第28話

アルミのドアの先にはメイドカフェの従業員控え室があった。


「これは一体何なんですか?」


クマの着ぐるみを着せられたあおいは、自分が何をさせられるのかわからず、困惑していた。金髪男(店長)はその姿を見て、自分の見立ては正しかったとご満悦の表情だ。一方、愛莉はメイドカフェでバイトしていることがあおいにバレてしまい、複雑な心境だった。


「愛莉さんがメイドカフェでバイトされてるとは驚きでしたが、私はこれから何をさせられるのですか? この格好で表で客引きをしろと言うのなら、お断りです」

「まあまあ、そうカッカしないで。童謡『森のクマさん』は知ってるよね?」

「はい。それがどうしましたか?」 


店長は近くに置いてあるラジカセのスイッチを押す。すると、スピーカーから『森のクマさん』にアレンジのかかったなんともファンシーな曲が流れてきた。


「あおいちゃんに、これを歌ってもらいたいんだ」

「歌うって、今ここで?」

「ノンノン。12時からのステージでさ」

「この店には、メイドたちのショーがあるの。その中で『眠れる森のクマさん』っていう曲を担当してる子が今日急に来られなくなって。その曲抜きのセットリストに変更しようとしてたんだけど。店長があおいの見た目と声がその曲にピッタリだって言ってさ。無理なら断っちゃってもいいんだからね」

「おいおい、それは困るなカノン。せっかくここで出会ったのも何かのご縁。僕としては是非あおいちゃんに出てもらいたいんだ。なぁに、歌詞はほぼ『森のクマさん』のままだし、振り付けはない。この演目が好きでわざわざ遠方から足を運んで来てくれるお客さんだっているんだ。店長としてお客様をがっかりさせるわけにはいかないよ」

「なにこんな時だけ店長っぽいこと言ってんですか? いつも店のことほったらかしてぶらぶら出歩いてるくせに」

「そんなことより、あおいちゃんどうかな?お礼は弾むよ。なんならこの店イチオシのフィナンシェも食べ放題だ」

そう言って壁に貼られたスイーツのポスターを指差す。

「フィナンシェ...」

よだれを垂らすあおい。

「一曲だけ歌えばいいんですよね?」

「おっ、やってくれるのか?」

「あおいちゃん?!大丈夫?」

「大丈夫かと聞かれると大丈夫ではないですが、フィナンシェのためならやむを得ません」


 それからステージまでの2時間、あおいは店長と必死に練習をした。

 その間、愛莉はメイドとして店に出て接客にあたっていた。その様子を従業員控え室の小窓から時々眺めていたあおいは、愛莉の見事なメイドの所作に感心していた。

 あおいの歌唱センスと記憶力が良かったおかげで曲をマスターするのにそれほど時間はかからなかった。問題なのはリハーサルもなしにいきなり本番お客さんの前で曲を披露すること。

 本番30分前。休憩に戻った愛莉が、緊張した様子のあおいを気にかけ、話しかけてきた。


「ごめんね、変なこと急にお願いしちゃって。店長ほんとマイペースでさ」

「いえ、引き受けたのは私ですから。それにその、尾行なんかしてすみませんでした。愛莉さんが危険な目にあったら止めようと思って」

「別にそのことは気にしてないからいいよ。ってか、あおいちゃん一人で止めにかかるって何? 無謀すぎっしょ。もしほんとにわたしがヤバいやつと絡んでたらどうすんの?」

「たしかに... 後先考えず行動してました」

「あおいちゃんっておもしろいね。まあ心配してくれてありがとう。あおいちゃんもあの噂聞いたんだよね?」

「えっと、まあそうです...」


愛莉が学外で男と遊びほうけ、あろうことかパパ活にまで手を出しているというあの噂。


「店長とよく買い出しに出かけるから、誰かに見られて誤解されちゃったのかも」

「じゃあ噂は本当じゃなかったんですね。よかったー。でもまたなんでメイドカフェでバイトを?」


愛莉は姿見で髪を整えると、口からそっと息を吐いた。


「私、声優学校通ってるんだよ」

「え? 声優になりたいんですか?」

「そう。なんか恥ずかしいし、みんなには黙ってたけど。この前、宮前くんと喧嘩になったでしょ?」

「ああ、私が部長会議に出てたときのことですか。舞さんから聞きました」

「あのときさ、オーディションの結果発表見てたんだ」


スマホをずっと眺めて部活に参加しようとしない愛莉を陵が怒ったのだ。


「結果は聞いてもいいんですか?」

「ダメだった。今回もダメだった。審査員からはよく演技が硬すぎるって言われてる。少しでも今の自分を変えたくて、高校からキャラチェンもして。メイドカフェもその勉強の一つ」

「じゃあ学校でのギャルな愛莉さんは作ってるってことですか?」

「本当の私はもっと地味だよ」


愛莉は鏡の中の自分を寂しそうな目で見つめた。


「すごいです!」

「え? 何が?」


予想外のあおいの反応に愛莉は驚いた。


「私は完全に騙されてましたよ。愛莉さんの演技に。学校でのギャル、そしてさっきのお客さんの前でのメイド。どちらも演技とは思えないくらい自然です」

「ありがとう...そんなこと言われるの初めてだよ」

「だからこれからもギャルがんばってください。私のこと『ちっこいの』ってののしってください。私にできることと言ったらそれくらいですので」

「あんたやっぱり変わってるね」

「愛莉さんもです。普通、普段のキャラまで変えたりしませんよ」


「やあやあ、僕のおかげで二人ともすっかり仲良くなったようだね」

二人のやりとりをどこかで聞いていたのか、まるで自分の手柄のように自慢げな店長が現れた。


「「店長のおかげじゃない!!」」

ハモったことがおかしくて、二人は顔を見合わせて笑った。


そして、あおいはステージに立った。



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