十六本目 夕暮れのような赤、ウィンストン・フィルター

 名前は有名だけれど、存在がマイナーな銘柄ってのが存在する。俺の吸っている、ウィンストンなんてまさしくそれに該当するだろう。


 メーカーの営業戦略なのかなんなのか、キャビンとキャスターはウィンストンになったけれど、そもそもの、大元であるウィンストンはマイナーなままなのだ。


 キャスターやキャビンは大体、どこのコンビニにでも置いてある。しかし、このウィンストン・フィルター、通称赤ウィンストンは売っていない場所の方がはるかに多い。


 だから、俺は『カートンで買うから』と、良く行くコンビニの店員にお願いして置いてもらっている。考えてみれば、普通の国産煙草と変わらないはずなのだ。昔は違ったが、今はもう国内で生産されているわけだし、それこそ同じソフトパックの、セブンスターやハイライトと何らかわりはないはずだ。


 しかし、繰り返すようだが、いつまで経ってもマイナー銘柄のままだ。いつだったか、いつもと違うコンビニに売っていたから買ったら、賞味期限が切れていた。


 別に多少切れていたって、香りが少し飛ぶくらいのものだ。大した影響はない。だから黙って最後まで吸った。



 気がつくと、外は赤い夕暮れの空になっていた。何度経験しても、この瞬間が俺は好きなのだ。もしかしたら、そのイメージに一番近いこの煙草のことを好きな理由は、それなのかもしれない。


「煙草、一本貰えないかしら」


 洒落た名前の喫茶店の、隔離された喫煙所でぼんやりと煙草を吸っていたら、入ってきた女の人に声をかけられた。店の名前はアルファベットで書かれていたのか、それともカタカナだったか。


 歩っていたら見つけたのでそこまで詳しく見なかった。ただ、喫煙席あります、の文字だけは確認して入った。アイスコーヒーを頼んで一息で半分まで飲んで、そして貴重品だけ持ってここに入った。


 貴重品、というのが笑える。煙草とライター以外、何が貴重品なんだってんだよ。なあ?


「どうぞ」


 サッと煙草を振って一本だけ、彼女が取りやすいようにする。ボックス煙草じゃこうはいかない。そういうのも、俺がソフトパックが好きな理由なんだけれど、過去にはウィンストン・フィルターにもボックスがあった。


 ボックスはたしかチャコールフィルターが採用されていた。ソフトパックは今もプレーンフィルターなんだけれど、よくソフトパックが生き残ったものだと思う。


 普通、逆だろう。ソフトパックがなくなってボックスが生き残るってのは結構聞くから。そう考えると、プレンフィルターの方が残っているっていうのは、この煙草が好きな人は煙草のことが分かっているのかもしれない。まあ、自惚れだな。


「何?」


 彼女の問い、銘柄のことを聞いているんだろうと思った。


「ウィンストン・フィルターです。いわゆる赤ウィンストンですね」


 彼女は俺の答えを聞いて笑った。


「ああ、銘柄ね。それはわかっているわ。パッケージが見えたから」


 どうでも良いことだけれど、この煙草はクール・スモーキングするとさらに旨味が増す。……それはこの煙草に限らず、どんな煙草だってそうかもしれないけれど。しかし、この銘柄を知っているとは彼女、結構な煙草好きなのかもしれないな。ふぅ、と煙を吐いたところで彼女は俺の方を向く。


「さっき何? って聞いたのは、私に何か言いたそうな顔だったから」


 俺も薄く吸って、ゆっくりと吐き出す。


「……何か、ってなんでしょうね?」


 彼女はそれを聞いて笑う。


「それは、わからないなぁ。貴方が、貴方自身に聞いてみるより他ないでしょう」


 確かに、その通りかもしれないけれど、俺自身がその時何を思ったのか、なんてこと自体を理解していないのだから仕方ない。


「それより、この煙草、悪くないわね。あんまり売ってないけれど、随分としっかりした味がするのね」


「俺はこの銘柄が一番好きなんです」


「理由は?」


「そうですね……まず味です。純粋なアメリカン・ブレンドって感じがする。あと、香りも良い。メープルの香りがとても」


「ふうん。でも、純粋なアメリカン・ブレンドって言えば、赤マールボロや赤ラッキー(ストライク)があるじゃない。それらじゃなくてこれを選ぶ明確な理由ってのが、多分他にもあるんでしょう? メープルの香りってだけじゃなくて」


「ああ、それは簡単ですよ。この煙草がウィンストンだから、です。赤ウィンストンだから」


 彼女の左手に持たれた煙草はもう、根元近くまでいっている。それを最後にゆっくりと吸い込んで、吐き出しながら灰皿で丁寧に消す。これも個人的なことだが、煙草の消し方、というのは非常に人柄が出る、気がする。


「綺麗に消しますね」


「慣れているから」


 彼女は立ち上がって、俺に向かってお礼を言ってそこを出ていく。俺も短くなった煙草を消して、彼女に続く。氷の溶け出した、薄くなったコーヒーを飲み干して、トレイに乗せて店を出ようとした時、さっきの彼女が俺の前にいた。彼女がトレイを片している時に俺に気がついた。


「さっきはどうもありがとう」


「いいえ、煙草がない時の状況って、自分もよくわかっていますから」


 そんなことを言った後に、ふと、俺がこの煙草を選んだ、本当の理由を思い出した。


「思い出しました、俺はこの煙草がプレーン・フィルターっていうことが、これを選んでいる一番大きい理由だと。同じプレーンフィルターでもハイライトやピースでは駄目で、これじゃないと駄目なんですよ」


 彼女は突然そんなことを言った俺を見てから、満足そうに微笑んだ。


「良いわね、吸いたい煙草が手に入って」


「どういう意味ですか?」


「私はゴロワーズ・ブロンドを吸っていたんだけど、日本から撤退しちゃってもう買えないんだ。だから、禁煙しようかと思って。……もし、貴方、その煙草が無くなったら禁煙する?」


「どうだろう。その時になってみないとわからないですけど、多分、禁煙すると思います」


「そうよね。そんな気がしたんだ。煙草、どうもありがとう」


 そう言って彼女は手を振って、歩いて行ってしまった。人生、生きているとこういう不思議な出会いもある。煙草が繋ぐ奇妙な縁。


 気がつけはもう夕暮れ時、俺は反対方向へ歩き始める。そして、彼女が言ったことをもう一度、深く考えてみる必要があると思い始めた。


 空は赤く、まるで俺の持っている煙草のような赤だった。何かが、始まりそうな気がした。気のせいじゃないと思いたい。でもそれは、結局こじつけになってしまうのかもしれない。


 なんにせよ、まだ俺の手の中にはウィンストンがある。どこかでもう一本だけ吸いたくなった。この茜空の中、家に帰る前に。

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