第12話 潜むアヤカシ
盆地特有な真夏のうだるような暑さも、九月の末にもなるとさすがに朝晩が少ししのぎやすくなってくる。そうはいっても、日中はまだなかなか袷の着物を出そうとも思えないほどの気温なので、手持ちの単衣の着物をフル活用して予約のお客様をさばいていく日々だ。この間白蔵主から引き取った着物のうち、一枚は単衣だったので、さっそく活用させていただいた。中古とはいえ、仕付け糸の残った状態の藍染の絹紅梅は、今時なかなか見かけないので、これからも重宝しそうだ。まとわりついていた残留思念はおいしくいただいたし、一粒で二度おいしいとはこのことだ。
昨日の頂き物の生菓子で一息つきながら、パソコン画面を開いて今日の予定や予約状況の確認をする。ちなみに生菓子は、鍵善義房さんの岩山椒という、珍しいものだ。餡子の甘さと、山椒の風味が合うとは普通は思いつかない。1階の大家さんである骨董屋からのおすそ分けだ。茶器の龍が鼻をスンスンさせて、気になる様子を見せるので、小さく切り分けて一口あげてみる。
「・・・これは面白いな。」口をむぐむぐさせながら味わいを確かめ、龍がつぶやく。こうして折々の和菓子をいただいたりして、食べさせているうちに、最近ではこの茶器の物の怪はすっかりいっぱしの和菓子評論家のような口を利くようになってきた。舌もしっかりと肥えてきてしまったようで、スーパーや、コンビニなどの量産品を食べさせると、ぶつぶつ文句を言う次第だ。物の怪の分際で誠に生意気。である。そういいながらも、この和菓子というこの国独自の食文化が、私たちあやかしに、深く愛され続けていることは間違いのないことなのだ。季節折々に、素材を変え、彩りや食感、風味などを創意工夫して、市内にあまたある和菓子店がしのぎを削って作りだしてきたこの古都の和菓子という文化は、あやかしたちの興味をひきつけてやまない。これほどまでに長く生きてきたあやかしを飽きさせないというのは、実はものすごいことなのだ。人間の作り出すものはいつも、あやかしには真似のできない何かをはらんでいる。か弱くて、あっという間に年老いて消えていく癖に、慈しみたくなるような様々なモノを創造していく能力にはいつも驚かされるばかりだ。
珍しい期間限定販売の和菓子をおすそ分けされたのには、実は理由がある。
「それにしても、久々の海外旅行だなんて…」私が間借りしている建物の一階部分で茶道具屋を営んでいる鐘ヶ江の店主が、久しぶりに奥様とともにヨーロッパに、商品買い付けのついでに出かけることになったというのだ。その間、店を休業にしてもいいのだが、この際だから奥様のリクエストに応えていろいろ周遊するということになり、一月ほど思い切って留守にするため、さすがに留守番を頼みたいという話。
毎日店を開ける必要はないので、私のほうの予約のない日に、電話番を兼ねて一階の店に座っているだけでいいという条件で引き受けることになったのだ。
「最近じゃ、日本国内よりも、海外の市場のほうが、日本の古美術品の状態のいいものが出てくるらしいって、火車も言ってたなあ。」帰国してからしばらく、うちの倉庫を拠点代わりにあちこちの骨董市を渡り歩いている、仲間のあやかしの話を思い出す。明治維新の廃仏毀釈運動や、身分制度の崩壊で、この国で職人が作り上げてきた工芸品はものすごい勢いで海外へ流出した。その後の世界的な戦乱に巻き込まれて失われた書画骨董の割合も、国内のほうがはるかに多い。炎や、戦乱というのは、私たちあやかしにも大きな影響を与える恐ろしいものなのだ。
「さて、と。いい商品が見つかるといいね・・。」茶器を片付けて、開店準備を始める。店の前の掃き掃除をしていると、ちょうど大家の鐘ヶ江の奥様が、珍しく自転車でやってきた。ここの店舗とは別に、市内の北部にある自宅で普段生活しているので、たいてい車で用事のある時に顔を出す程度が多いのだが。
「あ、おはようございます。・・自転車珍しいですね。」9月とはいえ、まだまだ気温は高い。わざわざこの暑い中自転車というのは何か理由があるのだろうかと思っていると、奥様は自転車を降りて額の汗をぬぐってにっこりとほほ笑む。
「そうなのよ~、旅行で着るつもりのワンピースを試着してみたら、なんだかきつくって・・・慌てて運動してみてるの。間に合うかしら。」もともと華やかな感じのほっそりとした和風美人なので、それほど体形が変わったようには見えないが、よほど旅行が楽しみな様子だ。出発は確か来週だと言っていたので、さすがに一週間では効果があるかどうかはわからないが、要は気持ちの問題、なんだろう。
「それでね、今からちょっと時間取れそうかしら?」奥様のほうもいつもの開店準備作業をしながら、私にそう尋ねる。
「今日の予約は昼前なので、大丈夫ですよ。」
「あらそう、ちょうどよかった。一応店番をお願いすることになるから、ちょっとうちのレジシステムの説明とかをしておいてもいいかしら。」
「わかりました。」奥様と一緒に鐘ヶ江の店内に入る。店内は入り口のほうに花器や水指などの大きめのもの、中央のガラスケース内に茶碗や茶入、香合などの小物類、奥の壁に掛け軸という並びになっている。レジは店の一番奥にあった。
「ここのコンセントで電源入れて、スイッチここね。立ち上げは自動だから日付だけ入力して。両替金庫のカギはここ、まあほとんど現金はうちでは使わないお客様が多いから、カードの機械はこれね。使い方わかるかしら?」
「あ、はい。うちのレジと基本は同じですね。」昨今の事情と海外のお客様の増加で、私もクレジット決済端末導入済みだ。想像していた以上にレジが最新型だったので、内心少し驚いたが、骨董屋だからって、レジも骨董品というわけでもないらしい。今どきは商品もインターネットで販売したりするせいか、以外にも最近の業界ではパソコンもしっかりと使いこなす経営者が多いのだ。
「そうなのね。じゃあ、安心してお願いできるわね。後は、セキリュティなんだけど、最近よく夜中に誤作動が続いているから、普段は入れてないの。どうしても心配なら、ここにスイッチがあるから、閉店してから使ってみて。誤作動した時のリセット操作はここに説明書があるから。」一応店内に、赤外線センサーの警備システムが設置されているらしい。誤動作が起きる理由…私には気配で分かってしまった。
『…いるのか。』店内のいくつかの商品から、物の怪の気配がする。できるだけ気配を殺して、潜んでいるつもりのようだが、同族にとってはバレバレだ。とりあえず今のころは気づかないふりをしてやり過ごしながら、店番にあたっての注意点や、電話がかかってきた場合の対応方法などを奥様から確認していく。
「商品の問い合わせに関してだけ、このメールアドレスのほうに連絡してちょうだい。いちげんさんのお客様に関しては、店内の商品は値引きなしなら販売してもらって構わないからね。値札がない商品はここのファイルに写真入りでリストがあるはずだから確認して。」基本的に玄人向けの商品が多いので、商品の価格帯もあまりふらっと入って買えるような手ごろなものはなさそうだ。おそらく店番の期間中に商品が売れることはないような気がする。骨董という世界の不思議さを感じながらひとしきり説明を聞いて、ついでにどこの国をめぐるつもりなのかという話や、奥様の行きたい場所の話などを聞いているうちに予約客の準備をする時間になったので、日程の最終確認などを済ませて自分の店に戻った。今日の予約客はご夫婦で京都観光を楽しみに来る40代の男女だ。残暑が厳しいうえに、祭りや紅葉などの催しも特にないこの中途半端な時期に来るのは、どうやらお目当ての展覧会が京都でだけ開催されているかららしい。博物館、美術館が公立私立合わせてたくさんあるこの町ならではの目的がある。
『・・一体何の展覧会観にきはるんやろな。』美術館博物館では、よく物の怪と遭遇することがあるので、そこはやはり気になる。男性用の単衣と女性用の単衣の着物と、念のため男女の浴衣のセットを用意しておくことにする。行く先によっては着物ではしんどい可能性があるからだ。また逆に、歌舞伎や能などを予定している場合だと、浴衣ではカジュアルすぎて浮いてしまう。行先や、年齢、などを想定して、小物や帯などをコーディネートするのはほんとに楽しい。
「・・こんにちわ。」そうこうしているうちに、一階の扉が開く音がして、予約のお客様が見えたようだ。
「おいでやす。」京都らしい挨拶をして、階段まで出迎えて、一日が始まる。
『なあ、今日来たアレ、あやかしだったよなあ。』すっかり夜も更けて、閉店して人気のなくなった鐘ヶ江の店内では、何やらひそひそと話し声が響いている。
『見た目は完全にヒトにみえたがなあ・・・気配はアヤカシもののような気がしたなあ。いったい何しに来たんじゃろな。』はっきりとした話し声が二つ、あとは何やら声になるようなならないようなざわめきがいくつかといったところだろうか。うっかり動いてしまってセンサーに反応されてからは、それがトラウマとなって暗がりに潜んだまま、夜中にぶつぶつとつぶやくだけの存在だ。人語を発することができるようなある程度の妖力を持っているのは、年代物の茶釜と、同じく桃山時代の三足香炉だ。茶釜に関しては、骨董鐘ヶ江が開店して以来ずっといる古株だ。名のある御釜師の手による作品で、市内の美術館などで茶道具の展覧会などがあれば貸し出されることもしばしば。長く存在しているだけはあって、きちんとわきまえているので、人前などで動いたり話したりすることなくうまいこと世渡りをしてきたのが自慢らしい。一方でうっかりセンサーを作動させてしまったのは、桃山時代の陶工の手による織部釉三足香炉のほうだ。獣足で、ついとことこと歩いて向きを変えてしまって、センサーの警報音に驚き、危うく置いてある棚から足を踏み外して落下するところだったのだ。幸い、その棚に一緒に入っていたネズミの形の香合が機転を利かせて抱き留めてくれたおかげで傷物にならずに済んだ。ちなみにネズミの香合もかなり時代はあるが、生憎ネズミなので、『チュウ―』としか言えない。
『なんにせよ、おとなしくしておくに越したことはないな。』
『それはそうだな。』暗がりの中で、どうやら意見の一致を見たようだ。周りのざわめきも、同意したような雰囲気で、骨董鐘ヶ江の夜は更けていく。
日々是好日 @Onmoraki @Onmoraki
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