第9話 見つめるアヤカシ

視線を感じる。久し振りに繁華街まで足を伸ばしたついでにふと、駅に貼ってあるポスターに惹かれてふらっと立ち寄った美術館の中である。南北に走る路線と東西に走る路線の交差する地点にあるこの美術館は、歴史あるレンガ造りの棟と近代的で機能的な展示室のある棟が融合した、市内では有名な美術館で、以前はレンガ造りの外観が地元のアニメーション制作会社の作品に登場したことで有名な撮影スポットにもなったところでもある。最近は多少落ち着いたようで、展示室内はじっくりと作品を楽しむことの出来る空間となっている。ポスターで気になっていたメインの特別展の前に、同じチケットで楽しめる常設展示のボリュームが凄いのも、この美術館の特徴でもある。うっかりすると常設展示で時間が足りないなんて事も十分にありうるのが恐ろしいところだ。とはいえ、今日はこの後に特に何か用事があるわけではないので、常設入り口のこの町の歴史の紹介は軽く飛ばして、新しく入れ替えられているところからじっくり見ることにしたところ、背後から視線を感じたというわけだ。

『・・・・・誰だろう。』展示室内にいるのは私を含めて5人といったところか。入り口付近の、私が飛ばしたあたりをじっくり眺めているのは明らかに観光客らしき年配の男性、その少し先にケースをのぞき込んで何やらスケッチをしている学生風の女性。私が立っているところと反対側のケースを観ている中年のカップル、知っている顔はないようなので、視線を感じた理由はわからずじまいだ。気のせいだと思うことにして、展示ケースの中の作品を観るのに集中する。今回は珍しく、桃山時代のいわゆる織部焼というものにスポットを当てて展示を構成してある、この町にも独自の陶磁器産業が盛んであるため、ふだんはよその産地の作品を常設に持ってくることはほとんど無いので、今回は特別展に合わせての特集コーナーといった体なのだろう。

先日我が家の仲間に加わった犬山焼と近い産地の美濃で焼かれた織部焼は、鮮やかなグリーンの釉薬と、モダンな幾何学模様の組み合わせが現在でも人気のもので、造られてから四百五十年経っているとは思えない斬新さのあるデザインだ。

『・・・やっぱり凄いわ。』緑と白の色のバランス、黒でくっきりと描かれた幾何学模様の配置のセンス。一つぐらいは持っておきたい憧れの茶碗。オリジナルは無理でも、せめて自分好みがどれだか目星を付けていつか骨董市で探してみようなどと考えていると、また再び背後から視線を感じた。私の振り向く勢いに、驚いたようにつられてきょろきょろするので、スケッチしている学生が視線の主ではないと云うことは確実にはっきりした。中年のカップルは既に展示室から出て行っているので、それもまた除外できる。観光客の男性はまだまだ入り口付近から動いていないので、これもまた、視線の主ではあり得ない。

『・・・・一体どこから・・・』あまりきょろきょろするのも不審に思われるので、仕方なく展示に集中するふりをしながら少しずつ移動して、背中で視線の気配の源を探ることにする。展示ケースは途中で部屋の構造に合わせて直角に折れ曲がって続くので、背後だと感じていた視線の源はどうやらケースの中の展示品であるらしいと云うのが何となしにわかってきた。どうやら展示されている作品の中に付喪神となったものが紛れているらしい。織部焼の展示に関連してその近隣地域で造られた焼物のコーナーから、私のアヤカシの気配に反応して気になって目を開けたというような感じだろうか。視線に気付いたようなそぶりは見せずに素知らぬ顔で視線の主の正面まで近付く。

「・・・・またか。」キャプションに見覚えのある作者名を見つけて、私は思わず呟いてしまった。ケースの中で紫色のサテンの袱紗の上に展示されているのは、一見素朴な素焼き風に仕上げられた狸の手焙り、『正木惣三郎作』である。愛嬌のあるぎょろ目をきょろきょろさせてじっとケース越しに私の顔を見つめているこの狸、記憶に新しい涉成園でのお茶会の時のお騒がせ付喪神達の作者の制作である。茶会の最中にごそごそ向きを変えてしまう達磨の茶入に、蓋を乗せられるのを嫌がる蓋置、船の上で勝手に宴会を繰り広げる宝船香合と同じ作者の作品だ。 どうやらよほどのご縁があるらしい。手焙りのタヌキは私が目の前に来てキャプションを読んでいるとなると突然恥ずかしくなったのかごそごそと勝手に動き出してこちらに背を向けてしまった。それには私の方も内心慌ててしまった。動いているところを他の来館者に観られでもしたらどうするつもりなのか。幸い私の背中が邪魔をする位置関係に残りの二人が立っているので、事前にみてでもいない限りは大丈夫だろうと思うが、びっくりしすぎて背中に変な汗をかいてしまった。たまに聞かれる『夜歩くだろう』等のハッシュタグを付けた博物館美術館の作品を取り上げて空想で楽しむ特集などがあるが、まさか真っ昼間から展示ケース内で動く強者がいるとは誰も思わないだろう。前回の茶会の時も真っ昼間のことだったが、どうやらよほどこの【正木惣三郎】の作品というのはあくが強いモノ達が勢揃いしているらしい。

『そういえば監視カメラとか、大丈夫なのかな。』ケース内でごそごそ展示品が勝手に動いているところなぞ目撃したら、真っ先に警備員が飛んできそうなモノだが、幸いにしてそんな気配は感じられないようだ。念のため不審に思われるかもしれないが天井付近に取り付けられた監視カメラの位置関係を確認してしまった。

「・・・びっくりさせないでよ、もう。」聞こえない程度の口の動きだけで中の狸に向かって文句を言うと、どうやらそれは通じたらしく、狸はぎょろ目で軽くウインクなぞしてみせる。さすがに博物館の所蔵品など私の手の出せる範囲じゃないので、内心ヒヤヒヤしながらも先行きを見守るしかない。そのうちここの博物館の職員のブログなんぞを探して確認してみようと思いながらも展示を堪能して先へと進むことにする。それにしても今回の狸が他のよくある陶磁器の展示のようにテグスで固定などされていなくて良かった。何となく立て続けにあくの強い作品と遭遇したせいで、すっかり【正木惣三郎】という人物に対して興味が湧いてきてしまった。

常設展示室を抜けて、エレベーターで四階にある特別展示室へと移動し、今回のメインテーマである安土桃山時代の著名な戦国武将の弟で茶人である人物の一生についての展覧会をじっくりと眺める。当たり前の話だが、私にとっては当時の書状も現代の書物も同じように判読できるので、所々で当時生きていた彼らの活き活きとしたやりとりに吹き出しそうになったりして。よもや彼らも慌ててしたためた茶会欠席の詫び状なんかが、こんな風に立派に表装されてガラスケースの中で多くの人々の目に触れる日が来るなんて、想像だにしなかったことだろう。書き損じを墨で塗りつぶしたりしているのもまた、微笑ましい。当時も今も、人々の生活の息吹というのはさほど変わっていないのだと、しみじみ思ってしまった。人間というのはたかだか百年程度しか生きられない、アヤカシからすると非常に脆弱な儚い生き物だから。儚いくせに、こうした様々な『文化』を凄まじい想像力でもって創り出していく。実に不思議で、眺めていても見飽きることがない存在。こうした人間にとっては長い時間を引き継がれた作品達の展示なんかを眺めに来ると、ついついいつもそんなことを思ってしまう。

展示をじっくりと堪能して美術館の外に出ると、もうすっかりと日が暮れて、電灯の明かりに照らし出された町並みを歩いて地下鉄とバスで自宅への道のりを行く。鞄の中には展覧会のミュージアムショップで購入した茶菓子と茶葉を忍ばせて。

『土産話に少し昔の話でもしようかな。』あいにく茶器の龍も犬山焼の皿の獅子もまだそこまで長くは生きていないので、私の思い出話も退屈かもしれないが。

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