第8話 付喪神の館 2
今日も、また、朝がやってくる。
この建物の中では、世間一般とは活動時間が逆転している。ここで生活を共にしている仲間達は皆、黄昏時に目覚め、朝日が昇ると共に静かになる。今もひとしきりのおしゃべりが終わり、パタパタとせわしなげに定位置へと戻ろうとするモノたちで部屋の中はざわついている。この時間帯が市松人形の小手毬は嫌いだった。
「つまんないの。」うつむきながら小声で呟く小手毬の声など誰の耳にも届かない。
小手毬はこの館の中では新参者で、先日まで各地の骨董市を流れ流れしていたのを、ここの主に引き取られてきたところなのだ。それまでの生活では、基本日中は骨董市の出店の片隅に置かれ、店先を流れる人波を眺めながら過ごし、夜には店じまいして桐箱の中に片付けられるので、休む。という生活サイクルだったためか、時差ボケでは無いが皆と同じ生活サイクルに馴染めないでいた。ついでに言うとここには警戒しなくてはいけない人間はおらず、それまでの神経を張り詰めて生活していた日々が、まるで悪夢のように思えるほどに穏やかな日々を皆過ごしている。
『娯楽がないけどね。』小手毬は内心で呟く。これまで過ごしてきた長い歳月で、うっかり人前で動きを見せてしまったりして、処分されてきた人形の仲間達を数多見てきたので、人間に対する恐怖心は、ある。しかし、それ以上に骨董屋の店先から眺める人間の日々の営みは、儚ければ儚いだけキラキラ輝いて見えたのも事実であるのだ。穏やかな日々もまた貴重な物であるのはわかっている。けれどもヒリヒリした緊張感と、わくわく感も日々の娯楽であったのだと、小手毬は贅沢な憂鬱を日々感じていた。毎日毎日退屈な思い出話や過去の武勇伝を繰り返し語る古道具達の仲間には入りたくもない。
『・・・何か面白いことないのかな。』廊下をうろつき、玄関に一番近い和室の襖越しに、中の気配を伺う。この部屋の中には、昨夜から一人のアヤカシが寝泊まりしている。ここの持ち主である小袖の手が古い馴染みのアヤカシを連れてきたのだ。
人型を取って人間社会に紛れて生活することの出来るアヤカシは大抵、強い気配を発していて、近付きがたいモノだが、小袖の手は隠形と言って気配を隠すことにも長けていて、一見してアヤカシだとは気付きにくい。そして、小袖の手の古い馴染みだというアヤカシも同じようにアヤカシとしての気配の薄いタイプだった。普通に都会の街角なんかをふらふらしている胡散臭いおっさんにしか見えないだろう。
「・・・何か用か。」廊下の気配を察して部屋の中から声が聞こえる。日の出の時刻が遅い季節だとは言っても早起きの部類に入る時間帯だ。まさか起きているとは思っていなかったため、動揺して襖にぶつかり物音を立ててしまい、こっそり覗いて戻るつもりだったのを開き直って、思い切って襖を開ける。
「べ、別に用というわけじゃないけど。」我ながら声がけのまずさに内心で歯がみする。これではまるで『ツンデレ』の小娘みたいではないか。前の主は小手毬の日本人形らしからぬきつめの顔立ちに『ツンデレちゃん』というあだ名を付けていたので、こっそり調べた動画でツンデレのなんたるかは知っている。実際にも周りからの評価としては完全に小手毬は『ツンデレ』キャラなのだが、本人は絶対違うと思っている、典型的なパターンである。
「ふーん。・・・で、何の用だ。」持ち込んだ寝袋を和室の畳の上に広げてうつ伏せでパソコンを眺めながら、浅黒い肌にドレッドヘアの日本人離れした外見のアヤカシは、もう一度同じ問いを発する。完全に面白がっている。
「・・・・た、退屈してないかと思って。」昨日来たばかりでそんなはずはないにもかかわらず、何を聞いたら良いかわからなくて、結局自分の考えを露呈するようなことを口にしてしまっている。火車は完全にからかいモードに突入して、寝袋から身を起こして部屋の入り口で立ち尽くしている市松人形に正対した。面白がっている証拠に、火車の瞳孔が紅くなっているが、その特徴を知っているのは古い馴染みのアヤカシ達だけ、新参者の小手毬は知るよしもない。ここしばらくまでずっと海外での生活が長く、日本の付喪神に接する機会のなかった火車には、絶好の遊び相手だろう。
「ふうん。・・退屈してるのか。」
「退屈してなんか居ないわよっ・・・」そういう反応がツンデレなのだとは誰もが思っている。小手毬本人以外は。
「暇そうだから話ぐらいは聞いてあげないこともないわよ。」今から寝ようかというような時間帯に言うことじゃないとは火車も思ったが、どのみち次の骨董市が建つのは二週間後の話なので、特に今日明日に急ぎの予定があるわけではない。
「・・で、何が聞きたいんだ。」端から見たら全く会話がかみ合っていないようだが、内心あわあわしている小手毬は気がつかない。
「海外から帰ってきたんでしょ。」
「そうだな。久し振りの日本だ。」ふと計算してみると、出国したのはまだ年号が昭和だったはずなので、ざっと70年ぶりということになる。どおりで何もかもが変わっているはずだと火車はしみじみそう答える。あまりに久し振りすぎて入国してから土地勘のある場所に移動するまでしばらく外国人観光客のふりをしていたとは、アヤカシ仲間にもいえない秘密だ。幸いこの国の人間はガイジンさんだと思うと非常に親切にしてくれるので、右も左もわからない状態の時には有り難い。海外では逆に何も知らないとなったらカモにされることの方が圧倒的に多いので、どんなに『食事がし難い』としても居心地に関しては日本が一番だと火車は思っている。
「何処の国に行ってたの。」小手毬はそもそも国外に出たことがないので、火車が思うようなこの国の人間独自の行動なんて感じたこともないのだ。
「・・・最初はインドに15年程だな、それからは治安が良くなってしまったからアフリカとか、イスラエルとか、中近東なんかをふらふらと。」
「・・・・沢山色々行ったのね。・・治安が良くなったから?逆じゃない?」案の定そこは気になったらしい。普通は『治安が悪くなったから移動する』のだろう。
「逆じゃない。治安が良くなったら食事が出来なくなるから。」
「??」腑に落ちない反応の小手毬の様子に、火車は、小袖の手はどうやらアヤカシの特性までは説明していかなかったらしいと思いながらも、大々的に宣伝するようなことでもないと簡単に説明をすることにする。
「俺の【食事】は人間の死体だからな。治安の良い地域にはそのへんに落ちてないだろ。病院なんかに忍び込むのは面倒だからな。その点紛争地域なんかだと調達しやすいから助かるんだ。」国内にいる同じように死体を食べるアヤカシの中には病院を勤務先にしている奴もいる。【お行儀良く】食べられるならそれでも問題ないだろうが、あいにく火車にはそういう器用さは備わっていないのだから仕方が無い。幸い食事の頻度はそれほど頻繁じゃないので、月に一回ぐらいありつければ十分なのだ。
「!!!・・・人間を、・・食べるのね。」付喪神は基本的に食事を摂らないというのは聞いていたが、やはり同じアヤカシ同士でも衝撃を受けるモノらしい。
「そういう風に出来ているんだから仕方が無いだろう。」我々アヤカシは、それぞれの種類ごとに行動基準に厳格な決まりが存在している。それを逸脱して行動することは出来ないし、逆にそれさえ外さなければ病気などもなく、よほどの衝撃を与えなければ再生する頑丈な作りをしているのだ。一度どうなるか試してみたことはあるが、火車の場合、【食事】は最大で三ヶ月は摂らなくてもなんとかなる。銃で撃たれても一、二カ所ならば再生するが、爆弾なんかだとかなり厳しいかもしれない。何よりも苦手なのは金属製の刃物の傷で、小さな傷でも修復するのに半年以上必要だったという。不思議なことに江戸時代の妖怪図鑑みたいな書物にはそこまで書いてあったから、【火車】に遺体を盗られたくなければ刃物を置くという知識は当時から一般的だったらしい。
「まあ、それは仕方ないのかもしれないわね。」衝撃は受けたものの、そこはやはりアヤカシらしくあっさりと立ち直ると、小手毬の興味はそれぞれの国の様々な生活なんかの話に移った。いまどきはインターネットやテレビ番組などで海外の情報を得ることが出来るはずだが、そういう観光客向けの情報と、実際に生活している人間からの情報とはやはり違うらしい。目をキラキラさせながら外国の話をせがまれて、いつのまにやら昼に近いような時間になってしまった。
「あら。もうこんな時間なのね。また明日続きを聞きに来ることにするわ。」道路を走る車のクラクションの音に我に返ったか、時計に目をやって、満足げな表情でツンデレの日本人形は帰って行った。さすがに話疲れて火車も寝袋に潜り込むことにする。
「個性的な奴が集まったもんだ。」小袖の手の面倒見の良さに感心しながら火車は
目を閉じる。たまには気を遣わなくて良いアヤカシ同士での会話も良いものだと思いながら。
「まだまだ知らないことが沢山有るものだわ。」退屈の虫がすっかり吹き飛んで、小手毬は満足げに自分の定位置に戻って目を閉じた。
数ヶ月後に、全国の骨董市でドレッドヘアの国籍不祥の店主と、テントの奥に座る日本人形の珍妙なコンビが目撃されて伝説になるのは言うまでも無い。
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