十八本目 さよならの、ハイライト・メンソール

 ハイライトからメンソールが出たのはもう二十年も前のこと。正直、ハイライトのパッケージが好きなだけで吸っていただけだから、タールの重さに辟易としていた俺には朗報以外の何者でもなかった。


 当時はソフトパックのハイライト・マイルドと地域限定のハイライト・ウルトラマイルドもあったが、マイルドの方はハイライトのデザインとは全然違っていたし、ウルトラマイルドに至ってはデザインはおろか、ボックス煙草になっていたのでそもそもハイライトと呼べるのかどうか迷うくらいの存在だった。


 そんな中、ハイライトの青を緑に変えただけのメンソールの発売は、本当に楽しみだったのだ。


 発売後すぐに買って、それからずっと吸っている。今はもう、メンソールのソフトパック煙草はこれしか残っていない。


 ちょっと前まではサムタイムやクールなんかがあったし、一番最近まではマールボロのメンソールだって二種類ソフトパックが残っていた。しかし、サムタイムは銘柄さえなくなり、クールやマールボロはボックスを残して無くなってしまった。


 とは言え、俺は別にこの煙草がソフトパックだから吸っているわけではなく、あくまでハイライトの味がちゃんとするメンソールだから、という理由の方が大きだろう。


 しかし、悲しいかな、自分もその分だけ歳をとって、この煙草でさえ重くなってきてしまった。仕方なく、安全ピンでフィルターの真ん中くらいにいくつか穴を開けて吸っている。


 こうすると吸いごたえは多少軽くなるが、害については知らないし、考える気も起きない。……まてよ、フィルターに細工するのであれば、別にメンソールじゃなくてもハイライトでも良いだろう。しかし、俺はもう何年もこれだ。今からただのハイライトには戻れないだろう。


 昔、学生のころ誰かが言っていたが、『俺たちは命を掛けて煙草を吸っている』と。俺は正直、そんな大層なことは考えていない。


 もしかしたら、これが原因で死ぬかもしれないが、結局人は死ぬ、そんなことを考えながら今日も煙草を吸っている。


「よう、煙草吸いに行かないか」


 月曜日に会社に行くと、同期の男が俺に声をかけてきた。朝一番、しかも月曜からってことを考えると、きっとろくでもないことを頼みにきたんだろうと邪推してしまう。


 そうじゃなければ、この歳になって、別部署の同期の連中となんて話をしたいとは思わない。……いや、よく考えれば、会社の連中となんてあえて親しくしたいとなんて思わない。全く。


「ところで、お前はどれ吸ってんの?」


「どれって?」


「ほれ、これだよ」


 そういって彼は最近すっかりスタンダードになった加熱式を取り出した。俺自身は加熱式を吸うという選択肢は全くないので、なんと問われても答えようがない。だから正直に紙巻きを吸っていると答えるより他にない。


「いや、俺は紙巻きだから」


「紙巻き! 今の時代にか!」


「俺は時代に取り残されているからね、いろいろな意味で」


「……でもまあ、それがお前の良いところだよな」


 彼は煙草っぽいものを取り出して異様に奇妙に見えるデバイスに差し込む。そしてそれを持ってじっと待つ。変な時間だ。でも、その時間さえも良かれと思い吸っているんだろう。


 さすが、時代に最先端の男だ。俺は煙草を取り出そうとしたが、壁にデカデカと『加熱式専用』と書かれている。失笑だ、そういえば俺は会社で煙草を吸ったことなんてなかったな。いつも外で吸っている。


「実はさ、退職するんだよ。それを話したくて」


「……意外だな、次期主任だか係長だか課長だか何だかじゃなかったのか」


 彼は加熱式の煙を吐く。この匂いはどうも好きになれないな。時々、喫煙所でこの匂いを感じることがあるが、どうも慣れないんだ。


「給料は悪くないが、残業が多すぎるし仕事もできないくせにプライドの高い馬鹿が多すぎる。自分は社長よりも偉いと思い込んでいる奴も沢山いるからね。そんなに偉いならなんでお前は社長じゃないんだ、と言いたくなるよ」


 それは君のことだろう……なんてことは流石に言えなかった。会社に興味はなくても、会社の噂はとにかくキャッチするようにしなければならないのだ。それがサラリーマンにとって大事なこと、それくらいは俺もわかっている。


 馬鹿みたいな話というか、馬鹿そのものだが、全くもってその通りなのだ。そう考えると、サラリーマンというのは会社ぐるみのお笑い番組なのかもしれない。


「次の会社は?」


「来月から、かな」


 聞けば誰もが知っているような会社だった。しかし、俺には彼の言うことは何も響きはしなかった。給料がどうとか、待遇がどうとか、休みがどうとか、福利厚生がどうとか。だからなんだっていうんだ?


「というわけで、同期に挨拶をしているってわけ」


「殊勝なことだね」


「まあ、最後だからね。そろそろ行こうか」


 彼は喫煙所を出て、自分のテリトリーに戻って行った。彼と話すことは多分もうないだろうし、同期と言っても同じ部署にいたことはない。だから当然、送別会も参加しないしそもそも呼ばれもしないだろう。


 その日の帰り、人のいないコンビニの駐車場に置いてある灰皿で煙草を吸った。考えるのは当然彼のことだ。彼には彼の人生があり、そして俺には俺の人生がある。きっと俺はもう、今手に持って半分まで吸った煙草のように、半分を過ぎているだろう。


 しかし、まだあと半分ある。だからと言って、何かを始める気はない。しかし、何もしない毎日を過ごすわけにはいかない。取り急ぎ、煙草をやめてみるのはどうだろうか。もういいだろう、煙草は。


 そんなことを考えながら、また新しい煙草に火をつけてみた。もっと日の当たる場所を目指すのも悪くないが、その場所でも俺は、やっぱりこの煙草を吸っているような気がした。

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