♰Chapter 6:人間の不平等
東雲の屋敷を去ったあとその日は解散となったオレは都内でも屈指の規模を誇る自然公園に足を運んでいた。
都心の近くに位置するものの都会の喧騒の侵入を許さない点から、別世界のように穏やかな空間が広がっている。
のどかに鴨が池を泳ぐ情景を横目に、丁寧に舗装された道を歩く。
やがてベンチを見つけ、腰を掛けた。
優しい春の日差しに晒されていたそれはとても温かい。
ともするとあまりの心地よさに寝落ちしてしまいそうだった。
「まだ早いから仕方ない」
オレの最終的な目的地はこの自然公園ではない。
だがそこを訪ねる意義を見出すには日没を待つほかないのだ。
それまではこうして趣味の小説を広げ、有意義な時間を過ごすことを決める。
すると間もなく人の気配を感じ、オレは視線を上げた。
「――お兄さん、その小説好きなんですか?」
そこには桜色の髪飾りが印象的な線の細い少女が立っていた。
セミロングの髪を背に流し、こちらの表情を伺うように覗き込んでくる。
街頭で少し休めば、都心では人に話し掛けられる。
宣伝勧誘しかり、オレの場合は暗殺関係しかり。
面倒くさいが相手をするのも仕方がない。
「君は?」
「あっいきなり声を掛けてごめんなさい。わたしは
ショルダーバッグの中から一冊の小説を取り出し、オレに見せてくる。
まさしく今読んでいたものと同じタイトルだ。
「そういうことか。オレもこの小説は好きだ」
「よかった……! 隣り座ってもいいですか?」
「ああ」
オレのなかではすでに他者と関わるという面倒事も罪滅ぼしの一環になっている。
少しでも人の役に立てれば、それはいつかの少女の前で紡ぐ言葉が真実味を帯びることに繋がるのだから。
一人分の隙間を開けて座った結月は目を輝かせてオレに問う。
「これ、最後まで読みましたか……⁉」
「ああ、かなり読み返したと思う」
「やった……! 少しだけこの小説に関して語り合いませんか?」
小説の話になると嬉しそうに双眸を輝かせている。
見ず知らずの人間に声を掛けてくるとはなかなか物好きな少女だ。
「この小説の主人公ってカッコいいと思いませんか? 人々から嫌悪され、巨悪のレッテルを貼られても弟を守るためにたった一人で立ち上がるんです」
「そうだな。個人に目を向けた時にもっとも魅力的なキャラは主人公かもしれない。オレは結びに惹かれたな」
「結び、ですか……。非業の死とも呼べる気もしますが、確かに印象的なラストでしたよね。最終的には――ッ」
結月が突然腹部に手を当て苦しそうに呻きだす。
加えて身体の中心軸が不安定に揺れている。
その様子は只事ではないと予感させるに十分だった。
「大丈夫か?」
「っ……う、ん……。でも、少しまずい、かも――」
やがて彼女の身体がオレの方へ傾き、倒れこんでくる。
その時にはすでに気を失っていた。
「……本当に人生には業が付き物だな」
――……
「う……ん……。お兄、さん……?」
「起きたか?身体の調子はどうだ?」
結月は病室のベッドから熱っぽい瞳でオレを見る。
先程まで苦しそうな寝息を立てていたが、今もそれは変わらなそうだ。
「うん……。今は話せるくらいには大丈夫、だよ。……あ、です……」
「無理に敬語を使わなくていい。むしろ君の素はこっちなんじゃないか?」
「え、へへ……。バレちゃったかぁ……」
バツが悪そうに微笑む結月は胡乱な瞳で天井を見上げたままだ。
「わたしのこと、聞いた……?」
「他人のオレは詳しいことは何も。だが医師への状況説明とお前の検査をしているうちに自然と大まかな病状は聞いた。すまない」
一応同じ小説を好きな者同士、人並みに心配するという行為を模倣して病状を尋ねたのだが、医師からの返事は「未知の病気であり、結月という少女は有効な治療法もなく、命の危険に侵され続けている」というものだった。
そして、以前にも幾度となく同様の症状で入退院を繰り返し、経過観察中に起きたのが今回の発作だという。
「ううん、お兄さんが謝ることじゃないよ。ごめんね、わたしのことでお兄さんの手を煩わせて」
「別にそれはいい。オレが傍にいたからすぐにここに連れてこれたからな。それよりも次からは無理をしないことだ」
オレはそれだけ言ったあと、小説を縁に知り合った少女の病室から立ち去ろうと席を立つ。
オレと彼女は元々赤の他人であり、ここまで来たのも状況説明が必要だったからだ。
その役割を終えた今、弱った同年代の異性の病室にいるということは一般的に適切ではない。
不意に袖口がきゅっと引っ張られた。
見れば結月が泣きそうな表情でこちらを見ている。
「待って、あと少しだけいて」
「オレはただの他人だ。同じ小説が好きであろうと今日が初対面だったオレに縋ろうとするのは間違っている。それに見たところ、オレとほぼ同じ年だろう。家族が見舞いに来るんじゃないか?」
オレに家族はいないため、どんな存在なのかは分からない。
だがこういう時、真っ先に駆け付けて優しい言葉をくれるのが家族だという知識はある。
それが普通であり、一般であり、半ば常識として捉えても問題ないと考えている。
「……いないの。わたしに家族はいない。お父さんもお母さんも兄弟も姉妹もみんないないんだ。奇病にかかったわたしを気味悪がって置いて行かれちゃった……。だから……ね、傍にいてほしいの。誰かがいてくれないとわたし、怖いよ」
やや色素の薄い銀灰色の瞳を伏せ、震える身体を両腕で抱いている。
人間が不平等なのは何も今に始まったことではない。
金銭・地位・身体……挙げればきりがないほどに『正のギフト』『負のギフト』が存在する。
そのなかから彼女は『病』という『負のギフト』を貰ってしまっただけのことだ。
「……あと少しだけな」
「……! やった、ありがと! そういえばお兄さんの名前聞いてなかったよね」
「八神零だ」
「いい名前、だね。また小説のお話しに来てくれる?」
「そうだな。またいつか来れたらいいな」
高熱による曖昧な現実の知覚にあって懸命に咲く桜のような笑顔を見せるのだった。
いつの間にか震えは消えているようだった。
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