光秀の本能寺の変の時の年齢は、【明智軍記】が55歳、【当代記】では67歳と記録されています。あと、太田牛一の【信長公記】では、信長が光秀の老体をいたわる記述が出て来るので、信長よりかなり年長なのは間違いないのでは?と思います。当代記は割と信頼性が高い資料なので、当時からかなりの老人と見られていたのでしょう。
親子2代に渡っているのは斎藤道三ですね。この人の場合は明らかに二人で一役だった事が分かっています。土岐家に入り込むのが親父で、国を乗っ取り、美濃を支配したのが息子ですね。
作者からの返信
そうですね。
親子説を真面目に提案したいわけではないですか、このくらいのものも成り立ちうるくらいに前半生等色々分かっていないということもありましたので、大胆に行ってみました。
あと、オチにもちょっと使えそうですので(^^;)
これは新しい! 光秀の年齢の諸説の上と下とじゃ親子ほど差があるけど、本当に二人光秀の親子にするとは!続きが楽しみです❗
作者からの返信
そうなんですよね。
1516もあれば40もあったりと、かなりかけ離れていて、そのどれかを選ぶのは難しいので「なら両方入れてしまおう」と思いました。
さすがに織田家幹部になって以降は親子で一人は通用しないですが、このあたり曖昧な関係であれば信長との関係も新しいものにできるのでは、とも思います。
まさかの道三パターンですか(w
でも確かに半生が不明ですから、あり得ないとは言えない……?
知名度のわりに生年不明ですしね……ホントに。
この新説を思いつくのはすごいです(w
作者からの返信
年齢も含めて現代出揃っている情報をなるべくたくさん採用したら、どんな整合性がとれるかを考えてみたところ、2代説が思いつきました。
67歳説から40代説まであるとなると、親子設定ありなのではないか、と(^_^;)