第11話  転がるアヤカシ

毎年恒例の一月にわたる市内最大級のお祭りを済ませると、古都はほんのすこし弛緩したような湿度の高い夏を迎える。観光客の数も多少は落ち着き、私の店も、連日着付け予約がフル回転だった分の大量に溜まった、洗いに出さなくてはいけない夏の単衣をまとめて持って行く準備をしなくてはならない。

「・・・今日はなんかあるのか。」朝からごそごそと着付けに使った着物を引っ張り出しては状態を確認して、洗いに出すモノを仕分けしていると、テーブルの上に朝の一服で使用したままだった龍の茶器が声を上げた。

「うん。祇園祭も済んだし、次の五山の送り火までの間に一旦、着物を洗いに出しておかないとね。」私の店に来るお客様は基本的に、マナーをわきまえた人が多いので、貸し出した着物を汚して返すようなことはほとんど無い。よその貸衣装屋では、観光客に貸した着物にベッタリと口紅がついていたとか、食べこぼしらしきシミが付けられたとか、着物で地面に座ったらしき泥汚れがあるなど、毎年のように耳に入ってくる。よほどわざと汚したモノでも無い限り、貸衣裳代にはクリーニングの費用も含めているのが普通なので、そうしたマナーの悪い客からも追加料金などを取ったりはしないものである。だが、安い化繊の着物ならばともかく、この町では、かなりの数、時代物の着物を貸衣裳に使用しているところも多く、そうした正絹の筋の良い着物はクリーニング代も高くなる。『正絹の着物に醤油染み』など付けられた日には、レンタル代がまるごとクリーニング代金になってしまうこともあるのだ。返却されたときには気がつかなくても、後から浮き出してくるシミなどもあるので、クリーニング屋に持って行く前に、一旦きちんとくまなく確認しておかなくてはいけないのだ。

「あー・・・やっぱりこれはしみ抜きに出さなくちゃだなあ。」何枚かはやはり汚れが気になるものがあったので、それをより分けてから、それぞれ風呂敷に包んで、市内の二条地区にある着物のクリーニングを専門に請け負う業者に持って行くことにする。この町では、いまだに芸舞妓などの日常生活を着物で過ごす人々や、私たちのように観光向けの貸衣装屋など、まだまだ着物のクリーニングに関しては需要があることから、かなり大規模に着物クリーニングだけを請け負う業者が二条城周辺に集まっている。彼らも今はかき入れ時でフル回転だろうが、そこはお互い商売だ。

「もしもし、呉竹さん?うちやけど。今日クリーニング持って行こうと思うんやけど、何時が良い?」大量に持ち込むので、事前に時間帯を予約しておかなくてはいけない。電話の向こうでは、明らかに忙しそうな声が飛び交っている中、私は馴染みのクリーニング屋に電話を掛ける。

「ああ、小町さんね。そうだなあ・・・一時くらいやったら良いかなあ。」

「一時やね、わかった。ほなまた後で。」電話を切ってから、大きな風呂敷包みに三つ分になった着物を玄関前に運び、使った茶器を洗って片付けながら、今日の予定を反芻する。午前中のうちに部屋の掃除と洗濯を済ませて、明日は久々に着付けの予約が入っているから、そのための着物の組み合わせを見繕わなくては。

予約客の年齢と希望、目的地を確認するために、パソコンの画面を開くと、仕事用ではない方のメールアドレスに、新着が一件入っている。

「・・・誰だろ。」私用のメールアドレスに連絡が来るのは、基本的には同じアヤカシの仲間からだ。しかしアドレス表示には心当たりがない。添付ファイルなどがあるわけではないので、おそらくはウイルス感染等では無いとは思うものの、恐る恐る開いてみる。

「・・・・ああ。白蔵主か。」以前大将軍神社での百鬼夜行(人間版)イベントの時に、そういえばこちらのメールアドレスの載った名刺を交換したことを思い出した。

「何だろう。」堅苦しい時候の挨拶からはじまる長文メールの内容を要約すると、ようするにどうやら、最近入手した古着の中にいくつか曰く付きのものが紛れ込んでいて、それが夜な夜な五月蠅い上に、はた迷惑な自然発火現象まで引き起こすらしく、大至急手放したいという相談だった。白蔵主の住処は由緒ある寺院だから、大切にしている書画骨董コレクションに被害が及びかねない自然発火現象はさぞかし厭だろう。しかたがないので、今日のクリーニングを出すついでに、白蔵主の住処まで足を伸ばして受け取りに行くことにして、その旨時間と共にメールを返信する。どうせ大荷物だから車で二条まで向かうつもりだったから、白蔵主の寺のある龍安寺の近辺まで行くのもたいした手間では無いだろう。

「・・・はや。」よほどさっさと手放したいのだろう。送信してすぐさま了解という返信が返ってくる。ご丁寧に周辺道路の一方通行の印の入った写真まで付ける念の入れ用だ。確かに白蔵主の住処である寺は、いわゆる観光向けの立地ではなく、由緒は古いものの完全に住宅街の真ん中にあるので、入り組んだ一方通行の情報があるのは非常に助かる。地図の情報だけを携帯の方に転送して、私はようやく目的の明日の着付けの予約客の情報を確認する。

「・・・あ、そうか、明日のお客様は、男女のペアだった。・・・男もんの着物出しとかなあかんな。」祇園祭の浴衣カップルは最近珍しくなくなってきているものの、やはりレンタル着付けでは男性の予約は少ない。私の所でも男性用は在庫としてはあるものの、男性の着物は対丈といって、女性の着物と違い、おはしょりで着丈を調節することが出来ないので、どうしても選択のバリエーションが限られる。そのため事前に申込時に男性は身長を記入する欄をメール申し込みフォームに作ってあるのだが、

「・・あかん。身長の欄が空白になっとるわ。」前日にチェックが必要なのはこういうことがあるからなのだ。急いで明日の予約客に予約確認としてメールにその旨記入して返送する。バタバタと、荷物の風呂敷包みを階段下まで往復して運んで、もう一度部屋の火の元を確認する。

「ほな、行ってくるわ。」すでに食器棚で昼寝の体勢になっている茶器の龍のムニャムニャとした返事を聞きながら、愛用のおんぼろ軽自動車に荷物を積み込んで戸締まりして入り口の看板も裏返す。たまにこれを忘れて出かけると、一階の骨董屋に迷惑がかかるのだ。文句を言われるわけでは決して無いが、やんわりと後から『お客さん、こまってはったで。』という風に報告が入るので、気遣いは欠かせないのが店子のつらいところだ。

祇園祭が済んだ八月の古都は、タクシーの数も減り、交通状況は改善されてはいるものの、観光地周辺ではやはり渋滞も発生している。既に出発したのが11時を過ぎていたので、先ずは龍安寺方面へと向かう。京都の道は碁盤の目だと思っている方も多いだろうが、それはあくまでも御所や二条城などの中心地区の話。中心から外れた住宅街や、古い寺院などのある地区になると、車一台がギリギリ通れるくらいの狭い曲がりくねった道などが入り組んで、迷路のようになっているところも少なくない。

今向かっている白蔵主の居る寺の周辺も、いわゆる龍安寺の方面へ向かう『きぬかけの道』は通りやすいがそちらからいくと一方通行に阻まれて、寺にたどり着くことが出来ないという難しいルートだ。嵐電沿いの細い道から、住宅街の曲がりくねった見通しの悪い道のりを、四苦八苦しながら抜けると突然目の前に古い石橋が出現する。そこだけ何故かぽっかりと広くなっている空間に、寺の名前の入った立派な石柱と、木造の古い山門、そしてその手前に何故か、川もないのに車が通れるような立派な石橋が架かっている。石橋を渡り、山門を抜けると普通は境内だと思うのだが、何故かそこにも住宅街が並んでいる。かろうじて駐車場の案内看板が見えたので、その指示に従ってしばらく走ると手前に墓地、左奥に駐車場がようやく見えてきた。

『昔はかなり広大な敷地の寺だったんだろうなあ。』そんなことを思いながら駐車場に車を止め、途中で買った手土産代わりの折り詰めを手にこれまた由緒のありそうな山門の方へと向かう。ここまでかなり順調に来たにしても、まもなく昼時だ。アヤカシ同士であっても、昼時に手ぶらで行くのは気が引ける。

門をくぐると、見事に整えられた松の古木や、苔が瑞々しい前庭の奥に玄関が見えてくる。通常の本堂らしき入り口ではなく、左右に下足棚とすのこの敷かれた天井の高い土間作りの入り口だ。参拝客もあるらしく、下足棚には何足か靴が入っている。

「すみません、小町と申します。住職様いらっしゃいますか?」そういえば人間としてのの名前を知らなかったことを思い出して、無難に住職様という呼び方をしてみる。まさか白蔵主などと受付で呼ぶわけにも行かないだろう。上がりかまちの左手に小部屋があり、そこでどうやら拝観料や、御朱印の受付、呈茶などの応対をしているらしい。由緒ある寺院だというのは知っていたが、まさか拝観料を取れるような古刹だとは知らなかった。

「・・・あ、はいはい、聞いてますよ。今呼んできますので、そちらの緋毛氈の方でお待ちください。」右手奥に敷かれた緋毛氈の縁側は、大きく開け放たれて広々とした池のある庭園に面している。こちらも非常に手入れの行き届いた美しい庭が広がっていて、それを眺めながらお茶を頂く趣向なのだろう。既に何名か先客がいて、座布団にくつろぎながら談笑しているのが目に入った。

「遠いところわざわざ済みませんね、もうじき来ますさかいこちらどうぞ。」座布団を勧められて小卓に抹茶と干菓子が載ったモノが運ばれてきた。よく見ると受付の女性だが、気配がアヤカシだ。白蔵主によく似た狐目だから、おそらくは同族の狐のアヤカシだろうと思う。礼を言って茶菓を頂くことにする。添えられたのは、目にも涼しげな団扇のかたちの干菓子と、水色のソーダ味の有平糖だ。

『・・・センスはええんやな。』コリコリとした有平糖の食感を楽しんでから抹茶を味わっていると、背後から足音が近付いてきた。

「お待たせしてもうて。」

「いやいや、おかげで美味しいもん頂いて。」古刹の住職とは思えない気軽な挨拶に、一般の参拝客が振り向く。それに気付いてか白蔵主はそちらに向かって合掌して、にこりと愛想笑いで

「ようお参りくださいましたなあ。そこのサンダルで、お庭に降りて見て回れますので、ごゆるりとお楽しみ下さいまし。」と、住職らしく挨拶の言葉掛をする。そう言われたら、やはりというように、参拝客たちはいそいそとサンダルを履いて、三々五々立派な庭園へと散策に出かけていく。縁側に人気が無くなるのを待って、先ほどの女性がそれぞれの茶菓の器を下げに来る。

「わざわざ済まんなあ。こっちの部屋に例のブツがあるんや。」白蔵主に連れられて結界で仕切られた奥の間に進み、襖を開け閉めしながら奥へと進んでいくと、明らかに空気の悪い一角へとたどり着いた。薄暗い納戸の中に入って電気を付けると、柳行李に入った何枚かの着物と、正面の几帳に掛けられた振り袖が目に入る。

「・・・・なるほどね。」柳行李の方も気配が不穏だが、几帳の振り袖の方が凶悪だ。

「こっちの振り袖が、ちょいちょい発火現象なんぞ起こしよんねん。」ポリポリと坊主頭をかきながら、困ったように白蔵主が言う。

「これは確かによろしくないな。・・・持ち歩くのも難儀しそう。」車の中でうっかり発火でもされてはたまったものじゃない。

「せやねん。檀家さんから頼まれたときも、途中でなんや焦げ臭くて、電車の中で異臭騒ぎになってん。」

「この部屋しばらく借りて良いかな。・・誰も来ないように見張っといて。」面倒ごとはさっさと片付けるに限る。私は白蔵主に人払いと部屋の外での見張りを頼んで、早速『食事』の準備をする。白蔵主が部屋を出て、襖を閉めた後に、結界を張ったのを感知して、私は立ち上がって振り袖に近付いていく。私の気配におののいたか、振り袖は大きく身を震わせて、掛けられた几帳から逃れようとする。

『・・・逃げられないよ。』私の服の袖から伸ばした白い“小袖の手”が、振り袖の中へと侵入していき、どす黒い“思念”を絡め取る。危機を悟ってあがく黒いもやを振り袖から引き剥がして、私の袖口へとそのまま引きずり込んでいき、私の『食事』は完了した。肩こりをほぐすようにして、首をまわして、一息。久々になかなかボリュームのある食事をすることが出来た。すっきりと綺麗にただの振り袖に戻った着物を几帳から外して畳んでいると、気配を察して結界が解け、白蔵主が入ってきた。

「もう済んだんか。仕事早いな。」畳まれた着物に鼻を近づけてクンクンしている。

「これ、どうする?もう普通の着物だから、檀家さんに返しても良いけど。」

「いや、もう気色悪いさかい処分して。て言われてるから持ってって。」

気配が消えてから改めてみると、かなり質の良い手書き京友禅で、地色の藤色も褪せていないし、艶やかな扇面散らしは季節を問わずに使えそうだ。八掛もクリーム色のグラデーションで、なかなかセンスが良い。

「ほな、貰ってくわ。残りのこれも貰って良いの?」柳行李に入った方も、さっきの食事を目撃したせいか、不穏な気配はすっかりとなりを潜めている。

「ああ、かまへんよ。」

「ほしたらこの折り詰め、さっきの人と一緒に食べて。」今の“食事”で、私はすっかり満腹になったので、持ってきた折り詰め二つは着物の代金代わりに置いていくことにする。

「うわ、さいき屋さんのだし巻き。おおきにいただきます。」ほくほく顔で満面の笑みを浮かべる白蔵主に連れられて、元来た道筋を歩いて行くと、先ほどは気付かなかったが、足下を何やらコロコロと転がるものがある。握りこぶし程度の大きさで、最初はススワタリかと思ったが、色が銀灰色で、もっと毛玉っぽい。

「・・・?何これ。」三つほどがコロコロと足下を縫うようにして転がり廻るので、思わず足を止める。

「これこれ、おいたしたらあかん。古い馴染みのアヤカシもんやし。」白蔵主が私が足を止めたのを振り返って、苦笑いしながらその毛玉のようなものに向かって声を掛ける。すると毛玉は白蔵主の足下に転がっていって、そのまま着物の裾を伝って肩口まで登っていく。そこで細長く膨らんでそれぞれが白蔵主の両肩と、何故か頭頂部に巻き付くようにしている。

「・・・ぶふっ。」銀灰色の毛皮が巻き付いているさまが、着ている僧衣とあまりにも似つかわしくない上に、頭頂部のは、坊主頭の上にいるものだから、『カツラ』っぽさが半端ない。思わず吹き出してしまった。

『アルジヲ嗤うとはシツレイナ』どうやら毛玉がしゃべったらしい。白蔵主は私が吹き出した理由が頭上の奴に原因があるとわかっているようで、頭頂部に巻き付いた奴を引き剥がしている。引き剥がされて白蔵主の手にぶら下げられたモノをよくみると、尻尾の長い獣のような形をしている。

「・・・管狐?」

「そうや。こないだ人間について迷い込んできよったんや。弱ってたんで、餌やったら居着いてしもうた。」人間にとりついているときは、不幸を呼んだりすると言われている管狐だが、白蔵主に関しては狐同士だ、害はあるまい。その辺をうろつかれるよりもよっぽど良い。

「・・それにしても主って。」本来管狐の仲間は、竹林などに棲み、気まぐれに人間の呪詛を手助けして遊ぶ習性のある獣のアヤカシだと記憶している。呪詛などを望む人間の発する邪気を好んで摂取していたはずだが、衰弱していたということは、既に現代社会では、竹林に呪詛のために赴くという風習が廃れてきているということでもあるのだろう。普通に道ばたの道祖神などのお供えなどを食べていた印象もあるので、普通の人間の食べ物で養えるのだろう。私と違って白蔵主は人間と同じモノを好むようだし。それにしてももふもふで気持ちよさそうな毛玉だ。

『ブレイモノ』思わず触ってみたくて手を伸ばしたら威嚇されてしまった。渋々手を引っ込めて、柳行李を抱え直す。三匹居るなら一匹ぐらい・・と一瞬思ったが、我が家は接客商売だ。お客様に危害が及ぶ可能性がないわけではないので諦めよう。軽自動車のトランクに貰った柳行李を収めて、見送る白蔵主に軽く手を振り、私は一路二条城の北側にあるクリーニング店へ向かう。奴の足下には毛玉がコロコロとまとわりついていた。

「・・・転がるアヤカシって、どうなのよ。」思わず目にした光景が面白すぎて独りごちてしまった。

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