♰Chapter 5:琥珀の瞳

「よく来てくれたね、八神君。常々君のことは水瀬君から聞いているよ」


立合いを終え、東雲に屋敷を案内されること十分余り。

まさに和の奥ゆかしさを体現したような表座敷へ通された。

洋風の家具は排され、座布団や掛け軸といった洋館とは異なる趣がある。

そして、どこかノスタルジックな畳の井草の香り。

そこには壮年に差し掛かったばかりといった琥珀色の瞳を持つ男が茶を飲んでいた。

その第一声が『よく来てくれたね』だったのだ。


「……あんた、なにあたしのお茶飲んでんの? 蹴られたいの……?」

「私が年端もいかない少女に罵られることに悦びを得るわけがないだろう」

「どうだかね」


東雲が睨み付けると男はゆったりとした動作で茶漉しを手に取り、チャッチャッと小気味いい音でお茶をたて始めた。

やがて完成したそれを何食わぬ顔で東雲の正面に置く。

次いでオレと水瀬、そしてお代わりであろう自分の分まで用意している。


「さあ、疲れただろう。三人とも座るといい。今日は我々にとって歓迎すべき日だ。少し話そうじゃないか。ああ、八神君には私の名がまだだったね。私は結城熾ゆうきしきという」


この金瞳の男――結城は図太いに違いない。

あそこまで普通に、まるで自然の摂理であるかのように東雲を躱した。

彼女の方は怒り面ではあったが、お茶に口を付けると口元がうっすらと緩んでいた。


「オレの名前は知っていますよね。ですが一応名乗っておくと、八神零です」

「ああ、礼儀正しい子は嫌いじゃないよ。ところで聞くところによると、君は東雲君と模擬戦をしたそうじゃないか。結果は知らないのだがどちらが勝ったのかね?」


オレは距離を開けて正座する東雲の表情を伺う。

戦闘あるいは任務のための対人関係において空気を読むことは得意だが、こと普段の人間関係においてそれは苦手だからだ。

正直に言ったとして、果たして彼女の機嫌を損ねないだろうか。

だがその懸念は無用だったようだ。


「あたしの負けよ。悔しいけどそこのポーカーフェイスは強かったわ。武器の扱い方、身体の使い方、状況判断力。魔法を習得してない今でもかなり通用する気がする……もちろん、次やったらあたしが勝つけど」

「ほう、それは面白いことを聞いた。東雲君は〔幻影〕のなかでもかなりの実力者だ。その君が言うならば間違いはあるまい。それにしても素直じゃない君が見ず知らずだった八神君を手放しで褒めるなんてどういう風の吹き回しだい?」

「……うるさい、鉄仮面一号」

「やれやれ……。終始こんな感じだが悪く思わないでやってくれ。私も水瀬君も東雲君も、そして他の〔幻影〕諸君も君を歓迎するよ」


結城が差し出してきた右手を握り返す。

文官のような外見に反して、意外にも固い手をしていた。


「早速なのだが〔幻影〕の統率者として君に聞きたいことがある。なに、身構える必要はない。楽に答えてくれればそれでいい――君はここでどんな願いを叶えたい?」

「何を、ですか?」


突然の脈略のない問いかけに、オレは不審を抱く。

だが水瀬と東雲の反応を見るに、それは既定路線の問答のようだ。


「君の脳裏に浮かぶ疑問はもっともだ。私がこれを聞く理由はただ一つ。一個の人間性を知るのに最適だからだ。『願望』とはすなわち『己の器の体現』であり、同時にその器に注がれる『真理の言語化』に過ぎない。一見矛盾するようだが、だからこそそれは雄弁にその人物の内面を語ってくれるものだ。しかし、いきなりと言うのも戸惑うだろう。東雲君、言ってくれるかい?」

「……まあ、お茶は美味しかったし。ポーカーフェイスにも今回は――今回だけは負けたから。あたしの願いはお父様に認めてもらうこと。立派だって褒めてもらうこと」


滑舌よく堂々と言い切った東雲は臆することなくオレを見る。

馬鹿にできるものならやってみろ、と言わんばかりの強烈な意志を感じさせる。


「東雲君の御父上は主に最先端マルチデバイスを開発研究および製造する国内の有力企業のトップに座している人物だ。〔幻影〕の経済的支柱でもある。それ故になかなかに多忙な日々を送っている。実娘の東雲君にも一年の特別な日に数回顔を合わせる程度だ。加えて彼は人格者ではあるが、とても厳格な人間であるから滅多なことでは人を褒めない。それが実娘であったとしてもだ。だから彼女はその願いを叶えるために〔幻影〕の一員になったのだ」


東雲の原動力は彼女の父親にあり、そのための努力は怠らないということか。

それが叶うにせよ叶わないにせよ、確かに願望の形でその人間の本質――その一部を垣間見ることができる。

〔幻影〕の統率者――結城熾はオレとどこか似た手札を持つのかもしれない。


「水瀬の願いも聞いていいのか?」


結城が作り出したこの流れを利用しない手はない。

本当に相棒になるのであれば、水瀬の願望こそ知っておかねばならない。

彼女は少し考える素振りを見せ、やがて口を開いた。


「私の願いは、誰かに見つけてもらうこと」


そこから小さく言葉が紡がれて以降は黙りこくってしまう。

どうやら地雷を踏みかけているらしい。

互いの内面をよく知らないうちに明かすことに抵抗があるのかもしれない。

いつか聞き出すにしても、今この場でのこれ以上の深入りは禁物だ。


「悪い。言いたくなければそれで構わない。人が強制するものでもないからな」

「ごめんなさい」


この雰囲気を変えるべく話題をオレに集める。


「大体は分かりました。何でもいいんですか? その願いは」

「どんな願望であろうと願望は願望だ。それは本人の自由で誰にも縛ることはできない。人の数だけ存在していいはずだ」


ここでオレが本当の願いを口にすることは容易い。

だがその場合、この男にオレの一端を手渡すことになる。


水瀬に説明された固有魔法の件もある。

明確な正解がない以上、多少のリスクを負っても正直に答えることが無難だろう。


「オレはある人を探しています。今は生きているのか、死んでいるのかすら曖昧ですが、その人に会って話したい」


極力――といっても元々無表情だが――感情を殺し、心の静穏を保ちながら伝える。

そこに嘘はないが、全面的に情報を開示したわけでもない。

これがオレに選択できる最大限の自衛策だ。


「それが君の願望だね?」

「はい」


結城は真っ向から俺を見ると、柔らかく微笑み右手を差し出した。


「八神君、現状は仮加入とはいえこれからよろしく頼むよ」

「こちらこそ」


オレと結城は控えめな握手を交わした。


「さて、顔合わせはこのくらいで構わないだろう。水瀬君は明日から八神君に魔法の行使の仕方を教えてあげるといい」


こうして名目上〔幻影〕の一員となったオレは、これから新たなステップを上ることになる。

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