第5話 逃げ出すアヤカシ
いつも通りの朝。落ち葉の季節だから仕方が無いとはいえ、朝の日課の掃き掃除をひとしきり終えて、何となしに向かいの大徳寺の駐車場を眺めていると、駐車場の入り口を管理する警備員のおじさんと目が合った。
「おはようさんです。」目が合ったのに知らん顔をするのはどうかと思うので、挨拶をする。と、いつもならば向こうも会釈を返してきておしまいになるはずが、今日は何やら話したいことがあるらしく、周囲をキョロキョロと伺うようにしながら手招きをしている。警備さんは持ち場から離れるわけにはいかないので、招かれるままに近寄っていく。
「おはようさん。こないだの黒馬さんとこの泥棒騒ぎ、知ってるかね。」目の前にサイレン鳴らしてパトカーが止まれば、やはりこれくらいの話題の種にはなるのだろう。私は相槌を打ちながら先日鐘ヶ江さんから聞いた顛末を警備さんに披露する。
「そうかあ、泥棒じゃなかったのかね。まあお客さんには気の毒だが、被害がなくてよかったもんだ。・・・泥棒と言えばこないだ、ふすま絵が盗まれた寺があるらしいじゃないか。知っとるかね。」
「襖絵、ですか。初耳ですね。」数え切れないほどの寺院があるこの町には、それこそ襖絵のある寺など星の数ほど(そこまでではないかもしれないが)あることだろう。名のある絵師が描いたとして大切に管理されている作品ならともかく、無名の絵描きが糊口をしのぐために描いたふすま絵なども多くあるのだ。また、後に忘れられてしまった絵師が若かりし頃に描いたふすま絵が、近年の再評価の高まりに伴って『発見』されることすらある。テレビや新聞沙汰にもなっていないということは、盗まれた襖絵とやらもさほどの有名作品ではないと見て間違いないだろう。
「まだこれは内々の話なんだがね、うちらの会社で担当しとるお寺さんで、閉門してから夜間の巡回終えて、次の日の朝開門するまでのあいだに襖絵が無くなったという話があるんだわ。」まるでどこぞの怪盗が出没したかのようにも聞こえる話だ。
襖絵という物は、掛け軸なんかと違って収納できる物ではないし、屏風のように折りたたむというわけにもいかない。盗み出すとは言っても、夜中に襖を外すなんて事をしていたら、どれだけ人気の少ない寺でもさすがに誰かしら気配に気付くだろうと思う。警備さんが配置してある寺院という時点でそれだけの内証にゆとりのある寺院ということでもあるのだから、そこそこの規模の名のある寺院での出来事と思って間違いないだろう。そんなところでの襖絵盗難は、確かにおおっぴらに出来ないような事情でもありそうだ。
「なんだか不思議な話ですね。襖なんてなかなか人目に付かずに運ぶの難しいですよ。」とりあえず素直な感想を口にしてみる。
「その通りなんだわ。わしもその寺の担当者にそう言ったんや。」やはり盗み出すにしても処分して売りさばくにしても襖絵を選ぶメリットは少ないようにしか思えない。私が相槌を打って聞いていると警備さんもなかなかこんな話をする相手も居ないと見えて、話に熱が入ってきた。
「そしたらな、担当者の奴が、面妖なことを言い出しおってな、『襖は盗まれてないんや。盗まれたのは中に描いてあった動物たちだけなんや。』とか言いよる。」なんだか話の雲行きが怪しくなってきた。若干怪談話みたいな雰囲気を察知して、わたしはあえて現実的な話に軌道修正を試みる。
「・・・動物の所だけ、切り取られたということですか?」かの有名な一休さんのとんち話じゃあるまいし、描かれた紙から動物が抜け出してきたら一大事だ。
「わしもそう思ってな。切り取られたなら器物損壊や、さっさと報告して警察に知らせないといかんやろ」全くもってその通りだ。仮に無名の絵師の作品だったとしても閉門後の寺院に侵入した時点で住居侵入罪、襖を損傷した時点で器物損壊罪、立派に事件として成立している。にもかかわらず事件が公になっていないということは・・・
「ところがな、警備の奴が言うには『襖の紙に損傷は無い。切り取ってあるわけでも削り落とされたわけでも無い』という、訳の分からんことでな。まるで一休さんのとんち話の屏風の虎かいな。そうこうしているうちにその寺の住職が出張ってきて、『警備会社に責任はないのでどうかそのままにして、この話は伏せておいて欲しい。ご内密にお願いいたします。』という話になって警備担当には金一封や。」要するに警備さん的にはそこが不満だったようだ。口封じ的な金一封も、ここでこうして噂話になっているところを見ると、やはり人の口には戸は立てられぬというのは的を得ている。
「・・・それにしても不思議な話ですよね。まるで襖の絵の中から動物が散歩にでも出たみたい。」おもわずそう呟くと、
「それや。住職がぼそっと呟いた話では、そこの寺の襖絵は何十年かに一度くらいの頻度で動物たちが出払う日があると、大昔の住職の日誌みたいなもんに記述があるとか。眉唾モンだけどな。」どうやら最初の推測が当って相当な歴史ある古刹のようだ。それにしても気になる話ではある。
「・・・へえ。一体どこのお寺さんなんですか?」襖から逃げ出す動物画なんてどう考えてもアヤカシがらみにしか思えないので私はできるだけさりげない風を装って聞いてみることにする。
「ああ、それはな、・・・・あ、おはようさんです。」間の悪いことに、大徳寺の駐車場の開門時間になってしまった。駐車場の入り口のポールの前に車が列を作り始めた。慌てて警備室から出てきてチェーンを外し始める警備さんを手伝って、ばたばたしているうちに寺院の名前を聞けずじまいになって、私は何となく心残りな気分で店舗に戻って開店の準備を始めた。今日は午前中に一件、午後に一件着付けの予約が入っている。面白そうな話の顛末が気になるが、のんびりしても居られないのだ。
今日の午前中の一件は珍しいことに他府県に棲んでいるアヤカシ仲間からの紹介だ。当人は人間だが、かなり珍しいことに紹介者のアヤカシとは友人であるという。しかもどうやら紹介者が人間ではないことに気付いているかもしれないという。しかしそれを周囲に触れ回るようなことはしていないようなので、一応気をつけて。という、なんともいえずな緊張感の漂う話なのだ。一体どう振る舞えば正解なのか、対応にも悩むところだ。そのうえで、おすすめの京都観光コースを紹介してやってくれというリクエストまでついてくるときたもんだ。
『・・・着物で廻りやすいルートで、京都らしいところも見られて・・・ってハードル高すぎでしょ。文ちゃんの馬鹿。』今回の紹介主である文ちゃんこと文車妖妃は、司書として図書館に勤めているアヤカシだ。当然友人の職場も同じく司書であるらしい。となればやはりここは書物が見られるような観光スポットをルート上に入れておくのが無難だろうか。
とりあえず、着付けに使用する小物類をセットして、着物は少し若向けで華やかさもある鴇色の付下げに市内を移動しても崩れないように軽めの名古屋帯。銀鼠色に栗鼠と団栗の柄を合わせて秋らしくしてみることにする。好みは分からないので、とりあえず文ちゃんの好みに合わせて帯締め帯揚げは2パターン用意しておくことにしよう。草履とバッグの組み合わせも二通り支度して、一服しながらおすすめ観光ルートをパソコンで検索する。
『うーん・・・・着物で地下鉄や徒歩はできるだけ避けるとなると、やっぱりこの北大路通沿いからバス移動で見られるところが一番だよね。・・・そうすると、ど定番だけど、金閣寺、龍安寺から仁和寺くらいが無難なルートだよね。』周辺の彼方此方の写真をスクロールしながら検索している途中で、ふと、一枚の写真が目にとまった。寺院入り口の駐車場の係員が映り込んでいる一枚だ。
『あれ、・・・同じ制服だ。』
大徳寺の入り口にいる警備のおじさんと同じ制服の警備員が、来客ににこやかに挨拶している。寺院の名前で調べてみると、臨済宗の大本山退蔵院という名前が挙がってきた。1404年建立というから、相当な古刹の部類だろう。1315年開山の大徳寺と、良い勝負だ。寺院のホームページなどという便利な物が最近は普及してきて、ちょっとした調べ物にはとても便利だ。それによると、国宝の瓢鮎図の他に、狩野家の襖絵という物があるらしい
「・・・・へえ。ここかもしれないな。」なんとはなしに気になるので、ブックマークだけ貼り付けて関連情報をストックしておくように設定しておく。
『・・何かあったのか。』茶器の龍が尋ねる声は軽く受け流して、しばらくは情報が集まってくるのを見守ることにする。動く必要のあるときというのは、勝手に情報が集結して『そちらへ導く』流れが生じる物だから、機が熟するまでは、基本横車を押すような動き方は慎むべしというのが、長年の経験で分かっている。よほどの問題に発展するならまだしも誰かに迷惑を掛けているわけでは無いのだから、先ずは静観して情報収集だけというのがセオリーだ。
そうこうしているうちに予約の時間が迫り、私はとりあえずおすすめの観光コースをまとめた物をプリントアウトして、茶器を洗って部屋を片付けて待機する。
「・・・こんにちわ。こちらは袖山さんの、お店ですか?」階下の扉を開く音と共に、おそるおそるといった調子で声が聞こえてくる。
「はあーい、そうですよ。靴脱いでから階段を上がってらして下さいな。おいでやす、『古着屋かさね』に、ようこそ。」そう一声掛けて、立ち上がって出迎えると、上がってきたのは文ちゃんの最近の見た目とよく似た雰囲気のショートボブのおとなしそうな女性だった。
「おじゃまします。・・よろしくお願いします。」
「はあい。よろしゅうに。まずはこちらにご連絡先を記入して頂いてから着物や小物類を合わせてみましょか。」これはこれで楽しいものだ。組み合わせは無限にある。着物を身につけるという『文化』を生み出した人間の創造力に感謝するとしよう。
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