第21話 燃えよ鎌倉~源義経に転生しました・前編

『テンセー、次の転生先が決まったわよ』

「マジか? 最近、ペースが早くないか?」

『今回は、天界でもかなり画期的なことをしようという噂があるのだけど、転生先は源義経よ』

「何だと!?」


 源義経。


 日本史でも屈指の人気者ではないか。

「もしかして、前回がモンケだったから、今回の義経はモンゴルに渡ってチンギス・ハーンになりあがれというノリか?」

『まあ、やりたいならやってもいいんじゃない? 止めはしないわ』

 女神に突き放されてしまった。


 しかし、源義経か。

 軍事面では突出していた存在だ。

 ただ、それ以外はというと、微妙だ。


 もっとも、義経だけがダメだったわけでもない。

 極論してしまえば、源頼朝だけが何とかバランスを取れたのであって、他はことごとくダメだったとも言えるわけだからな。

 当時の鎌倉は、頼朝の下に山口組やら工藤会のような過激やくざがひしめきあっていたくらいの認識でいいのかもしれない。

 北条だけが奇跡的に生き残ったのであって、それ以外はことごとく出る杭になって叩かれまくる世界だった。

 しかし、生き残ったと言っても、ストレスで摩耗しつくしている。

 徳川十五代は260年、足利十五代は250年と続いた。

 北条は十六人(十七人説もある)いて130年だ。消耗度合いが違いすぎる。


 面子と実利を重んじ、出し抜く奴を許さない仁義なき世界。

 それが鎌倉だ。

 

 だから、並の人間では全くダメなのだが、よりまずいことに義経はこうした関東の気風を全く理解していなかったように思える。

 相手の体面に泥を塗りまくった後、「指を詰める? ダサいなぁ。京でそんなことをする奴はいないよ」と追い打ちをかけるような態度をしていたわけだ。

 なまじ平清盛や藤原秀衡といった大物の下にいた時間が長かったこともあって、義経にとっては「こっちの方が常道じゃん」くらいの意識もあったのだろう。ひょっとしたら、「兄上(頼朝)は鎌倉が長くて、京都のことを忘れているかもしれないから私が教えてあげよう」くらい思っていたのかもしれない。


 義経に転生するとなると、この部分を考えないと寿命を全うできない。

 理解できれば全うできるのかというと、1200年以降のドタバタを考えると難しいのかもしれないが……

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