第6話    茶道具のアヤカシ

「ふう・・・やっと一段落だわ。」着付けを終えて、なんとか文ちゃんの同僚という人物を観光に送り出して、ひとしきり引っ張り出した小物類を片付けながら、私は呟く。次の着付けの予約に向けて、片付けつつも並行して別のタイプの小物類を並べていくというマルチタスクの技だ。次の予約は他府県からの観光で、市内の茶室での茶道体験講座の参加者二名様だという。大人数を招いて、入れ替わり立ち替わりで行うようないわゆる『大寄せの茶会』ほどカジュアルさはないようなので、それなりの格式のある色無地の一つ紋の着物で選んでもらうことにする。予約情報の年齢からすると、少し落ち着きのある、柿色に裾からクリーム色のぼかしの入った色無地と、秋らしい臙脂色の色無地を並べておくことにする。帯もクリーム色に金色で有職文様の刺繍の入った袋帯と、銀灰色に風景が織り出された袋帯を出しておくことにする。それならば、どちらの着物を選んでも使いやすいだろう。帯揚げ帯締めは2パターンで用意しておく。晩秋のお茶会にふさわしい落ち着いた装いをイメージしてみた。気に入ってもらえたら良いが。

バタバタしているうちに、もうまもなく予約の時間となってしまった。一階の扉に付けたドアベルの音がして、控えめな女性の声で

「・・・こんにちは、こちら古着屋かさねさんでよかったでしょうか」という声が聞こえてくる。

「あ、はいはーい。履き物脱いで二階にお上がり下さいまし。」無精して階段の上からそう声を掛ける。おそるおそるといった様子で上がってきたのは、おとなしそうな雰囲気の女性がひとりきり。

「あれ。ご予約はお二人ではなかったですか?」そう確認しながらパソコン上の予約受付画面を開く。キャンセルなどの連絡はどうやら届いていないようだ。パソコンから顔を上げると、女性は申し訳なさそうな顔をしている。

「・・すみません。連れは今朝娘さんが産気づきまして、大慌てで出かけてしまったので、私への連絡もギリギリだったんです。」

「・・それはおめでたいですね。まあ、それなら仕方がないですよねえ。」支払いは当日の予定だったから、別に双方に損害はない。

「・・・・それでですねえ、実はお願いがありまして。」申し訳なさついでに口ごもりながら、女性はバッグの中からチケットを取り出した。

「お茶会の方のチケットのキャンセルが間に合わなくて・・・しかも、一人で行くのもちょっと心許なくて。・・・・もし、お時間があるようなら、一緒に行ってはいただけませんか。」チケットの表面には場所が印刷されており、『二名一席キャンセルは前日まで』という文字が見える。

「涉成園の蘆庵ですか。・・・なかなか良いですねえ。」最近はきちんとしたお茶席に行く機会があまりなかったので、行くならばずいぶんと久し振りになる。

「では、お言葉に甘えて、ご一緒させて頂いてもよろしいですか。」そうこたえると、明らかにほっとした表情で女性は微笑んだ。

「有り難うございます。京都は不慣れなもので・・・助かります。」そうと決まれば私の方も支度が必要だ。彼女が着物を選んでいるあいだに自分の色無地を出して用意する。幸いなことに、髪型に関しては特にまとめたりする必要のないショートボブだったので、組み合わせを決めたら20分ほどで着付けが完成する。あとはバッグと草履、羽織を選んでもらっているあいだに自分の身支度を済ませてしまうことにする。

とは言っても私は普段から常に着物姿なので、長襦袢はそのままで小紋を色無地に替えて、名古屋帯を格式の高い西陣織の袋帯に替えるだけのことなのだが。

「・・・・うわあ。やっぱり着慣れている人は違いますね。」支度を終えて衝立の向こうを覗くと、お客さんはようやくすべての選択を終えて鏡の前であちこち確認しているところだった。

「さて、では行きましょうか。」ここ北区からは、涉成園までは大通りのバスで地下鉄烏丸線北大路駅まで行き、地下鉄で五条の駅で降りるのが良いだろうと思う。

善は急げとばかりにお店の戸締まりをして、入り口の看板も「お休みします」に裏返す。ちょうど車から商品の積み下ろしをしていた鐘ヶ江の店主が挨拶がてら聞くので、一応臨時でお休みすることと、涉成園でお茶席に参加してくることを伝えてから、バス通りまで歩き出す。スーパーの前にあるバス停でしばし待っていると、

「あら。袖山さん、おでかけ?」買い物帰りの骨董黒馬の奥様があいさつをしてきてくれた。私が色無地に袋帯なのが珍しいのだろう。骨董屋の奥様なだけに、一通りのお稽古事は身に付けているので、着物の取り合わせでどういう場所に行くのか、予想できるらしい。

「この時期のお茶会は良いわよねえ。」案の定、私が口を開く前にあっさりと向かう先がお茶会であることを看破して、ニコニコしながらそうのたまう。京女の観察眼と洞察力は本当にすさまじい。

「はい。おかげさんで久々に涉成園まで行ってきます。」こういう人には変に隠し事やぼかし、ごまかしはしない方が良い。豊富な経験値に裏打ちされた洞察力は、ときにサトリの怪を遙かに凌駕するのだ。

「あら、良いとこやない。楽しんで来てね。お連れさんも京都体験。」しっかりと同行者が観光客であることまで言い当てて、奥様は朗らかに去って行った。これだから人間は油断ならないのだ。ちょうどやって来たバスに乗り込み、北大路の駅から地下鉄烏丸線で五条、東本願寺の横の大きな通りから住宅街の中へと歩いて行くと、やがて広々とした緑豊かな庭園が見えてくる。正面入り口から受付を案内されたとおりに進んで、待合で係の人から今日の茶道体験の説明を受ける。今回の流派は京都では珍しい松尾流だそうで、なんでも入手したばかりのお道具類のお披露目も兼ねているのだとか。檜皮葺きの門をくぐって中待合にあがり、しばらくすると、さらに二組、合計六名になったところで案内の人に先導されて庭を廻ってにじり口から茶室へと順番に入っていく。

「あ、入るとき、背中の帯の所、気をつけて下さいね。」小さな声でアドバイスすると、先を行く人が会釈する。今回の人はショートボブなので安心だが、髪をしっかりセットしてきている人などは、にじり口で簪や髪飾りなどを引っかけたり、帯結びのお太鼓などをすってしまったりするものだ。お互い様でそれぞれ気をつけながらなんとか無事に入り口から茶室に入ることに成功した。

「・・・実は初めてなんです。お茶室ににじり口から入るの。」お茶席定番のお正客の譲り合いを終えて、なんとか初心者のふりをして(もちろんお連れの方が初心者なのだから嘘ではない。)真ん中らへんに座ると、初心者らしい感想を呟いてくれる。

「そうなんですね。最近私もお茶席にはとんとご無沙汰で・・・」これも嘘ではない。実際古美術商の集まりなどで呈茶の振る舞いがあったりするから一通りのお作法は染みついているが、きちんと特定の流派でお稽古したわけではないので、私も初心者に毛が生えた程度のレベルでしかない。なので席主とお道具について会話をしなくてはならないお正客や、扉の開け閉めや様々な作法が要り用な末席(お詰めという。)はできうる限り避けたいのだ。ひとしきり落ち着くと、席主が

襖を開けて入ってくる。

「本日はご出席頂きまして、有り難うございます。後ほど茶会記はお配りいたします。まずはお菓子ですが、本日は秋らしく栗か芋で迷いまして、結局鍵前良房さんの“おいもさん”に致しました。」席主の挨拶口上はユーモアを含んで、上手にこちらの緊張をほぐしてくれる。席主の口上の背後からお道具類を持ちながらお手前をする人がしずしずと出入りし、水指や蓋置き、茶入や茶碗などをセットしていく。

『・・・おや、変わったモノが並ぶなあ・・』通常はシンプルな見た目の茶入を使うことが多い中、縞模様の仕覆から取り出されたのは胴の部分に達磨大師がギョロリと目をむいた彫刻のある特徴的な茶入だ。象牙で出来た共蓋のつまみも、かなり特徴的なデザインに見える。

「・・・面白いですね。蓋のつまみが茶筅に見えます。」隣で連れの女性がそう呟くので私も気になってじっと茶入れを観察する。

「・・・ん?」視線に気がついたのか、それとも同族の気配を察知したのか、茶入れに彫刻された達磨がこそこそと体の向きを微妙に変える。

「やっぱり。妙な気配がすると思っていたらそこにアヤカシが隠れていたのか。」

他にも床飾りの香合は船に乗った七福神で、これも何やら怪しげな気配を発しているし、水指の隣に置かれた蓋置きも何やら怪しい。久々のお茶席という意味での緊張よりも既に、アヤカシの古道具達が何かやらかすのではないかという緊張の方が強くなってきてしまった。

「・・・それでははじめさせていただきます。」席主が一礼して下がり、入れ替わりに入ってきたのは比較的若い女性だ。緊張がうかがえるものの慣れた手つきで所作を進めていく。同時に水屋から菓子器が配られて、正客から順に懐紙を取り出して黒文字で茶菓子を取り分けていく。客の関心が茶菓子に集中していて気付かれなかったようだが、そのすきに密かな攻防が起きていた。

『熱いんじゃボケ』茶釜の中から湯を汲み出す際にその蓋を置くための蓋置きから密かなつぶやきが耳に届いた。思わずそっと見やると、蓋置きから茶釜の蓋がコテンと転げ落ちるのが目に入る。お手前の女性が素知らぬ顔で蓋を戻し、素早く茶釜の所作を行う間にも、またしても蓋置きは蓋を落とす。どうやら慣れているらしく、お手前の女性は表情も変えずに一連の決まった所作で正客の分のお茶を点てていく。

『毎度毎度熱い蓋乗せおってからに。』ブツブツとぼやく声が聞こえたが、幸い茶菓子の順序が廻ってきて、妙なリアクションを取らずに済ませることが出来た。うっかり吹き出しでもしたら、アヤカシが調子に乗って何をやらかすか分からない。

 全く別の意味合いで手に汗握るお茶席となってしまった。せっかくの鍵前良房さんの[おいもさん]の味も味わえない。よく見ると茶入れの達磨も目玉をぎょろぎょろと動かしているし、床の間のあたりからはなにやらジャンガジャンガと宴会のような三味線の音が聞こえてくる。こちらも耳を澄ませなければ聞こえない程度でお正客の話し声にうまいこと紛れたようで、誰にも気付かれずにすんでいるが、うっかり気付いたそぶりを見せるわけにはいかず、私は背中に変な汗をかいてしまった。

「お茶菓子美味しいですね。有名なお菓子なんですか?」連れの女性の問いかけに、我に返って残りのおいもさんを食べながら、

「そうなんですよ。祇園四条にある、有名な和菓子屋さんのものなんです。気に入ったならお店でも買って帰れますから帰りにお連れしますね。」なんとかそつがない答えを返すことができた。無事にお正客の茶碗が出され、それに合わせて水屋から続々とそれぞれのお茶碗が配られて、一見粛々と茶事は進められていく。

「こちらのお茶碗は何というモノなんですかな。」お正客が茶碗を拝見しながらお道具の由来について席主に尋ねている。

「はい、今回のお道具類は私共松尾流の本拠地名古屋にゆかりの有るものを取りそろえましてございます。お茶碗は名古屋城の中にありました窯で焼かれた、御深井焼という物で、独特の青みのかかった釉薬が特徴です。また、蓋置き、茶入れ、床飾りの香合ともに、江戸時代の名古屋城に勤める武士でありながら、茶人でもあった正木惣三郎の作品です。」席主の説明でそれぞれどや顔をする道具達に、顔面筋を総動員して素知らぬふりをする羽目になった。

「ほほう。なかなかに珍しい取り合わせを見せていただきましたな。御軸はどのような・・・」説明が掛け軸に移って皆の視線がそれた瞬間、茶入れの達磨が欠伸をする。蓋置きの巻子を広げた唐子が胡座の足をさりげなく組み替えたりしている。床の間では相変わらず席主の説明の声に紛れてジャンガジャンガと三味線の音が聞こえている。私は内心気が気でないが、なんとか無事に席主の挨拶口上までが終わり、緊張のお茶席は終了となった。配られた茶会記によれば道具類はすべて松尾流の所蔵となっているようだから、まあ、付喪神としては安心の部類に入るだろう。お道具の拝見で見た彼らの表情もいずれも満足げであったので、きっとこれからも安泰でいられるだろうと思いながら、涉成園を後にし、せっかくなので鴨川を渡って京阪で祇園四条、そこから鍵前良房さんのお店でお土産を買って一緒に店まで戻る。

「今日は本当に有り難うございました。おかげで京都を満喫できました。」晴れ晴れとした表情で満足げに帰って行く客人を見送り、わたしは店じまいをして部屋に戻り、テーブルの椅子にぐったりと座る。

「・・・・・・疲れた。」茶器の龍が物問いたげな表情をしている。

「面白すぎでしょ、吹き出さないようにするのに顔面筋総動員したわ。全くもう。」

「・・・付喪神が居たのか。」龍が得心したような顔をする。

そのあとは一服しながらひとしきり、今日出会った茶道具の付喪神達の話で盛り上がってしまった。

「・・・まあ、たまには楽しかったね。・・・疲れたけど。」ハラハラするのは勘弁して欲しいものだが。まったく。

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