✞第3章

♰Chapter 23:夜天裂きし水禍

”諜報部隊から第一区担当各位。現在、凪ヶ丘高等学校校庭にて要手配中の伊波遥斗および〔幻影〕第二位階魔法使いが交戦中。現行任務を〔ISO〕に移譲。水瀬、八神の両名は即時第五区に急行してください。”

”了解”


作戦当夜、最初の一報は二十時を回った頃だった。

日が傾き始めた頃から担当区域の哨戒を強化していたオレと水瀬に、索敵にあたっていた諜報員から作戦開始の号令が下される。


〔約定〕が動き出す時間帯の周辺に伊波が訳もなく姿を見せたはずもない。

十中八九〔幻影〕の視線を集中させるための囮だ。


だがそんなことは誰もが理解している。

罠が張られている可能性があろうと野放しにすることはできないのだ。


「予定とは違うが……水瀬、行けるか?」

「……え、ええもちろんよ」


どこか上の空な水瀬にオレは頼りなさを感じながらも早急な移動を開始した。



――……



オレや水瀬の通う凪ヶ丘高等学校は普通の高校とは一線を画している。

高校の名を冠した大学と言い換えてもいい。

それほどに敷地は広く、施設が充実している。

畢竟、出入口も多くなる。


東門、西門、南門、北門。

東西南北に設けられた四つの出入口からの侵入経路しか基本的には存在しない。


だがこちらに割ける人数が二人だけである以上、四方の門から袋のネズミにすることはできない。

何の工夫もなく正面から相手の選んだフィールドで戦うしかないのだ。


校庭に辿り着いたとき聞きなじみのある声が響いた。


「――やあ、待ってたよ。ユウ、そして八神くん」


月光が雲間から覗き、校庭の中央に佇む影の姿が露わになる。

口元を黒布で覆い、全体的に黒ずくめな装いの人物だ。


そしてその正体は――


「――伊波遥斗」


隣りの水瀬からひゅっと声にならない詰まった呼吸音が聞こえる。


オレと水瀬の反応を見た伊波は小さく何度も頷いた。


「その様子だと八神くんは僕の正体に納得していて、ユウはまだ受け入れられてないってところかな。……まあ、いいや。そうさ、僕が〔幻影〕側に潜入していた〔約定〕側の諜報員で、〔約定〕に潜入していた〔幻影〕側の諜報員の情報を漏らした張本人だよ」


その言動はいっそ清々しいまでの自白だった。

明け透けと言い換えてもいい。


――伊波は始末対象だ。


水瀬も彼の言葉に冗談ではないことを知り、それでも信じたくないと抵抗する。

理解はしていても納得ができない。

それが今の水瀬の様子から見て取れる。


「なぜ、なぜよ……! 伊波くんはいつだって一緒に戦ってくれたじゃない! 楽しそうに他の人とも話して……こんな私にも微笑みかけてくれたじゃない……‼ それなのにどうして!」


水瀬にとっては二年前の固有魔法暴発事件から救ってくれるような存在が伊波だったのだろう。

実際は分からないが、東雲のように水瀬を極端に恐れ嫌う者もいかねない。

そのなかで彼女を師事し、ある程度長い時間を共有した人間が伊波だった。


オレのように浅い関わりではなかったからこそ、深い衝撃を受けているはずの彼女に同情する。


水瀬が狼狽える様子を見て伊波はいつもの柔和な笑みを浮かべる。

だというのに、抱く印象は酷薄な暗殺者のそれだ。


「僕はユウのこと、嫌いじゃなかったよ。いつも生真面目で時折見せる笑顔が凄く綺麗だなって思ってた。うん、魔力も本当に冴え冴えするほどに綺麗だったよ。でもね、それは僕が君に師事した理由にはならない。君が心に傷を負っていたからこそ、取り入りやすく切り捨てやすいと思ったからなんだ」

「っ……」


他者への依存を高めるために最適なタイミングの一つが伊波の言う対象が弱っている瞬間だ。

身体的あるいは精神的、もしくはその両方でも構わない。

手に入れた手駒は操り人形のように動かしやすい。

一言でいえば外道の技だった。


水瀬は下向き、その手は震えている。


「ごめんね、ユウ。今は少しだけ脇役でいてほしいんだ。僕がここに来てすべてを明かす気になった目的は八神くん、君だよ。君を〔幻影〕から取り戻したいからなんだ。ねえ、アルって言った方がいいかな?」

「お前は〔血盟〕の生き残りだな」


オレの暗殺者におけるコードネームを愛おしそうに呼ぶ伊波の姿がそこにある。

すでに崩壊した暗殺組織〔血盟〕における死の象徴でもある。


握った短刀に力が籠る。


「そうだよ、かつての僕のライバル。僕のコードネームはイチ。今はなき〔血盟〕の第二位さ」

「ああ……本当にこれほど身近に敵を内包しているとは〔幻影〕のセキュリティを疑いたくもなる」

「ははは、それはそうかもしれないね。さあ、八神くん。僕はかつての君を取り戻したいんだ。今はすっかり敵を〔約定〕と思ってるみたいだけど、本当の敵は果たしてどっちなのかな?」


『心喰の夜魔』の件だけでも数十人規模の一般人から死者が出ている。

それを踏まえればこの問いに葛藤の余地はない。


「〔約定〕だ。お前たちが無差別に人を殺した事実は変わらない。そして〔幻影〕がそれを阻止しようと尽力した事実もだ。どちらが人々にとっての危険分子かは歴然だ」

「それもそうだね。正論だからこそ僕の口出しできることじゃない。交渉は決裂かい?」

「ああ」


夜闇に紛れる衣装は視認しづらく、わずかにでも意識を逸らせば先手を取られる。


「水瀬、動けるか?」

「……大丈夫よ」


水瀬は魔力を凝集し、大鎌を呼び出すとそれを構える。

だがその横顔からは動揺の色が消えていない。


「残念。ユウの相手はあっちだよ――起動トリガー・オン式神の残響サーヴァント・エコー〙」


伊波が複数の物体――獣の牙らしきものを乱雑に投擲すると小さな魔法陣がいくつも展開する。

複雑な術式が刻まれ、今から相殺することは不可能だ。


顕現したものは夜空より昏い影を纏った異形だ。

狼を異形化したようなそれらの多くは校舎へと駆けていく。


「私が彼を止める……‼ だから……行って‼」


オレは躊躇を打ち消し、異形の討伐に駆ける。

水瀬の冷静な判断力が生きているうちに決めなければ、情報でも負けているオレたちに勝ち目は薄い。


「すぐに戻る」



――……



視線の先には校庭に十体程度、外部通路や校舎内にも散発的な魔力反応を感じる。

総勢で二十は下らない不穏な気配だ。

いずれも微細な濁った魔力片を散らしつつ移動を開始している。


「完全自立型というよりは半自立型だな」


もっとも近い生き物に引き寄せられているようだった。

唯一脇目も振らない対象は伊波の周囲にいる者だけといったところか。


“ジャァァァァァアアアアア‼”

“シィィィィィィ‼”


オレは短刀で近距離にいる敵の脳天を正確に貫いていく。

遠距離にいる敵には火球を生成、繰り出すことで対処する。


奇声と共に溢れ出る生々しい疑似血液とも呼ぶべき液体が頬に跳ね返ってくるが気にする必要はない。

それは次の瞬間には清廉な魔力となって大気に消えていく。


外部通路と校庭に召喚された異形を駆逐し終えると校舎内に侵入する。


「まだ立体空間の魔力感知には慣れないが……五体、か?」


照明のない廊下を駆けながら警戒を強める。

夜の学校は昼の学校とは全くの別物だ。

まるで隔絶された世界にいるような、そんな感覚。


「ッ」

「え?」


オレが突き付けた短刀に、ぺたん、とあまりにも場違いな少女がしりもちをついた。

学校の制服、胸元の校章。


――なぜ、この時間帯に一般生徒が?


「伏せろ!」


オレの声に反応した少女は咄嗟に身体を伏せる。

瞬間に目標を捉え損ねた異形を迎撃する。


「あ、あの――」

「何も言わずにオレの後ろにいろ」

「は、はい……」


オレは守るべき荷物の手を握りつつ、油断なく周囲に気を配る。

校庭と同様、広い校舎内に出現していた魔力反応がこちらに集まってきている。


「走れ……ッ」


囲まれる前にオレは階段を駆け上る。

一階、二階……と散発的に牙を突き立てようとする異形を裂く。

三階に着く頃にはそれより上階に異形の気配はなくなっていた。


「お前が誰かは知らない。だがこのことは誰にも話さず、このまま屋上まで行って外階段から南門を通って帰れ。絶対に北門には顔を出すな」


「ありがとう、ございます」


戸惑いつつも物分かりのいい返事をした女生徒は上へ昇っていく。

遠ざかっていく足音に呼応するように一際大きな異形が姿を見せた。


「こいつが異形の司令塔だな」


それから間もなく芸もなく突貫してきたそれをいなし、腹を裂く。

他の異形とは違い、それだけでは倒れないようだ。


“ギャアアアオオオォ‼”


大きく口を開く前動作を見て、オレは嫌な直感を得た。

即座に直線上から飛び退くが黒炎が廊下と服の裾を焦がす。


「これ以上壊さないでくれ」


オレは一本の短刀を投擲し、それを追いかける形で異形を斬りつけた。


“ウルルォ……”


幾度も斬撃を受けた異形は魔力片を散らして消えた。

分析や感傷に浸っている時間はない。


「水瀬は――」


オレは咄嗟に短刀を落とし、飛び込んできたものを抱きとめた。


「水瀬、大丈夫か?」


派手な音と共にガラス片が吹き飛び、水瀬が飛んできたのだ。


――やはり彼女には仲間と認識していた人間を斬る勇気がない。


「私は平気……! でも!」

「とりあえず見晴らしのいい校庭まで下りるぞ。暗殺者に狭い屋内で挑むのは無謀だ」


オレと水瀬は事前に身体強化の魔法を付与してあるので、三階程度の高さなら無傷で飛び降りることが可能だ。

オレたちが着地するとそこには朗らかな笑顔を向ける伊波がいた。


「――八神くん、ユウは僕を殺せないみたいだ」

「ついこの前まで仲間だった……いやそう思わされていたんだ。当然の反応だろう」

「だとしてもユウが人殺しを避ける限り僕には勝てない。でもやっぱり八神くんの無機質な目を見て思ったよ――君なら僕を殺せる」

「ああ」


オレは火球を生成すると伊波に放つ。


「いいね! いつかの再戦と行こうか!」


火魔法は伊波の生成した水魔法に相殺されて消える。

オレは魔法の技術を得たばかりで、複雑な軌道は描けない。

だからこそ着弾点を見抜かれてしまうのだ。


「セアッ‼」

「ふっ!」


短刀同士、打ち合わせては回避というパターン化された戦闘が続く。

暗殺者同士の戦闘では大振りな技は存在せず、手数で勝る小技が閃くばかりだ。


「君は、君のままでいられるのかな……ッ?」

「どういう、意味だ」

「そのままの意味さ。暗殺組織の道具だった君は過ちを犯した。それをまた繰り返すの?」

「決まっている。オレは繰り返さない。もう二度と。そのために今ここにいる!」


オレが短刀を突き出そうとしたその瞬間に死角から何かが投げられる。

辛うじて生身に当たることはなかったが広範囲に散布されたそれは小さな容器に入った水だ。


「水……っ」


その認識と同時に水をまともに受けていた短刀が半ばから折れた。


「へえ……完全に見えない位置からだったはずなのにね。〔ISO〕の彼らとは一味も二味も違うってところかな」


その言葉に含まれた意味を理解できないオレではない。

だがそうなると今回の『心喰の夜魔エフィアルティス』の実行犯は二パターンあったことになる。


「オレも含めて〔幻影〕が『心喰の夜魔』と呼んでいたのはお前とアーティファクトの二パターンだったのか」

「大正解。種明かしはお互いが生きているうちにするものだからね」


伊波は残りの瓶も砕くと大気中に大量の水を漂わせる。


「固有魔法〚瞑目の水禍メディテイト・リキッド〛。水分量が九十五%以上の液体ならなんでも自由にできる魔法さ。ああちなみに〔ISO〕の彼らの装備は彼ら自身の汗で内部から貫いたんだ。どうだい? 今までの出来事のピースがはまっていくのを感じるかい?」

「……気持ち悪いほどにな。オレも水瀬もここで足止めを食っているわけにはいかない。そろそろ終わらせてもらうぞ」

「はは! できるもんならね!」


伊波の挙動が変わった。

回避と攻撃を交互に挟んでいた行動パターンが攻撃一辺倒に変化したのだ。


「ふっ!」


彼に近づけば水に触れることになり、そうなれば水の刃で串刺しだ。

いつかも見た複雑な軌道で水を散発的に放ってくる。

剣戟を交わすたびに危険な綱渡りをさせられている。


――待て。なぜ伊波は水の入った小瓶を大量に割った?


水を貯蔵しておかなくても魔力を水に変換することはできる。

それなのに水を所持するという非効率を犯していた理由。

考えられる選択肢は――


「お前の魔力量は多くない」

「……っ⁉ 意味がよく分からないな」


伊波の剣を大きく弾くと即座に短刀を心臓目掛けて突き出す。

その予備動作を見た彼は初めて切羽詰まった顔を覗かせる。


「はああああああ‼」


淡い水色の魔力片が今までになく強い輝きを灯し、それを纏った短刀が苦しい体勢から迫りくる。

そして――


伊波の腹部にオレの短刀が深々と刺さり、オレは辛うじて体勢を崩すに留まった。

大きく穿たれた亀裂の先には――


「水瀬!!」


オレの声に呼応するように水瀬が大鎌による斬撃を浴びせる。


「ごほっ……っ」


伊波の右腕は呆気なく切断され、そのまま倒れ込む。

その傷口には不吉なまでの青い軌跡が蠢いている。


「伊波くん……」


大鎌を握る水瀬の手は震えており、縋るような視線を向けていた。


「あはは……これでも勝てないのかあ……」


全ての攻撃手段を失った伊波はなぜか満足そうに笑った。

それから今まで向き合わなかった水瀬に真正面から言葉を投げ掛ける。


「ユウ、君と過ごせた時間はとっても楽しかったよ。それは……本当なんだ。でも、それを犠牲にしてでも僕にはやるべきことがあったんだ」

「そんなこと、言われても分からないわよ……。伊波くんをこの手で――なんてなかった」


消えた言葉は恐らく命を刈り取ってしまったことへの抵抗だ。

どんなに裏切られても最後まで信じたかった。

彼女はそんな想いを抱えきれずに雫を零す。


彼女の大鎌は固有魔法〚生命の破綻〛を宿した必殺の武器。

その斬撃が直撃した今、たとえ致命傷でなくとも誰にも死は止められないから。


「ほんの少しだけ、僕に八神くんと二人で話す時間をくれないかな?」


その変わらない笑顔に水瀬は唇を噛み、そして諦めたように距離を取る。

二人きりになった途端に伊波は感傷に浸るように言葉を紡ぐ。


「息、ピッタリじゃないか……」

「……暗殺はどんな手段を使ってでも目標を達成して初めて成功し、評価される」

「ああ、うん……。知ってるよ。だから恨み言なんて言わない。だけど……最期に」


伊波は赤黒い血液を吐き出し、言葉を詰まらせる。


「……これから先、君が畏怖を覚える人間が現れる。それはもう会っているかもしれないし……これから会う、誰かかもしれない。その感覚を抱いた人間こそ……君の本当の敵だよ……」


死に逝く者の戯言にしては異質なことに、これが本心から伝えたかったことなのだと直感する。

だが今の今まで敵対していた人間の言葉に耳を貸すわけにもいかない。


彼は残った左腕を広げる。

その手のひらは何を求めているのだろう。


「……オレからも最後に一つだけ。伊波ならオレの存在、その特性を知っていただろう。なのになぜ、オレに目を付けられるようなミスをした?」


オレに並ぶ暗殺者と目された人物が初歩的なミスをするとは思えない。

細かいミスが重なりすぎていたために、どうしてもそこが違和感だった。


例えば高校の屋上で出会ったとき。

潜伏なんてしなければオレが彼を警戒する度合いは異なっていた。


例えば連絡先のアイコン。

なぜわざわざ”月桂樹”などという裏切りを象徴する植物を使っていた?

暗殺者なら些末なことにこそ気を遣うことが常識だ。


例えば水魔法の修練のとき。

『これからも君と戦えることを楽しみにしている』と言った。

まるでオレと長い間一緒に戦ってきたかのような物言いは不自然だった。


極めつけは任務の詐称による自滅だ。

オレは当初伊波が暗殺者だという考えまでには至っていなかったが、疑われるようなことばかりを重ね、最後には裏切りが発覚してしまったのだ。


――早く気付いてくれとでも言わんばかりに。


「あ、はは。それは単なる僕のミス、だよ。ほら……猿も木から落ちるって言うでしょ。人間なら誰しもこんなことはあるさ……」


それから伊波はゆっくりと呼吸し、最期の言葉を残して心臓を止めた。


「君が――君たちが真実に辿り着けることを祈ってるよ」


最期の最後まで伊波は自我を貫き通した。

ここで人生の旅路を終えることに意味があったのかはオレには分からない。


それでもただ一つ。


「オレに魔法を教えてくれてありがとう」

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