✞Prologue
♰Chapter Pro:凍空の夜想曲
一月某日、一人の暗殺者――オレは夜天の都心を駆けていた。
氷点下の凍てつきに肌を刺されつつも、ほぼ無音の追跡行動には染みついた癖が表れている。
その先では今回の目標である二人の靴音が慌ただしく鳴っていた。
「はあ……はあッ……‼ 何なんだよ、お前は‼」
入り組んだ路地裏に複数回の銃声が響き、発火炎が視界を明滅させる。
あまりにも軽快な音のせいで、一度でも被弾すれば致死足りうることを忘れそうになる。
だがその心配は無用らしい。
男の動揺から銃身は定まらず、放たれた弾丸の多くは無骨な壁面に爪痕を残していくのみだ。
それでも一つが頬の薄皮を破っていくが、意に介さず乱数軌道を描きながら目標に肉薄する。
「う、嘘だろ……⁉」
「悪魔ッ……‼」
右手に握り込まれた黒塗りのそれが風を切り、発砲した男の太腿に突き立った。
空薬莢がアスファルトに硬質な波紋を広げる頃には、奪取した拳銃の引き金を引いていた。
――パン、パン。
擬音にすればただそれだけ。
命の生殺与奪はこんなにも軽く決着する。
「クッソが……‼」
一人はその弾丸で絶命し、腰を抜かしたもう一人はその二の腕を貫通したものの不格好な逃走を続行する。
「――ここを抜けた先は郊外の展望台――」
すでに物言わぬ骸となった死体から短刀を引き抜き、血糊を払う。
すえた路地裏の匂いと溶け合い、血生臭い錆臭が充満する。
知覚するものすべてが不快の極致にあった。
――……
まばらに滴る血痕を追跡し、展望台へ到着する。
周辺は木々に囲まれており、耳に届くものは風の音とささやかな葉擦れの音だけ。
人声も人工音も聞こえず、まさしく静寂が支配する小高い丘の上だ。
そこには木製のベンチが幾つか設けられており、鉄柵の向こう側には色鮮やかな人工の光が夜景となって広がっている。
――白、赤、青、黄。
「頼む……ッ! もう二度と人殺しなんてしねえから……‼ だからお願いだ、見逃してくれよオオオォ‼」
美しい背景におよそ相応しくない命乞いをする男と無機質に黒塗りの短刀を構える暗殺者がここにいる。
「……罪には贖える軽罪と贖えない重罪がある。お前は後者を犯し、罪のない子供を面白半分に弄び、殺した」
「だ、だったらせめて〔
短刀が男の心臓を穿つまであまりにも一瞬だった。
風切り音すらなく、瞬きをした直後には刃が突き立っていたのだ。
「え……あああああぁ!」
数秒遅れて自身の生命活動の危機を悟った身体が痛みを誘発する。
それも次の瞬間には虫の息に代わった。
「たす……け、て……」
その言葉は露程にも命乞いには値しない。
一切の感情なく空虚な瞳を向ける。
「……ああ、まだ生きていたのか」
「ぁ」
左手に握られたもう一振りの短刀が容赦なく脳天を射貫く。
地面に転がっていたモノはそれで微動だにしなくなった。
――オレは思う。
この世界には一定数の救いようのない人間がいると。
利己的に犯罪に手を染める者、他者を陥れることで愉悦に浸る者、今回のように一線を越え人殺しに悦楽を得る者。
それらは人間という欠陥品がその枠の中に存在し続ける限り、増殖することはあっても決して自然消滅することはない。
むしろ増長し、健全に日常を送る者を踏み台に――あるいは世界の澱に引き込む可能性が十分にある。
――ならば、誰がどのように裁けばいいのか。
答えは単純だ。
既存の法律で裁けないのであれば、人知れず私刑を下せばいい。
それが必ずしも善とは限らず、悪逆の道であることは百も承知だ。
まして正義などとは甚だ縁遠い位置にある。
だが行動を起こさないことに比較すれば、幾分いいだろう。
今夜もまた、暗殺者のオレは闇に紛れて救いようのない屑を駆逐する。
死後硬直の始まった死体から短刀を引き抜き、その場を去ろうとしたその時だった。
「――……」
キンキン、と金属同士を打ち合わせるような音が聞こえるのだ。
不規則に、けれど断続的に。
着実に近くなる音の間隔にこれまで以上の寒気を覚える。
錯覚ではない。
まるで極寒の地に存在しているように、実際に周囲一帯に薄く霜が降りている。
これは明らかに異常な光景だ。
――わずか数秒の間に急激に気温が低下している。
オレは瞬時に取るべき行動を隠密に切り替え、手頃な木の背後に身を潜める。
どうやら二人の人間が争っているようだ。
「ハアッ……!」
「シッ!」
観測できる範囲に姿を現した両名の鋭い気合の声と共に衝撃波が顔を打つ。
木々がざわめき、薄い霜の断片が空を舞う。
一人は夜闇を凝縮したような漆黒の長髪に、透き通る碧眼の容貌をしていた。
周囲には数えるばかりの街灯しかないが、その光をすべて反射するがごとく
そして何よりも目を引くものが手にした大鎌だ。
まるで優雅な舞を踊るかのように美しい青の軌跡が目を引く。
一方はフーデットケープを目深に被り、容貌がはっきりしない。
凍てついた冬風が掠めてもフード奥の表情は分からない。
だがこちらも同様に武器――半透明な剣が握られている。
この異常なほど急速な気温の低下はこの人物が元凶に違いない。
靄のように薄く冷気を放出し、真冬の大気よりも凍てついた
明かりに乏しい空間に浮かび上がる両者は目まぐるしく立ち位置を変え武器を操る。
大鎌使いによるコバルトブルーの軌跡と片手剣使いによるブルーシルバーの軌跡が交錯し、火花を散らしては大地に穴を穿った。
十数メートル先で繰り広げられる異次元の戦闘に思考の動きが鈍る。
「――なぜ貴方達は人を傷つけるの?」
金属音に紛れて、大鎌の使い手の声が夜気に響く。
凛とした声音は透明なガラスのように透き通っている。
「――貴様に応える義理はない――失せろ!」
氷剣の使い手は大きく後退すると、空いている左手を夜空に掲げる。
すると青色の微粒子が大気に漂い、無数の氷塊が生成され、絶え間なく射出され始める。
少女の方は常人とはかけ離れた動きでそれらを砕き伏せるが、端々に小傷を負い始めていた。
氷の破片が星屑のように煌めき、空気中に溶けては消えていく。
「ッ」
木々の合間を縫って現状把握に努めていたが、首筋に針で刺したような痛みが走った。
人差し指で撫でるとぬるりとした液体が付着する。
その正体は言わずもがな、血液に違いない。
やや対角線上からは外れているが、流れ弾が運悪く命中したのだ。
もはや眼前の異常な光景を事実として肯定しなければならない。
「これは夢でもなく、幻でもない。現実だ」
自身に暗示をかけるように強引に納得させる。
今までに見たことを鵜呑みにしたうえで、このまま長期戦になると大鎌使いが先に力尽きるだろう。
見立てる限りだと両者の力は互角だが、なぜか大鎌使いには勝とうとする気迫を感じないからだ。
――見殺しにするというのも気が引ける。
ほう、と小さなため息が出た。
一体どの口が言うのだろうか。
このどこまでも白い吐息とは裏腹に、それ以外は夜よりも黒い存在だというのに。
――オレも先ほど暗殺した男達と同種――いつか裁きを下されるべき部類の人間なのだから。
自虐的な嘲笑が漏れるが、これで方向性は決まった。
あとはどのようにして氷剣使いを退かせるかだが、これには二つの難点が付随する。
両者に決して正体がバレないこと。
そして携帯する得物をいかにして氷剣使いに当てるのかということだ。
約一秒の熟考の末に今潜伏している樹木の影から投擲するのが最善だろうと結論を出す。
この得物はやや特殊だが、調べられたとしても身元を特定されないうえに代えはある。
投擲直後に即行でこの場を離脱すれば何の問題もない。
それにこれは暗殺者のオレだからこそなしうる技でもある。
ともすると状況が動いた。
氷剣使いが大鎌使いから大きく距離を取ったのだ。
――刹那の好機。
最小限の動きで投擲した得物は寸分の狂いもなく氷剣使いの右肩へと突き立った。
「ッ……伏兵がいたか……! 気取れなかった私のミス、だな」
氷剣使いは深々と肉を抉った黒塗りの短刀を強引に引き抜き、投げ捨てた。
そして鉄柵を乗り越えると、眼下の街並みへと溶けて消える。
視界の隅にそれを収めると、気配を殺しながら来た道を引き返した。
背後から「待って!」と聞こえた気がしたが振り返ることはしなかった。
――一つの善行を行ったとして、それはただの自己満足に違いない。
――その
――永遠に清算されない過去を内包した自分。
――だが全ては己の罪過で自身を縛り付けるために。
これはオレ――
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