♰Chapter 4:迅雷の風格

「水瀬の洋館も雰囲気があったが、この屋敷も風情があるな」


ここは水瀬の洋館のような雑木林ではなく、まさに森のなかといった風景に囲まれている。

そこを突き抜けて純和風の庭園へと踏み入る。


「でしょう? ここを管理している魔法使いは私たちと同じ高校生なのよ」


水瀬の言葉に反応しようとしたオレだったが、二の言葉を継ぐことはできなかった。


「――あんたが新入り?」


屋敷の柱にもたれ掛かり、こちらに声を掛けてくる少女がいた。

紫紺の髪を組紐でポニーテールに纏め、いかにも気の強そうな表情で睨みつけてくる。

腕を組んでいることも相まって、なおさら不遜な態度に映るのかもしれない。

言葉も立ち振る舞いも屈託がないが、どこか威圧感を伺わせる不思議な少女だった。


「ああ」

「そ。じゃあ、あたしと手合わせしなさい」


彼女は柱の陰からこちらに歩を進め、オレと正面から向き合ってそんなことを言う。

この一方的な流れに割って入ったのは水瀬だった。


「待って、朱音あかね。八神くんは魔法使いとして目覚めたばかりよ? 彼は魔法の使い方だって分からないわ。まともに手合わせなんてしたら身体が保たな――」

「なんであんたが会話に入ってくるのよ。あたしは今そいつと話してんのよ? 勝手に割り込んでこないで」


水瀬の言葉に重ねるようにして発された語気の強さに不自然さが滲み出ている。


……この二人は仲が悪いのだろうか。


そう仮定するならほぼ確実に”あかね”と呼ばれた少女に原因があると思う。


それにオレのことはそいつ呼ばわりだ。

今まで――といっても水瀬と伊波の二人だが、オレに対して好意的な対応をしてくれる人ばかりだったので少し意外だった。

これほどあからさまに敵意や懐疑心といったものをぶつけてくる人間は少ないのだから。


だがふと思う。

予め完成されたコミュニティにおいて、部外者が入ってくることに納得いかない者は少なからずいるだろう。

行き過ぎた態度とはいえ、彼女の反応にも彼女なりの筋が通っているのかもしれない。

思考の間にも二人の会話は進んでいく。


「私のことを嫌うのは構わないわ。でも八神くんにまで矛を向けるのは止めて。彼は関係ないわ」

「……そうかもね。でもさ、同じ組織の一員として迎えるなら実力を知りたいってのは当然のことでしょ。背中を預けることになるかもしれないんだからさ――あたしが手合わせの中で魔法を教える。固有魔法は使わないし、魔法の威力も最低限に抑える。これなら誰かさんも納得するわよね?」

「それなら私は何も言えないけれど……。それでも彼の意思が最優先よ。八神くん、どうかしら?」


水瀬と併せて二人分の視線が集中する。

正直に言えば面倒そうだという思いが大きかったが、魔法の定義を身をもって経験できる機会でもある。

加えて暗殺術がどの程度通用するかも推し量ることが叶うだろう。

機会の損失は自身の不利益だ。


「構わない。お手柔らかに頼む」

「物分かりがいいみたいね。武器の希望は?」


水瀬には一度オレが短刀を使ったことが知られている。

彼女の勘がよければ黒塗りの短刀という異常な武器から暗殺者であることを推察しているかもしれない。


だからといって必要以上に暗殺の技術を見せる必要はないがある程度ならこの立合いで使っても構わないだろう。


「短刀があればそれがいい」


オレの返事を聞いた紫紺の少女は返事をすることなくショートパンツのポケットから棒状の鉱石を取り出す。

よく見ると不思議な文字が刻まれているようだ。


起動トリガー・オン短刀ダガー


次の瞬間には鉱石が魔力を凝集し彼女の手のひらの上に短刀を創り出した。


……どうやら魔法は武器の生成すらも可能にするようだ。


オレがその工程をじっと見ていたことが気に入らなかったようで、彼女は短刀を雑に放ってきた。


「……危ない」

「危ないのはじろじろ女子を見るあんたのその目よ。どうせ、そこの女の見た目に惚れたか、ただ魔法を自分のものにしたかったからとか、下らない理由でここにいるんでしょ? そんな甘い考えは全部叩き潰してあげる」


彼女はもはや誰にでも噛みつく狂犬のようだ。

ここは下手に刺激せず黙っていると、彼女はつまらなそうに親指で青々と茂る山を示した。


「つまらないわね、あんた。まあいいわ。ついて来なさい。修練場に案内するわ」



――……



一歩足を踏み入れると緑が香る。

人を拒まず、それでいて自然体の山の姿だ。

その要因は恐らく最低限の手しか入れていないことだろう。

視線を巡らせれば、野生動物が通った跡のある獣道や多彩な植物の自生が確認できる。


「八神くん、ごめんなさい。でも朱音にも悪気はないと思うの」


先頭を歩いていく紫紺の少女に視線を向けつつ、隣の水瀬が謝罪の言葉を口にする。


「気にしていない。普通はああいう拒絶反応が最初に来るものだ」

「そうなのかもしれないわね……。でも流石に彼女の態度は行き過ぎよ。それに勝負も半ば無理やりに近かったわ」


水瀬は紫紺の少女にも会話を聞かせるつもりなのか、声量を抑えることはしない。

それに対し、先導する少女は一瞬だけ振り返るような素振りを見せたが、すぐに何も聞こえなかったといわんばかりに進んでいく。


「人それぞれに思うこともあるんだろう。それよりも彼女はどういった人間か紹介してもらえるか?」


本人がすぐ近くにいるのに聞くのもどうかと思うが、会話が成立する可能性は低いだろう。

水瀬に尋ねた方が効率的だ。


「そうね、ごめんなさい。彼女の名前は東雲朱音しののめあかね。[迅雷]の守護者で、主武器は二本の日本刀よ。彼女の固有魔法は明かせないわ」


以前聞かされたとおり本人が明かさない限りは秘密ということだろう。

目を伏せる水瀬に、オレは仕方ないと思う。


そうこうしていると次第に風景が樹林から竹林へと変貌を遂げていく。


「――着いたわ。ここが修練場よ」


そこは五十メートル四方の大きく拓けた空間だった。

周囲は無数の竹林に囲まれており、笹葉の合間を縫って木漏れ日が差している。

春の柔らかい風がそよぐたびに葉擦れの音が耳に響き、さらに耳をすませば水のせせらぐ音もする。

これほど満ち足りた修練場はそう多くないだろう。


「ほらやるわよ。あんたも知ってのとおり、あたしの得物はこれ」


今回は鉱石からではなく、虚空から光の微粒子を集合して日本刀を形成する。

水瀬からの情報通り日本刀ではあるのだが、その数はわずかに一本。

若干癪だが、それがこの少女なりのハンデなのだろう。

逆を言えば舐められているとも受け取れるが。


オレは紫紺の髪を持つ少女の対面に構えた。


「へえ……意外と様になってるじゃない」

「これでもそこそこ武道の心得はあるからな。護身程度には刃物も使える」

「なら――行くわよッ!」


そう言うや否や、一切のフェイントを挟むことなく斬撃のモーションを繰り出してくる。


戦闘開始時においてもっとも重要なことは相手の間合いを測り、技の癖を把握すること。

最初の三手までを見切ることができれば、それは十分に戦って勝ちうる可能性があるということだ。


初手は――大振りの袈裟斬り。


「ッ」


半身になることで斬撃の回避に成功するが、相手の鋭い気迫を感じ、この技が終わっていないことに気付く。

刀の勢いを殺すことなく流れるような左斬り上げが襲い掛かる。


オレの回避を想定したうえで次撃を準備していなければ、これほど精密で迅速な太刀筋は実現しえないだろう。

いずれも刃を潰してあるために打撲程度で済むだろうが、あまり受けたくない攻撃だ。


「ッ!」


短刀で弾いてみるも、その手応えは鉛のように重い。

彼女は防がれたとみるや否や、強烈な蹴りを見舞ってくる。

オレはそれを片腕で受け止めるものの、嫌な軋みを感じた。


「その剣術……正統な流派じゃないな」

「それが分かるってことは、あんたが武道を齧ってたってのはホントなのね! てっきり見栄っ張りなだけかと思ってたんだけど……!」


彼女は好戦的な笑みを浮かべながら、日本刀と短刀を打ち合わせる。

至近には相手の日本刀があるため、均衡が崩れた途端にオレの腕は深手を負うだろう。


「嘘を吐く意味なんてないだろう」


予想に反し、これまでの動きから剣術・体術ともに繊細な技量が見て取れた。

特に無駄のない力を刃に乗せた剣技は見る者に感嘆すら与えるかもしれない。

オレもその一人であり、それほど流麗極まる剣術だった。

ただ欠点があるとすれば刀の軌道が率直すぎることが挙がる。

どんなに速く力の乗ったものであっても、狙いが分かれば武器を割り込ませるだけで容易に弾くことができる。

実際に彼女の剣戟を防げていることがその証だろう。


眼前の少女が肩で息をし始める頃には、彼女と同様にオレの額にも薄く汗がにじんでいた。


「あんた……強いと思ってたけどほんとに力がある、のねッ!」

「そうでもない。オレも何度も打ち合って腕にきているしな。それよりもだ。そっちには魔法を行使する選択もあるだろう? なぜ使わないんだ?」


すでに刃を交わして数十合。

彼女は刀の間合いを徐々に外し始め、受け流しも鈍くなってきている。

一刀一刀に精神力と筋力、そして技量を込めているのだから当然だ。


オレからの一撃を躱し、彼女は大きく距離を取る。


「――たのよ」


俯いて発された言葉はオレに届かない。


「……?」

「ほんとは魔法使う気なんて無かったのよ……! 魔法の扱い方を知らない奴に魔法を熟知したあたしがそれ使ったらもうリンチじゃんッ! ただの意地悪じゃん……ッ!」

「……つまり、先輩風を吹かせようとしたが軽くいなされて傷心中――」

「ふんッ! そんなに魔法が見たいなら見せてあげるわよ!」


頬と耳をわずかに紅潮させ、怒りを体現したあと再び構えを取る。

魔法を行使すること自体は歓迎すべきことだが、約束を忘れてはいないだろうか。


「魔法の使い方を教えてくれるんだろう?」

「頭の中に“こうしたい”っていうイメージを浮かべるだけッ!」

「そもそもイメー――」


――ジって何を指すんだ?


続く言葉は口に出すことができなかった。

完全にこちらを喰らおうとする狼の目つきになっている。


離れた位置に佇む水瀬が視界の端に映り込み、小さく口を動かしていた。

いわく“変わるわよ”と無音の警告を与えてくれる。


適当な説明しかしない日本刀の少女に内心で溜息を吐くが、勝負は勝負だ。

オレは用心深く紫紺のポニーテールを揺らす少女を観察する。


――伝わるわずかな空気の振動。


「ッ!」


反射的に横へ跳んだ次の瞬間には、先程オレがいた地面に黒く焦げ跡ができていた。


――いや、それよりも。


「セアッ……!」


オレが膝立ちの姿勢から身体の右側面に短刀を配置したコンマ数秒後、凄まじい衝撃が手首に伝わる。

威力を完璧にいなせなかったことで、短刀が手元から零れ落ちてしまう。

このまま彼女がオレから決定的な一本を取ればその時点でこの対決は終わるだろう。


「――あんた、まだッ⁉」


オレは身を駆ける高揚感に身を委ねる。

その根源的欲求は魔法をもっと見たいというものなのかもしれない。


戦意喪失の意思を見せないオレに一瞬驚愕の表情を見せた彼女も次の瞬間には楽しそうに笑った。


「いいわよ……ッ! ここまで嬉々とした感情は久しぶり!」


空間上から無数の紅雷くらいがオレを目掛けて放たれ、地面を穿っていく。

そちらに意識を集中させれば日本刀の攻撃が無手のオレを打つ。


双方に意識を割きながら、前に一歩踏み込んだその時だった。

不覚にも穿たれた地面に足を取られ、動きが鈍る。

それを見逃す相手ではない。


「もらった……‼」

「――」


オレの心臓を横薙ぎにする刀が迫るなか、身体をわずかに浮かせるほどの突風を深くイメージする。


これで嘘を教えられていたなら、終わりだ。

だがそれはそれでオレの喜びでもあった。

今までは不確定要素には極力頼らないで生きてきた。

人にも、武器にも。

それが今具象できるかも分からない魔法に賭けている。

そのわずかな変化がささやかに嬉しかったのだ。


「うっそ……⁉」


不可視の力に軌道を逸らされ、オレの頭上すれすれを刃が通過する。

刀を振り切って脱力状態の一瞬に彼女の手首を打ち、日本刀を取りこぼさせた。


「まだやるか?」


その声をもって紫紺の髪の少女はくたくたと頽れた。


「あんた……何者よ……。昨日までは魔法使いじゃない普通の人間だったなんて信用できないっ! それに無手の奴に負けるなんてぇッ……‼」


その瞳には言いようのない激情が宿っていたが、辛うじて暴発を抑えているようにも見える。

彼女は一度大きく深呼吸をし、再びオレを見る。


「……あんた、名前は?」

「八神零だ」

「やがみ、れい」


荒ぶった気持ちを落ち着け、何事かを呟いていたようだが気持ちを切り替えたようだ。


「あたしの名前は知っての通り東雲朱音しののめあかね。[迅雷]の守護者よ。……よろしく」


手を差し出されるが、それをオレは首を横に振ることで回避しようとする。

他者に触れられることが嫌だったこともあるが、今回はそれ以上に左手であることに不穏な直感を得たからだ。


「遠慮しておく」

「なによ、これから一緒に戦う……かもしれない仲間……魔法使いの手も取れないってわけ?」


余程オレのことが気に入らないらしく、「一緒には戦いたくない」「仲間とは言いたくない」という念が伝わってくるようだ。

そして何より相手に退く気が一歩もない。


「オレにはオレの事情がある……が、今回だけだからな」


左手と左手が重なり、ここに新たな絆が生まれた……と言うことはできない。

やはりというべきなんだろうな。


「東雲、手がバチバチする上に全力で握り込むな。痛い」

「ふん、これくらい勝者が甘んじて受け入れなさい」

「理不尽だ。だがこれからよろしく、東雲」


守護者とは無個性ではいられない席次らしい。

こうして東雲との立合いは幕を閉じた。

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