九本目 星空に消えるマイルドセブン・セレクト

 煙草をやめてどのくらいたったのか、もう数えてみないと思い出せないわけだけど、それでも未だに夢に見る。朝方に見た夢はまさしくそれだった。


 夢の中の僕は当時と同じようにマイルドセブン・セレクトを吸っていて、中古で買った自分の生まれた年のジッポー・ライターを使っていた。そういえば、あのライターどうしたっけな。どっかの引き出しにでも入っているかな。


 もっとも、出してみたところでオイルは切れているだろうけどさ。使う理由もないから別に……という感じだ。


 もっとも最初から、そんなり割り切れたわけでもなく、マイルドセブン・セレクトがなくなった時、最初はオリジナルのマイルドセブンに変えた。でも、何か違う。


 大元は同じように感じるんだけれど、薄いというか、軽いというか。なんというか……味がない、というか。というわけで、それを二箱吸ったらやめて、パッケージが似ているセブンスターに変えた。


 この時、なんでマイルドセブンセレクトはセブンスターと酷似したデザインなのかを知った。もともと、オリジナルのマイルドセブンがこのデザインだったんだ。そしてマイルドセブンはデザインを変えたけれど、セレクトはデザインを変えなかった。おそらく、一度も。


 しかし、パッケージが似ているというだけで、セブンスターも煙の質が違う……。当たり前のことなだよな。だってマイルドセブンとセブンスターはそもそもブレンドが違うんだから。煙草の名前なんて、いい加減なものなのかもしれない。


 というわけで、それも二箱吸ってやめた。しかし、変なこだわりで(喫煙者にはやたらと変なこだわりがある。しかもたくさん。僕は変なこだわりを持っている喫煙者をたくさん見てきた)いろいろな煙草屋に電話をして、なんとかワンボックス(五十カートン)の在庫を見つけた。


 そしてそれをちびちびと吸っていたが、当たり前だが煙草は吸えば灰になり、煙になる。一定数の在庫があると、なかなか減っていく気はしないが、残りが十カートンくらいになった時に、近いうちにこの煙草が吸えなくなる実感が強くなった。


 そんなこんなで最後の一箱を吸い終わったとき(賞味期限はとっくに切れていたけれど、ちょっと香りが飛んでいただけだった。そう考えると煙草に賞味期限表示は必要なのだろうか? とも思う)、僕は煙草をやめる決意をした。


 それで、最初の話に戻るわけだけど、それでも未だに夢を見るんだ。正直、吸いたくないか? と問われたら、間違いなく吸いたい、と答えるだろう。しかし、残念ながら吸うべき煙草がないんだ。どう頑張っても、もう二度と手に入らない。


 ここで、企業の責任がどうとか、そんなことを言うつもりは毛頭ない。何故ならば、形あるものはいつか必ずなくなるからだ。僕だって例外ではない。いや、僕以外だってそうだ。例外はない。人はいつか死ぬ。それは当たり前のことなんだ。


 そんな視点で見ると、煙草の銘柄が一つなくなるくらい、何だっていうんだ?

 しかし、僕は(僕たち喫煙者は)おそらく、命をかけて吸っている。しかし……。


 そんな夢を見たある休日の朝、僕は誰かが煙草を吸っている場面を見たくなったから、純喫茶に行くことに決めた。そういう店は探せばある、と誰かが言うが、まさしくその通りで、本当に、探したらあった。今の時代も、喫煙可の店が。


 店に入ると煙草の香りで満ちていて、僕は意識的にそういうところを避けていたんだ、と気が付いた。当時は良い香りだと思っていたが、やめて時間の経った今となってみれば……。


「ご注文は」

「ウインナーコーヒーで」


「かしこまりました」

 コーヒーが来るまでの間、喫煙者なら時間を潰せると思う。でも僕は何もすることがない。スマートフォンはあるが、インターネットにまつわる全てに興味がないし、本も読まない。だから、本当なら煙草があれば良かったのかもしれない。


「お客様、申し訳ございません」

 ぼんやりと窓の外を眺めていたら、店員が申し訳なさそうに僕のところに来た。


「相席でも、よろしいでしょうか?」

「ええ、構いませんよ」


 何が問題だというのだろうか? 神様にでも聞けばいいのだろうか? 向かいの席に女性が座る。


「煙草、良いですか?」

「どうぞ」


 そもそも、僕は煙草を吸っている人を見たくてここに来たのだ。何の問題もない。彼女は慣れた手つきでスリムタイプのジッポー・ライターを使っていた。銘柄はセーラム・ライトだった。僕の視線に気が付いたのか、彼女は僕にパッケージを見せてきた。


「あ、吸いますか? メンソールですけど」

「いえ……実は、僕は煙草を吸っていないんです。吸っていた銘柄が随分前に廃止になって、そこから禁煙しています」


「へえ、それなのにこういう店にですか?」

「……なんて言うか、誰かが煙草を吸っている場面を見たかったんです。変な話ですけど」


 彼女は上に向かって薄く煙を吐いた。

「へぇ……それはそれは。それがなくなったのって何年くらい前なんですか?」

「もうすぐ二十年くらいたつかな。でも、こうやって口に出してみると、なんだか女々しい感じがするね。二十年も引きずっているような気がして」


 彼女は微笑んだだけで何も言わなかった。それは肯定なのか否定なのか。わかるはずもない。


「お兄さん」

「僕はもうお兄さんって年じゃないんだけれど」

 彼女は僕を遮る。


「なんだかお兄さんの人生に興味が出てきました。良かったら、これまでの人生について話して頂けませんか?」

「はぁ……」


 これは良いことなのだろうか、それとも悪いことなのだろうか? 僕は今珍しく選択することを求められている。


 そういえば、僕の吸っていた銘柄も『選択する』という名前だった。僕は彼女の目を見る。まともそうに見える。僕はどうしようか考えた。それと同時に、なんだか長い一日になるような気がした。


 僕だって、今までの人生で選んできたことはたくさんある。正解も、不正解も。だから、今から話すことだってきっと選択できるだろう。そんな気がした。

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