く幕が張っていたような気がした。


「気のせい、だよな」


『死んでほしくない』。

こんな言葉は死線が張り巡らされた世界に生きているのならありふれたものに過ぎない。

だからこそ、そんな単純な言葉で人の心を動かせるはずもない。

ましてオレはあえて平凡な言葉を選んでいるのだから。



――……



オレは黒塗りの短刀の手入れや予備の確認、アーティファクトの確認を行った。

拳銃を持って行くか迷ったが今回は置いていくことに決める。

そして昼のうちに爆薬の設置も完了したとの一報が入っている。

これは使わないに越したことはないが用心深い姿勢が役立つ可能性はある。


――これで明日の準備は整った。


いつもは屋外で眠るのだが今日は水瀬の用意してくれた自室のベッドに眠ってもいいと思える。

悪夢を見ることは耐え難いがそれ以上に身体を休ませることを優先すべきだと判断したのだ。


ゆっくりと、瞼が落ちた。



――……



重い瞼を開けるとそこはオレの心象風景――闇と鎖が席巻する空間にいた。

悪夢は悪夢に違いないがいつものそれではない。


この空間はつい最近訪れたオレの心象の投影だ。


”やあ”


約一週間前にも聞いた中性的な声だ。

いまだ動くことすら許されない空間も二度来れば多少の慣れは生じる。


”随分と早い再会だったな”


できれば二度と会いたくはなかった。

声だけの相手に”会いたくない”も変な感覚ではあるが。

そんな皮肉を込めたオレの言葉に声は全く気にしたふうもない。


”まあまあ、そんなに嫌そうな雰囲気を纏わないでよ。実は戦いが始まる前に君に伝えておくことがあったのさ。ほらそろそろ君の前に現れるよ”


新たに出現した鎖が一本、焦らすように近づいてくる。

全力で身体を遠ざけたいが動けるはずもない。


”っ……あああ!”


それは拘束されたオレの眼前に迫ると、音もなく体内に消えていった。

駆け巡った激痛はとても心象風景のものだとは思えないほどに生々しい。


動悸が際限なく加速し、大量の汗と共に瞳孔が拡大収縮を繰り返す。


――気持ち悪い。


天と地がひっくり返るといった感覚はこんなものだろうか。

まるで他人ごとのように自分を俯瞰する別の自分がいる。


そこに一度手を打ち合わせる音が響いた。

同時に乱れた全ての感覚が正常に統一される。


”はい、これで君は固有魔法の欠片は手に入れたね。おめでとう”


乾いた音でまばらな拍手が聞こえるものの、以降はどんな変化も感じ取ることができない。


”欠片……? オレに固有魔法は無いということか?”

”いいや、君にはあるよ。それもとびきりのが。でも今の君に渡すことはできないかな。あまりにも力不足だ”


声はあはははは、と愉快そうに笑う。


”君は確かに固有魔法、その断片を手にしたんだ。今回はただそれだけを伝えたかった。何も知らずに魔法に倒れるのはあまりにも不憫だからね――じゃあ、バイバイ”


何か反応を返す間もなく現実に浮上する。



――……



いまだ夜は明けず、ガラス窓からは月光が差し込んでいる。

こっこっこっこと振り子を揺らす柱時計を見ると時刻は午前二時前を示していた。


「……いつもの悪夢にうなされなかったとはいえ、あの声と会うのも気分が悪い」


オレは冷や汗でじっとりと濡れた額を拭う。


――何も起きてはいない。


そう言い聞かせるようにして再び眠りについた。

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