第2話 音のアヤカシ
着付けのお客様が、向かいの大徳寺の月次茶会に行かれて、戻ってくるまでには約二時間の猶予がある。その合間に是非とも黒馬に行って、なんとか口実をみつけなくてはならない。
私がバタバタと着付けに使った道具類を片付けて、忙しそうにしていると、茶器の龍が薄目を開けてこちらの様子をうかがっている。
「ちょっと隣まで行ってくるから、おとなしくしててよ。」財布だけをとりあえず片手にしながら、階段を降りて、お客様の荷物を預かっているので玄関には施錠する。そのまま歩いて右隣の黒馬の店内に入っていくと、ちょうど目の前で値札付けの作業をしている店主に出くわした。
「おや、どうした。着付けのお客さんならさっき店先冷やかしてから大徳寺に向かっていったぞ。」何やら忘れ物でもあって私が追いかけていると思ったらしい。
「あ、そうでしたか。・・まあ、お茶会終わったら戻って見えますからね。」適当に相槌を打ってごまかしながら、私はさりげなく店内を伺う。昨日の事件で話題になった仕入れの品が入っているらしき箱はもうすでに売り場になく、床に拡げた風呂敷の上の雑多な小物類を、店主が一つ一つ吟味して値段をつけている。今回の百万遍の骨董市には、陶磁器など焼物が多く出品されていたらしい。黒馬で取り扱うのはそうした品物のうちでも主に、ぐい呑みや手塩皿、湯呑みなどの日常の雑器といわれる陶磁器だ。後は普段のお稽古などで気軽に取り扱える程度の価格帯の作家物の抹茶茶碗、煮物用の鉢など。ごく稀に、外見が似ている京焼の赤絵と中国の万暦赤絵の取り違いなんかで掘り出し物があったりする程度のラインナップで、主に海外からの観光客をターゲットにしている。骨董屋といっても古い物でもせいぜい江戸時代末期から明治、大正ぐらいまで。とはいえども、明治時代でも現代から数えれば150年は経過しているのだから、思い当たる節もあながち無いわけではないのだ。
『・・・・どこだ。』内心で呟きながら店内を見回して気配を探る。先ほどの話だと、[何かをひっくり返したようなすごい音]がしたということだから、十中八九それとみて間違いない。いわゆる付喪神が引き起こす騒動のうちで、最もよくあるパターンがそれなのだ。本に記録されるような有名なモノだと、『天狗倒し』や『空木返し』等が挙げられるが、要するに、『音のする方へ行ってみても原因となるような現象を目撃することが出来ない』という怪現象を引き起こす『音のアヤカシ』が、昨日の荷物の中におそらく紛れ込んでいるのだ。
店主の足下にある風呂敷の上の品々の中には、それらしき怪しげな気配を発するモノは見当たらなかった。何も持たない状態では店主に不審がられるので、手近にあった手塩皿を一つ手にする。手塩皿は所謂赤絵で、中央に謎の動物らしきモノが緩い筆致で描き込まれている。所々に緑色の絵付けがアクセントになった、おそらくは犬山焼といわれるモノだろう。京焼にしては絵付けがヘタウマ系なのが見分けるポイントだ。
『っくしゅっ・・』空耳のような小さな音で、何やらくしゃみのような音が聞こえた。店主に気取られないように慎重にさりげなくそちらの方向へ体の向きを変える。入り口からみて右手方向、店主の向こう側に、弱いながらも何となくピンとくる気配が感じられる。一直線にそちらに進みたくなるのを堪えて、あちこちを物色している風を装いながら気配の方へと近付いていく。
『・・・いた。』気配の主は、やはり陶磁器のようだ。大きさごとにざっくりと仕分けされた器の中程、手のひらを開いたぐらいのサイズの茶道具でいうところの“菓子器”の一番上に載っているモノの中から、弱いながらも物の怪の気配が感じられる。
偶然にも私が店主をごまかすために無作為に手に取った赤絵の犬山焼の手塩皿。それと物の怪らしき器は、同じような絵付けがなされていた。私がじーっと見つめていると、皿の中央、見込の部分に描かれた落書きのように稚拙な獣が目玉だけをギョロリと動かしてこちらを見た。緑色の太い筆先で一筆書きに描かれた渦巻きが、どうやら極限まで簡略化されてはいるが、獣の頭であるらしい。その下に赤い絵の具でギョロリとした目玉が、いかにも手早く書いておきましたといわんばかりの気安い筆致で描いてある。背中に当たる部分は赤い絵の具で平仮名の『つ』で現され、そこからにょきにょきと四本前足後ろ足が生えている。爪だけは獣らしく描いてあるので、おそらくは元になった京焼の狛犬の絵柄を、犬山焼の絵付け師が見よう見まねで写しに写しを重ねていくうちに崩れて行ってしまったなれの果て、ということなんだろう。周りの縁に描かれた花柄も、なんだか分からない物になっている。そっと手に取って裏側の見込みの部分を観てみると、やはり犬山焼を現す“犬山”という窯印が捺してある。
「ああ、それも昨日仕入れた菓子皿だよ。ちょうどその手塩皿とは合いそうじゃないか。おまけしとくよ。」店主が私の手にある二枚を見比べながらすかさず営業トークを始める。皿はと見ると、どんぐりまなこがウルウルと潤んで助けを求めているようだ。仕方が無いので、店主の営業トークに乗っかったふりをして、手元の手塩皿と、菓子器の絵柄の相似に驚いたような顔をしてみせる。
「ああ、ホントですね。これは似合いそうです。いくらにしてくれはります?」
「そやね、ふたつで千五百円でどうやろ。」百万遍までの電車賃程度のもうけを載せたお知り合い価格に、内心小躍りしたが、表面上は平静を保って、
「ほな、それでいただきます。」素早く返事をして、店主の気が変わらないうちに財布からきっちり支払って品物を手にして店を出る。本来ならばおそらく江戸時代末期のころの犬山焼だ。市場価格ならばその三倍以上になるだろう。さっきまではそれなりの出費を覚悟して、悲壮な覚悟で出て行った私が鼻歌交じりの上機嫌で帰宅したものだから、留守番をしていた茶器の龍が目と口を埴輪のようにまん丸にして見つめている。
「救出作戦、大成功。」にやりと笑って菓子鉢の見込みの獅子(?)を龍に見せる。
「おう。新入りか。そりゃよかったなあ。」茶器の龍が口を開くと、どうやらそれまで同類に出会ったことがなかったらしい獅子のどんぐりまなこから、涙がどっとあふれ出た。傾けていた器の縁から涙が床にこぼれそうになって、私は慌てて器を水平に戻す。あふれ出た自分の涙で獅子がガボガボ言っているので、いったんシンクに溜まった涙を捨てに行くことにする。自分の涙で溺れそうになるなんて、あまりにも間が抜けているのと、問題になったり、気味悪がられて処分されたりしなくてすんだ安心感で、私は思わず、笑ってしまった。
「笑い事じゃ、無いんですよう。」びっくりして涙がようやく止まったらしい犬山焼の赤絵獅子が、抗議の声を上げる。彼ら付喪神というのはアヤカシの中ではひよっこの部類に入る。有史以前から存在し続けるような山海の怪などの自然界に生まれた物の怪と異なり、器物のアヤカシである付喪神はそもそも人間が創り出した道具が、百年という月日を経て自我を芽生えさせたモノなのだから、感情の起伏が激しく、気ままで、深く物事を考えるのが苦手という、まるで人間の幼児のような行動をとることが多い。だからこそ、昨日のように、ほかの人間がいるところで怪現象を引き起こすのだ。私は古着屋という職業柄そうした骨董市などにも顔を出すので、なりゆき上そのような危うい行動をする付喪神を保護することが多くある。
長年の友人である葬儀屋さんのところにも、そうやって見つけ出して保護した付喪神と、その情報をたどって、火にくべて処分される直前で救出した木魚達磨などが『就職』しているのだ。
「はいはい、ごめんして、な。」私は苦笑いしながら赤絵獅子に謝り、軽く布巾で皿の汚れを拭ってからテーブルの上で改めて急須の龍と対面させる。
「よ、よろしくお願いいたしまする。」ぎょろ目の赤絵獅子はさらにぎょろ目をこぼれんばかりに見開いて、茶器の龍にあいさつをする。
「・・うむ。よろしくな。我は備前の生まれだ。」
「はい。我は尾張の生まれでございます。」
「・・仲良くしてね。それから、この部屋の中に人間がいるときは音を立てたりしないこと。私の商売の邪魔になるようなら即売り飛ばすから。」こういうことは最初が肝心だ。そして彼ら付喪神には上下関係ほど分かりやすいルールはない。
「わ、・・・わかりました。気をつけまする。」案の定私のような人型のアヤカシに出会ったこともなかったのだろう。赤絵獅子はぎょろ目をぐりぐりと動かしながらも約束する。その瞬間に『キイーン』という音と共に白い光の糸が赤絵獅子の皿と私の左手指先との間を走り、『ピリッ』とした衝撃を遺して消えた。
「な、何ですか。今のは。」驚きのあまり口を大きく開いてから赤絵獅子が尋ねる。
「・・・契約。」これはなかなか他のアヤカシには出来ない特殊技術で、破った場合それなりのダメージがある。自由奔放な付喪神を保護する以上、私にも私の生活を守るという権利があるのだ。気ままな付喪神たちに商談だけでなく住処まで振り回された上での結論だ。文句は言わせない。便利で楽しい人間社会での生活を謳歌するのに必要なのだから。同じようにして契約を交わした茶器の龍も素知らぬ顔をしている。
「さて、と。もうすぐお客様が戻ってくるから。おとなしくね。」
そう言った矢先に階下の扉が開く音がした。緊張の糸が緩んだのだろう、お茶会を無事に終えて楽しそうにお客様が二人階段を上がってくる。
「お帰りなさい。いかがでしたか?」預かっていた荷物を手渡し、着替を手伝いながら聞く。二人とも口々にようやく念願だった利休宗匠ゆかりの大徳寺でのお茶会に参加することがかなった喜びと誇らしさ、そして、嬉しいことに着物のコーディネートも褒められたという感想を遺してくれた。こういう感想が、私のモチベーションになっているのだ。お客様をお見送りして部屋に戻り、使った着物を衣桁に吊して、籠もった湿気を抜き、帯も同じく吊して軽く伸ばす。使った小物類も片付けて、お客様に出した残りの干菓子でまたお茶を入れる。もちろん茶器の龍と赤絵獅子にもお相伴だ。
「・・・これが、人間の創った“菓子”ですか。」
「そうよ。ここで生活していたら、他にももっとおいしいお菓子に出会えるんだからね。おとなしくしててよ。」生涯初の極上和三盆糖の美味しさにうっとりとしている赤絵獅子を、茶器の龍がにやつきながら眺めている。平穏な日常ほど素晴らしいモノはない。
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