化けて粧して万聖節

十余一

化けて粧して万聖節

とくちゃん、おはよぉ」

「もう夕方よ」


 日が傾き始めた頃にやっと伽耶かやがやってきた。起き抜けの顔は青白く、目元は落ち窪んでクマも酷い。茶色がかったふわふわの髪も所々が重力に逆らっている。

 眠そうに目を擦っていたが、鏡台の前に座る私の姿を見ると目を瞬かせた。


「何時からやってるの?」

「朝から」

「へぇ~、凄いねぇ」

「貴女も早く準備なさい」


 私の言葉に「はぁい」と返事を寄こした伽耶の背中を見送り、続きに取り掛かる。八時間以上かけて全身をケアし肌を整え、これからやっと顔の化粧を始めるところだ。


 まずはチューブから出したブルーの下地を塗る。この色は瑞々しい透明感が得られるからお気に入りだ。それから黒いキャップを外しリキッドファンデーションをワンプッシュ。透明感を損なわないように薄く延ばしていく。肌を念入りに仕上げたおかげでコンシーラーの出番は無さそうだ。パステルカラーのフェイスパウダーをブラシで塗っていたところで、前髪を猫のヘアクリップで留めた伽耶が戻ってきた。


「篤ちゃんって、そういうの好きだよねぇ」

「そういうの?」

「透明感とかスケルトンとか? 今日だってほら、骸骨のコスプレするんでしょう」


 伽耶が私の服装と手元にある化粧品を見ながら言う。デザインに肋骨を取り入れた白いブラウスに、黒の大胆なヘムスカート。スカートにあしらわれた白いチュールがまるで大腿骨のように揺れ、腰につけた大きなリボンは腸骨のようで可愛い。


「素敵でしょう、こういうの」

「そうだねぇ」


 アップルグリーンのクラシックなメイド服に、血糊のついたフリルエプロンをつけた伽耶がにこにこしながら私の隣に座る。先ほどまでの死んだような目はカラコンを入れたことで輝きを取り戻していた。


「そういえば、渡したいものがあるの」

「なになに? プレゼント?」


 期待によって胸を弾ませた伽耶に白い箱を差し出し、「開けてみて」と促す。中身は流水模様が描かれたお猪口。器の内側が玉虫色に煌めくのと同時に、彼女の目もより一層輝いた。


笹紅ささべにだ! これ昔、憧れてたんだぁ」


 お猪口を大切そうに抱えて「ありがとぉ」と言う伽耶に「今年は特別だから」と答えてから、鏡に向き直し化粧を再開した。伽耶はしばらく色んな角度からお猪口を眺めていたが、やがて化粧を施すべく下地の容器を振り始める。カラカラと鳴る攪拌かくはん用の玉の音もなんだか嬉しそうに思えてくる。


 伽耶のご機嫌な鼻歌に耳を傾けながら、グレージュトーンのシェーディングで丁寧に陰影をつける。それから斜めにカットされたアイブロウペンシルでふんわりと眉を描き、アッシュグレーの眉マスカラで仕上げた。

 そして今日のアイシャドウはどれにしようかなんて考えながら、ふと隣に目を向けると伽耶がフェイスパウダーの箱を凝視していた。その肌はピンクの下地とベージュのファンデーション、そしてカバー力抜群のコンシーラーによって血色感を出しつつも均一に整っている。


「どうしたの?」

「いや、なまりとか入ってたら嫌だなと思って」

「もう令和よ? 鉛はだいぶ前に規制されたわ」


 納得した様子の伽耶を尻目に、私は横長のアイシャドウパレットからピンクモーヴを選び瞼を彩っていく。ナチュラルなグラデーションを作り、ブルーやホワイトの繊細なラメと六角形の大粒グリッターを乗せる。なかなか普段使いできないアイシャドウも今夜は大活躍だ。涙袋はオパールのような輝きで盛り、目尻には細い筆先でピンクグレージュのアイラインを引く。


 ビューラーでしっかりと睫毛まつげに反りを付け、天まで届くというマスカラを塗っているとき、伽耶の鼻歌が念仏に変わっていることに気付く。


南無阿弥なむあみ陀仏だぶつ。南無阿弥、陀仏」

「……何それ」

「マスカラを塗るときにね、『魔女リカ、魔女ルカ』って言いながら塗るといいって聞いたから、私なりにアレンジしてみたの」


 伽耶が「コームを根元に当てて南無阿弥、毛先に向けてスッととかしながら陀仏だよ!」と追加で説明してくれる。その目はひかえめなブラウン系のアイシャドウとアイラインに彩られ、少しだけ目力が増していた。勢いに圧され、二人揃って鏡に向かい念仏を唱えながらマスカラを塗る。可笑おかしくて、ちょっと笑った。


 頬にはガーベラが型押しされたパープルカラーのチークを薄く入れ、プリズムのように輝くハイライトを頬や鼻筋に入れる。最後にモンスターの名を冠したリップを塗ったら化粧はおしまい。たっぷり入ったブルーパールがちらちらと光るのを見て自然と口角が上がる。

 あとはアッシュカラーのウィッグを被り、脊椎を模したカチューシャをつけたら完成だ。


「篤ちゃん可愛い~!」


 ふわふわのチークブラシを振りながらしきりに褒める伽耶が、「化粧も仮装もバッチリ! どこからどう見ても今時の女の子!」と続ける。止めないといつまでも褒めていそうだから、手を差し出して化粧の続きを促した。すると、鏡に向き直った伽耶が、目頭にシャンパンゴールドのハイライトを入れながらぽつりと呟く。


「私ね、目が大きいの昔は嫌だったの。指南書読んで必死に小さく見えるようお化粧してさ」


 「あの頃は、そうだったわね」と私も返す。長い時間をかけて価値観も移り変わっていく。昔は不美人とされたぱっちり二重も、今ではのりやテープを使ってまで形作る人がいるくらいだ。しかし不変的な美もある、と私は思う。いや、私たちかな。

 伽耶は私がプレゼントしたお猪口を手に取り、意気込むように言う。


「でもね、何年経っても唇は緑色にしたい!」


 その頬はゴールドパール入りのオレンジチークで色付き、自然な高揚感を演出していた。

 

 水を含ませた筆でお猪口の紅を溶かすと鮮やかな赤色になり、伽耶の口から驚きと歓喜の声が漏れ出る。そして唇にすとまずは淡い桜色に、それから重ねるごとに濃く色付いていく。伽耶の唇に合わせオレンジレッドに発色した紅に、玉虫色のつやが出て煌めいた。この美しい緑の輝きが「笹紅」という名前の由来だ。


 「よく似合っているわ」と言うと、伽耶は照れたように笑う。

 最後に髪を緩く巻き、エプロンと同じく血糊のついたヘッドドレスを付けたら可愛いゾンビメイドの完成だ。



 準備が整い、いよいよ夜の繁華街に繰り出して行く。駅前の交差点は私たちと同じく仮装した人たちでごった返していた。道が交わる場所は世界も交わる。この世と、別のどこか。きっとこの中には、で私たちと同じ存在も紛れ込んでいるのだろう。


 もっとも、この人混みの中でいちいち他人のことを気にする人などいないか。私たちのこんな会話も、雑踏の中に溶けて消えた。


髑髏ドクロとくちゃんが骸骨のコスプレするのってさ、頬の赤みが気になるからグリーンの下地を塗るけど最終的にチークで血色感を出すみたいな、そんなかんじがあるよねぇ」

「いいのよ、化粧は自己満足だから。自分のテンションが上がれば無意味に思える行動にも意味を見出せるわ」

「それもそうだ~」

「それに生けるかばね伽耶かやも、ゾンビのコスプレしてるじゃない」

「だって、早桶はやおけの中でうめいていた私を見つけ出してくれてから、今年で丁度二百年だからねぇ。原点回帰? みたいな」

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