二十本目 煙草なんて、吸うもんじゃない

 どうしてこんな話を十九話も書いたのか、と問われると回答のしようがないが、強いていうのであれば、(紙巻き)煙草があった時代を描きたかったから、ということになるのかもしれない。


 正確には、まだ紙巻き煙草が生きている時代に、ということになるだろう。もちろん、これから先のことはわからないし、わかるはずもないので、紙巻き煙草は思いの外、生き残るのかもしれないし、もしかしたら、あと数年で加熱式煙草に置き換わってしまうのかもしれない。


 もしくは、煙草の類が全くなくなる可能性だってないわけじゃない。だけど、当たり前のことだけれど、その頃と今は違う。全く違っている。だから、そういう意味ではこの話も意味のあるものだったのではないか、という気がする。


 それに、そういった、一瞬を描くことを小説で表現する、ということをやめてしまったら、自分が小説を書く意味がなくなってしまう。完全に。煙草の害云々よりも、そっちの方が確実だ。



 ☆☆☆☆☆☆☆



 煙草を始める好奇心に比べると、どうしても煙草をやめる、という行為は壮大になってしまうような気がする。どんなことでもそうかもしれないが、始めるのは簡単なんだ。でも、止めるのには色々と必要なものがある。


 決意とか、強い意志とか、もしくは単純に金が勿体ない、とかね。なんだかんだ言っても、格好つけていても、金は大事だからね。一箱五百円から六百円。十箱入りのカートンを二つ買ったらそれだけで一万円が飛んでいく。ところが僕は、煙草をやめる理由なんてなにもなかった。だけど、ちょうど吸っていた銘柄が空になったところで、次の煙草を買わなかった。


 やめた理由っていうのは、それだけ。もしかしたら、元々吸っていなかった人からしたら、そんなのは全部幻想に聞こえるのかもしれない。もちろん想像だ。残念ながら、僕は吸わない人になることはできない。なれるとしても、煙草を吸っていた人。それだけだ。


「最近煙草吸っていないね」


 会社にある自動販売機で炭酸水を買って飲んでいたら、三つ上の先輩が僕に言う。彼とは部署が違うが、時々喫煙所で会って、煙草が根元まで燃える短い時間に、取り止めのない話を繰り返した仲だ。


 喫煙所というのはそういう出会いがある。しかし、そんな喫煙所の出会いってのは、あっても、心の底から良かったと思える出会いは少ないんだ。まあ、人生だってきっと、そんなもんだろう。


「わかります? 実は禁煙しているんですよ」


「またぁ」


 炭酸水。昔はこんなもの、飲めたもんじゃないと思っていたけれども。よく言われることだが、煙草をやめると味覚が変わる、と。そんなもの、全く信じていなかったのだけれど、体験してしまうと、僕だって誰かが煙草をやめようとしているときに、アドバイス染みたことを言ってしまうかもしれない。


「いやいや、本当なんですよ。もうすぐ一ヶ月になりますよ」


 彼は目を大きく見開く。元々大きい目がさらに大きくなる。きっと、こういうことも彼は自分の特徴として顧客との関係を築いてきたんだろう。人にはどんなことだって抱えていく必要があるものがある。……どんなことだって。


「……マジでやめてんの?」


「信じられないですよね。僕自身が本当に信じられないですよ」


「……煙草ってやめられるのか。あんなに美味そうに煙草を吸っていたのにね。それに、君みたいに、あんなに煙草が似合う人ってなかなかいないんだよ、お世辞抜きで。


 みんなまるで補給している、みたいに煙草を吸うからさ。君の場合は、純粋に煙草が好き、って感じがしたもんだ。だから俺だって、君がいそうな時間を選んで吸いにきてたんだよ」


 彼はそう言って、ポケットからホープ・メンソールを取り出して、じっと眺めた。


 まるで、その煙草のパッケージを眺め続けると、何かを示唆するかのようなメッセージが浮かび上がってでもくるかのように。実は、僕も時々そんなことをしていた。煙草のパッケージには不思議と、変な魅力があった。


「確かに、こうやって煙草をやめろ、ってパッケージに書いてあるもんな」


「笑っちゃいますけどね、そいうのって」


「まあね……何吸っていたっけ」


「ラッキーストライクのライトですよ」


「もう幸運は必要ないって?」


「……もともと、必要なんてなかったのかもしれません」


「……かもな。俺も、ホープを吸っているけれど、別に希望が欲しいわけじゃない」


「もう、持っているんですよ。希望も、幸運も」


「……だといいけどな」


 そう言って、彼は行ってしまった。多分彼は、喫煙所に煙草を吸いにいくんだろう。その日の帰り、コンビニで缶コーヒーを買った。変な話だが、缶コーヒーなんて駅の自販機で買えるんだよ。


 だけどあえてコンビニに来たってことは、自分が本当に煙草をやめられたのかどうかってのを、自分自身が確かめたかったのかもしれない。だって、別に医者に止められたわけでもなく、健康診断結果だって悪くなかった。


 それに、銘柄が廃止になったわけでもない。だから煙草をやめる理由なんてない。だけど、やめた。もしかしたら、僕は最初から、煙草なんて吸うべきじゃなかったのかもしれないな。


 これから先多分、煙草を吸いたくなる日がくるだろう。そういう時も、今と同じ気持ちを持っていたい。そう思う。



☆☆☆☆☆☆☆



 これで、この話はおしまい。


 ありえないことだと思うが、もし、これを読んで、煙草が吸いたくなったとしても、絶対に、絶対に吸わない方がいい。


 得られるものは少なく、そうじゃないものは多い。実際、自分もそう思う。だけれど、得られるものが多かろうが少なかろうが、そういうことじゃないんだ。


 一つ最後に言うのであれば、きっとそういうことになるだろう。


 ライターのオイルが切れた。


 ビックのライターもガス欠で、残りの煙草はない。


 これで、自分も煙草にさよならできるだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る