♰Chapter 7:暗部の協力者

オレはほどよい時間になったため〔梟の止まり木オウル・パーチ〕を目指していた。

朝昼はカフェ、夜はバーとしても機能する店の名前だ。

知る人ぞ知るなどということは決してできないが、一度訪れればオールドな内装と音楽に魅了される人も多いだろう。

もっとも夜は一般人に紛れた裏社会に生きる者たちの巣窟であるのだが。


首都の末端にある涼しげな建物を見つけると、味のあるベルの音と共に扉を開ける。

注目されない程度に一通り見渡したところ、思い思いに酒やコーヒー、軽食を取っている客が数人いるばかりだ。


オレはマスターの正面――カウンター席へと座る。


「マスター、アイスブレーカー」


諸事情あって長らく立ち寄っておらず、とても久しぶりだ。

マスターに変わりはなく、依然として白髪頭を丁寧に整えた老紳士といった様子だ。


ちなみにアイスブレーカーとはテキーラをベースにしたカクテルの一種だ。

グレープフルーツジュースも用いるため美しい薄桃色を映し出し、その味わいはほんのり甘いと聞く。


「お客様、只今そちらは切らしております。しばらくお待ちいただければご用意できると思いますがどうされますか?」

「待たせてもらう。代わりに今日のおすすめを頼む」

「かしこまりました」


アイスブレーカーという言葉は単に酒を指すわけではない。

アイと呼ばれる裏家業に身をやつす腕利きの情報屋のことも指す。

これはオレとℐ、そしてマスターとの間で取り決めた定型暗号のようなものだ。


ここには少ないながらも一般人が訪れる。

そのため、第一の前提として疑問を持たれるような取引は隠語を使って行われるのだ。

そしてその暗号の組み方は人の数だけパターンが存在する。

それをことごとく把握し使い分けるマスターは切れ者だ。


オレはマスターが淹れたコーヒーを口にする。

とてもコクが深く、心地よい苦みの中に確かなうまみの存在を感じる。

昔からマスターの淹れるコーヒーは香り・味ともに一級品なのだ。

しばらくの間、マスターがカップやグラスを手入れする様子を肴にコーヒーを嗜む。


やがて古典的なベルの音と共にマスターはアイスブレーカーを作り始める。

来店した客は言うまでもなくℐだ。

彼はマスターに「よお」と挨拶をすると一言二言交わし、オレの隣りのカウンター席へと腰掛けた。


「よっ、久しぶりだなアル。元気してたか?」

「ああ、お前こそ相変わらずだな」


マスターはオレの意図を汲み、ℐの方へアイスブレーカーが注がれたグラスを置くと席を外した。


「お、悪いな。どれ……ん~うめえ! 相変わらずいい腕してやがるぜ!」


一息に飲み干すと心底美味そうに舌なめずりをする。

黒縁の眼鏡をかけ、ネクタイをだらしなく緩めたこの男こそがℐだ。

もっとも今回がこのテイストなだけで、髪染めやタトゥーシールを貼ったりと、毎回同一人物と思われないような配慮をしているのだ。


……まったく。服装のセンスすらも変えて、どれが本物の自分なのか分からなくならないのだろうか。


ちなみにℜとはオレのことだ。

オレたちのように裏社会の――もしくは裏社会被れの人間は概してコードネームで呼び合う。

その一つの要因は他人に感情移入しないためだ。

情報屋が提供した情報が原因で人が死ぬことは稀ではない。

その時に一切の責任を負わないためにそうするのだ。

もちろん、情報を求める側にとっても都合がいい。

後ろめたいことを聞く場合が大半だからだ。


ℐは酒の余韻に浸ったあとすぐに再起動する。


「ℜが来たってことはあれか? お前が探している少女のことか? 悪いがまだ情報が集まってないぜ。だから連絡も入れてないだろ?」


オレが以前依頼した内容のことを指しているのだろう。

だが今日はそのことではない。


「そちらも継続して頼む。だが今日は別のことを頼みに来たんだ――ℐにしか完遂できない仕事だ」


ℐの視線が凄みと鋭さを帯びる。

彼は面白そう――あるいは難易度の高い仕事ほど楽しむのだ。


オレはそんな彼に三つの依頼を持ち掛ける。

それを聞き終えたℐは渋面になり、間をおいて答える。


「……一つ目と二つ目はともかく三つ目のはいくら何でも五日じゃ不可能だぜ。なんてったって範囲が広すぎるんだからな」

「流石のお前でもお手上げか?」


やや挑発気味に煽ってみる。

自身の腕に自信があればあるほど人間というものは高いプライドを持っているものだ。

このように挑発的な言動をすることでそのモチベーションは大きく上がるだろう。

当然ℐもオレのあからさまな挑発に気付きつつも、あえて乗ってきた。


「はっ、俺ができるつったことで調べられねえことなんざないさ。任せとけ。評判に恥じない仕事をして見せるさ」


自信満々に言ってのけるℐは正直に言って頼もしい。

彼は不可能なことは不可能とはっきり言う性質だからな。

無理という言葉を覆したということは努力次第で可能だということだ。


オレはℐに小型デバイスを出させるとそれに自身のデバイスを重ねた。

すぐに”Complete”の文字が表示される。


「手付だ。出来高次第で後金を渡そう」


ℐは自身の携帯端末の中身を確認することもなく懐に仕舞い込む。


「確認しないのか?」

「俺とℜの関係はそれなりに長いんだ。こんなちまっちいことでお前を疑わねえよ。それよりも毎度気前が良すぎるお前に驚くぜ」

「固い口止め込みだからな。期待している」


布石は打てば打っておいた分だけ後が楽になる。

オレが席を立ち〔梟の止まり木〕を後にしようとすると背後から声を掛けられる。


「美味い酒の礼ってわけでもねえが……最後に一つ。まだ噂の類でしかない情報だが『心喰の夜魔エフィアルティス』なんていうの殺人鬼が出没しているらしいぜ。気には止めておけよ」

「……了解した」


不穏な気配を感じつつ、その場を後にした。

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