日本がイスラム化はさすがにレアルートどころでは(w
というか日本にイスラム教が伝わったのっていつなんだか。
東南アジアまでは来てますから、来る余地はなくもなかったとは思うんですが、その頃はすでに長崎の出島しかなかったか……。
日本で宦官が受け入れられなかったのは結局のところ必要ではなかったからだとは思いますが。
中国の後宮やトルコのハレムの様ないわゆる女性だけの場所での男手が必要な設備はほとんどなかったですからね。
大奥が出来るまで、天皇もそういう施設必要としなかったわけで、基本つつましやかだったんでしょうかね。
作者からの返信
中国も結構イスラム広がっていましたから、全く来なかったことはないと思うのですが、商業と親和性のあるイスラムと、農業メインの当時の日本とでは相性が悪かった部分もあったのかもしれません。
結局、宦官組織を抱えられるほどの権力なり財産なりを集める仕組みがなかったんじゃないかなと思います。外戚が滅茶苦茶強いですし。
こんばんは、御作を読みました。
いや、そうはならんやろ。
と思いますが、鄭和さんならやりかねない怖さがありますからね。
でも、日本に一神教は致命的に合わないんじゃないかなあ。
仏教、キリスト教、ほか諸々の思想宗教を日本風に組み替える。
そして――絶対に組み替えられないものは、距離をとる。
宦官も距離をとられたものだったのかなあ、と色々考えるところがあって面白かったです。
作者からの返信
歴史のきっかけがどこにあるかは分からない……とは言っても、さすがにイスラム化はレア中のレアルートで、どこからそうなるんだというのは予想もつきません(汗
ただ、鄭和ならそのくらいやるかもみたいなものもありまして、まあ(汗
日本にとって宦官が受け入れがたいものだったのは間違いないと思います。
ただ、それが文化的な側面でなのか、社会の余力という点で無理だったのか、理由を考えていくと色々面白いかと思いました。
宦官が日本で流行らなかった理由は、中央集権化や資金の問題はあったにせよ、元々神道の考え方の中に、【神から預かった肉体に人が手を入れるのは不浄である】とする考え方があったからだと思います。なので、馬も去勢しませんでした。
あと宦官の手術は結構リスクが高かった様なので、それを江戸時代の普及させるのはかなり無理があるかと。無理強いするとそこら中で反乱が起きたと思います。
作者からの返信
三国志の周魴が好例ですが、中国も「父祖からもらった体に傷つけてはならぬ」的なグループが強力にいる反面、宦官も沢山いるんですよね。
貧富の差如何によってはこの部分を気にしない層は出て来たのかも、という気はします。
手術の危険性は全くその通りだと思います。
1/3前後が死ぬような手術を行う余裕は当時の日本にはなかったでしょうね。
編集済
な、なんだか明後日の方向に行きましたね……(^_^;)
恐るべし鄭和。
作者からの返信
鄭和は色々な意味で不可能を可能にする存在でした(^^;)