第9話 ナイチンゲールとヒーラー
俺の名前は奥洲天成。
今回、俺は今、話題のクリミア半島近くまでやってきた。
今も昔も、ロシアが弱い者いじめをすると西欧は黙っていない。
この時代ではトルコを叩こうというロシアを「これ以上、トルコがやられたら大変なことになる」と英仏が立ち上がって支援に乗り出して戦争がスタートした。
ま、英仏ともに本音は「クリミアを取られたらロシアが不凍港持ってしまうじゃないか」ということなんだけどな。
ともあれ、そういう形でクリミア戦争が始まったわけだ。
俺はイギリスの従軍医師だ。
そう、クリミア戦争で英国の医師、となると当然出て来るのが!
「貴様ぁ、何をぼさっとしている!?」
「は、はい! ナイチンゲールさん、今すぐ行きます!」
フローレンス・ナイチンゲールだ。
戦場の天使とも呼ばれていて、まあ、死にそうな兵士には優しいのだが、怖いうえに妥協しない人だ。
「貴様がちんたらやっている間にも、一人、また一人と英兵が死んでいるのだ!」
別に俺だけ怒られているわけではない。基本、厳格なんだ、この人は。
「反省しています。ただ、俺の態度とは別に、ちょっとここでは英兵が死に過ぎていませんか?」
俺の指摘に、ナイチンゲールの表情が険しくなる。
「……その点は同感だ。これではまるでロンドンの男を平原に連れ出して、次々射殺しているようなものだ。何かがおかしい、私の中の何かがおかしいと告げている」
時々不思議な言い方をするのはロンドン淑女ならではということなのだろうか?
原因について、もちろん、俺には分かっている。衛生状態だ。
不潔で鼠も這いずり回るようなところでは、感染症などが次々と伝染っていくのは当然、元気な者でもどんどん弱っていくということだ。
ということで進言しようとしたのだが、どうやらそこで彼女の中の何かが告げたらしい。
「とりあえずこの兵舎の中は汚すぎる。少し綺麗にしよう」
彼女は兵士達の方に振り向いて笑顔を向ける。
「皆様、これから兵舎を綺麗にいたします♡」
くっ、兵士達に対する時と俺達に対する時とで違いがありすぎないか?
女神注:ナイチンゲールの性格はかなり誇張されています。
ということで、衛生状態を改善したところ、死傷率が目覚ましく下がっていった。
「どうやら私の勘の通りだったようだ。衛生状態が悪いと、いかなる看護をしても意味がない」
昔は治療も滅茶苦茶だったし、な。何かある度に瀉血したり、すぐに四肢を切り落としたりしていたらしい。物騒なことだ。
「よし、これを報告しなければならない」
ナイチンゲールは報告書の作成にかかる。
ただ、出来上がったものを見るとちょっと具合が悪いように思えた。毎日の死者、衛生状態などの数字をただ羅列しているだけである。
「これで、みんなが読みますかね?」
数字のグラフを散々見せられて、「綺麗にしたら良くなりました」という当たり前の回答だ。何というか、「綺麗にしたら、ヒーラーなんかいりません」というようなものにも見える。
ナイチンゲールは「おまえにしてはいいことを言うじゃないか」というような表情で頷いた。
「このままでは読まないだろう。よし、絵を描こう」
「絵?」
「そうだ。酷い小説でも神絵師が描いていたらみんな読むだろう。絵には特別なパワーがある。女王陛下の頭がどれだけ弱くても、絵があれば見るはずだ。分かりやすく絵を描こう」
やめろ! どれだけ多くの作者が泣くと思っているんだ!
あと、女王陛下こけおろしまくりだから!
"女神の一言"
ネタ的に使われる「衛生兵はどこだ!?」という言葉ですが、本当なんですよねぇ。ほとんどの戦場において、兵士達の一番の死因は戦傷ではなく、病気や感染症などです。
考えてみたら当然であって、大勢の人間が距離も取らずに共同行動しています。訓練ではきちんとした食事がありますが、戦場ではきちんと食事が来る保証もないですしね。健康状態を悪化させる要因が色々と出てきます。
というあたりは、中世のみならず現代でも通用するものですが、さすがにここまでリアルにしてしまうと、中々文章にはしづらいものがありますね。
作者も戦場で兵士達がコレラにかかったとか書いてみたいと思いつつも、そこまでは踏み込めていません。
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