日々是好日

@Onmoraki

第1話   古都のアヤカシ

「おはようさんです。」

自宅兼店舗前のコンクリート敷きの駐車場の落ち葉を掃除しているところで、目の前の道路を自転車が挨拶の声を残して通り過ぎていく。

挨拶を返そうと顔を上げても見えるのは颯爽と走り去る自転車に乗った髪の長い女性の後ろ姿だけ。道筋の少し先のところにある農協にお勤めの方だというのもわかっているので、いつものようにそのままにして、目の前の落ち葉をかき集めてゴミ袋に押し込む。道路を挟んだ向かい側にあるのはおよそ七百年前に創立した古刹大徳寺の駐車場だ。それにふさわしい大きなケヤキの木がのびのびと枝葉を茂らせて、これからの季節には降り積もる落ち葉の掃除が毎日の日課となる。

「おはようさん。精が出ますな。」隣の引き戸を開けて出てきた大家さんの古美術商、鐘ヶ江の店主はニコニコしながら挨拶する。いつものことだが、店舗の二階を間借りして住居も兼ねているので、鐘ヶ江の店の前の駐車場までが、私の掃除のテリトリーだ。別に大家さんだからと言って阿るつもりは毛頭ないが、社会生活を穏便に送るための処世術のようなものだ。ひとしきり落ち葉の掃除を終えて、当たり障りのない天候などの話題を交わして、今日もなんてことのない毎日が始まる。


玄関の物入れに掃除道具を片付けて、入り口すぐの階段を上ると右手側に事務所兼畳を敷いた着付けのお客様用スペース、左手側奥がキッチンやバストイレ等とベッドのある生活スペースというのが、現在の私の経営しているお店だ。決して広くはないが、一人で生活していくには申し分ない。私は長いことこの町のあちこちを転々としながらいわゆる『古着屋』を営んでいる。最近では観光地化の進んだこの町ならではの新しい需要として、観光客への『レンタル着付』もなかなかの人気だ。歴史ある古刹の観光に和服でというのが最近の流行らしい。一昔前は海外からの観光客が『クールジャパン』を求めてレンタル着物を利用することが多かったが、近年は日本人の若者にも着物で京都散策が定着してきたようだ。斜陽産業といわれて久しい着物業界だが、こうしたことがきっかけで着物に興味を持ってもらう一助になれればと、着物というモノに依存して長年生きている一員として思う。

「さて、と。」冷蔵庫に貼ってあるスケジュール表を確認して、今日は午後からの着付けの予約が二名様で一件というのを目にしながら、電気ケトルでお湯を沸かして茶器の支度をする。

この町の良いところは、茶葉の名産地が近くにあって、さほど苦労をしなくても、おいしいお茶が手に入るところだ。舌の肥えた消費者のニーズに応えて、手頃な値段で品質の良いものが楽しめるようになっている。

茶筒を開けて茶葉の薫りを楽しみながら、ふいに先日同じ茶葉を送ってあげた古い友人を思い出す。私と同じく永い歳月をあちこちの地方都市をさすらいながら生活している友人は、お茶好きが高じて今では自宅が専門店並みの品揃えになってきたと笑っていた。

沸騰したお湯を湯冷ましに一度注ぎ、湯呑みに移して戻す。そうすることで、煎茶の茶葉が一番開きやすい温度まで湯温が冷めるのだ。いつも愛用している茶器に茶葉と湯を注ぎ入れて蓋をして蒸らしながら戸棚から干菓子を物色する。

「…あ、亀屋良長の吹き寄せならワシの分もな。秋なら栗落雁があるだろ。」茶器の蓋に巻き付いた龍の飾りが口を開いた。いつの間に私が買い置きした干菓子の内容をチェックしたのだろう。バレているならば仕方がない。銘々皿に栗落雁を2つ用意する。ほどなくいい案配に茶葉が開いたので、湯呑みに最後の一滴まで絞るようにして注ぎ、龍の口に落雁を一つ放り込み、自分も食べながらお茶を飲む。私達には甘味と茶、酒が何よりのご馳走だ。もちろんそれぞれ必要な主食はあるにせよ、それがいつでも簡単に手に入るとは限らない。世知辛い世の中という奴だ。3つとも御供物の定番なのには、きちんと理由があるものだ。好物を御供えされて喜ばない程あやかしは複雑に出来ていない。これらを供えさえすれば、怪異は収まるという事を、先人達は学習したのだ。

「・・・おいし。」口の中に広がる優しい甘みに思わず顔がほころぶ。香ばしい栗の香りと和三盆糖の優しい甘さ。さすがは老舗、味にうるさいこの古都の人間に長らく愛されるために洗練されてきたのだ。人間の生み出す文化というものにはほとほと感服するモノがある。しっかりと抽出されたコクのある緑茶で、口中の甘みを洗い流してふと茶器を見る。とっくの昔に龍は菓子を食べ終わって満足げな表情で目を閉じてまるでごく普通の彫刻の一部のような顔をしている。

「・・・粉、付いてるよ。」よく見ると、口元にうっすらと落雁の粉がこびりついている。指摘されて慌てたように茶器の龍は片目を開け、真っ赤な舌が口元をちろりとなめ回す。

「さてと。」立ち上がって茶器を片付けてから、午後からの着付けのお客様の申し込みデータを見てそれぞれのリクエストにかなうようなコーディネートを考える。

『お茶会だからそもそも基本シックな組み合わせで、色味はちょっと秋らしくしてみようかな。』差し色の帯締めと帯揚げをそれぞれに組み合わせて二パターンほどを衣桁に出しておくことにする。それに似合うようなバッグと草履も用意して、午後の仕事の下準備は完了だ。背伸びを一つして、私は先日仕入れした商品の検分に取り掛かることにした。積み重ねて机の隅に置いておいた畳紙を上から順に開いて中の着物を拡げて検分する。

「・・・・・ふうん。これはやられたわ。」何枚か状態ごとに仕分けして、使えそうなモノとそうでないものとに分けていくうちに、厭な気配を発する一枚にたどり着いた。藍染めの生地に白く絣模様が散らしてある男物の単の着物。パリッとした質感から、ほとんど使用された形跡はないのが見て取れる。にもかかわらず、広げた瞬間に、ふんわりと血のにおいが鼻につく。

「こりゃ、女だな。」どこから漂ってくるのかとすんすん鼻を鳴らしていると、ダイニングテーブルの上に置いておいた茶器の龍が顔を上げて呟く。

「何でわかるのよ。」思わず問い返すと、奴はこちらを見てにやりと笑った。

「・・そりゃ、そこの肩口に染みついてるのは紅だろう。」指摘を受けてからまじまじと着物の肩口を検分する。

「確かに。」長い時間を経たせいか、すっかり色あせて藍染めの色に同化しているが、肩口にうっすらとシミのようなモノが見えてきた。同時にそこから立ち上るような執着じみた気配が広がる。どういう経緯があったのかはわからないが、これでは商品として着用した人に害がある。

『戴こうかな。』久々の主食だ。私の気配が変わったのを察知してか、怪しいモノは着物の中に引き返そうと試みる。

『手遅れだよね。』

私の服の袖から伸び出した細い触手が、モノを素早く捉えて締め付けるようにするとうっすらと灰色だったモノが煙のように消えていく。

「・・ごちそうさまでした。」なんともいえない満足感が体の中を駆け巡る。最近はあんまり良い獲物に巡り会わなかったので、食事を獲るのは久し振りだ。袖口から出ていた細くて白い触手が私の種族名の由来となる『小袖の手』だ。ここまででもわかるだろうが、私はいわゆる『アヤカシ』と言われるモノで、人間ではない。主食は先ほどのような『人間の残留思念』などで、これが私が古着屋を長年生業としている理由だ。もちろん基本身に馴染んだ着物という服装に愛着があるというのもあるのだが、このように市場に流通している古着の中からこうして害のあるような残留思念を掘り出しては食べて、綺麗にしてから商品として利用するのだから一石二鳥、むしろ感謝してもらいたいくらいだと思っている。満足げにニヤニヤしていると、

「気配は綺麗になったが、紅は洗わないとな。」と茶器の龍が口を挟む。しみ抜きでなんとかなればいいのだが。さっきからおしゃべりしている茶器の龍も、私と同じくアヤカシの仲間だ。こちらはいわゆる『付喪神』という奴で、作り出されてから百年経つとこのようにぺちゃくちゃとおしゃべりをするようになるモノだ。もっとも、こうしたいわゆる付喪神の多くは自力での移動ができないため、人間に怪しまれて壊されたりしないように普段は非常におとなしくしている。こやつがペラペラおしゃべりをするのはこの部屋の中だけだ。

まずは茶器の中の茶葉を流しに開けて丁寧に洗って胴体を伏せておき、口やかましい龍の彫刻の付いた蓋の部分を丁寧に水洗いする。付喪神の連中は、気難しい連中が多く、丁寧に取り扱わないとブツブツと文句を言うのだ。もっとも、彼らがアヤカシとして命を得ることができたのも百年という年月、壊れることなく大切に使われてきたためだから、そこは敬意を払っておかなくては。そして午後からの来客用のお茶菓子が切れていることを思い出して時計を見る。のんびりしていたがもうすぐ時刻は11時。何か近所で見繕ってくることにする。

玄関を出て右隣は骨董店『黒馬』、うちの一階の大家さん鐘ヶ江は屋号を『古美術鐘ヶ江』としており、傍目には二件同じような店が並んでいるようにみえるらしい。

たまに『同業者が並んでいて顧客が競合しないのか』と心配されるが、鐘ヶ江はいわゆる古美術として、壺や花器などの大きな商品を取り扱うのに対して、黒馬のほうは、茶器をはじめとした茶道具やぐい呑み、根付や浮世絵などの手頃な物を取り扱っているので、うまく棲み分けができているのだろう。まずは店の前の通りを左に曲がって昆布屋さん、大徳寺納豆屋さんの前を通り過ぎる。小道を挟んだすぐ隣には、おはりばこという名前の入った白い暖簾が下げられたこぎれいな雑貨店が見えてくる。店の前のスペースには緋毛氈をイメージしたベンチが置かれていて、観光客がそこに腰掛けてお店のお洒落なディスプレイをバックに記念写真を撮影している。このお店はいわゆる『つまみ細工』と呼ばれている布製の花簪をメインに販売しているのだ。

「そういえば懐紙が残り少ないな」ふと思い出して暖簾をくぐる。

「・・いらっしゃいませ、あ、こんにちわ。」近所のことなのですっかり顔なじみのスタッフがレジから顔を上げて挨拶してくれる。

店内はすっかり紅葉などの秋らしいディスプレイで華やかに飾られている。思わず可愛らしい簪に手が伸びそうになって、今日の目的を思い出してかろうじて手をとどめる。『お茶会に簪は使わないから。』自分に言い聞かせながら秋らしい柄がすかしではいった上品な懐紙と、いかにもお土産っぽい京都の風物詩や舞妓さんなどを小さくちりばめた華やかな柄の懐紙、両方を手に持って会計に並ぶ。

「毎度ありがとさん。秋のお茶会やね。」レジを打ちながらなじみの店員さんがニコニコと話しかけてくれるのに頷いて代金を支払い、店を出ると、先ほど店頭のディスプレイで自撮りをしていた観光客の女性が話しかけてくる。

「あの、写真良いですか?」てっきりカップルでのツーショットを撮って欲しいのかと思って携帯を受け取ろうとすると、どうやらそうではないらしい。

「あんまり素敵に着物を着てらっしゃるので後ろ姿だけでも良いので撮影させてくださればと。」顔が写らなければ別に構わないので「ディスプレイを眺めて」居るようなポーズで撮影してもらった。もちろんアヤカシだからといって写真に写らないというようなことはない。こちとらリアルタイムで着物を普段着にしている時代から『着物姿』だ。せっかくだから『このさきのレンタル着物屋さんの店主』という注釈をつけてもらってお店の宣伝にしておくことにしよう。今日の着物は縦縞模様の黄八丈と黒繻子に唐草葡萄の帯で、江戸時代の町娘風イメージの組み合わせに深緑の帯揚げ帯締めにしてみた。

「素敵ですー。ありがとうございました。」嬉しそうにお礼を言われて、照れながら会釈してバス通り方面に歩き出す。本来の目的地はこの先のバス通りの角にある一見何屋さんなのかわからない店構えの『五』という漢数字の看板の建物だ。わかりにくい入り口を入ると正面のガラスケースの中に季節の和菓子が美しく陳列されている。

「いらっしゃいませ。」当然だが、ご近所なので、こちらも顔なじみだ。今日はいつもの生菓子ではなく、来客用の干菓子を買いに来たのだ。ケースの端に飾られた彩りもカタチも鮮やかな紅葉や団栗等をかたどった落雁や、有平糖が箱に綺麗に並べられて置いてある。それをせしめてほくほくと自宅への帰り道を歩き出す。

自宅の前まで来ると、ちょうど店の入り口のあたりで立ち話をしている人影があるのが見えた。近付いて観ると、大家の鐘ヶ江店主と、隣の骨董黒馬の店主だ。

「ああ。おかえり。」骨董黒馬の店主は、痩せぎすの半白の長髪を後ろで一つにくくった、いかにもアメリカンのバイクに乗っていそうな見た目の人物だ。一方鐘ヶ江の店主は、恰幅の良い着流しの似合う紳士らしい見た目で、さみしくなってきた頭頂部を隠すようにしてオールバックにしている。並んで立っていると全く別世界の住人にしか見えない二人が、同じ骨董の世界をすみかにしているという所に、この業界の懐の深さというか得体の知れなさを実感するのは穿ち過ぎだろうか。

「・・・ただいま戻りました。どうしました?」せっかくだから情報収集を兼ねて井戸端会議にも参加しておこうと思って二人を観ると、早速鐘ヶ江の店主が口を開いた。

「いや、昨日の話を、ちょっとね。」

「昨日、ですか?」そういえば昨日はちょっと仕入れで遠出をしていたんだった。帰ってきたのが十時過ぎとちょっと遅かったので何も気付かなかった。

「・・・何かあったんですか?」重ねて聞くと、何故か二人で顔を見合わせて苦笑いしている。この笑い方には、何となくピンとくる物がある。いわゆる『眉唾物』というような分野の与太話をしようとしているときだ。

「昨日昼過ぎに急にうちの前にパトカーが止まってさあ。」鐘ヶ江の店舗の扉はいわゆる雪見障子のようにして、上半分が磨りガラスに『古美術鐘ヶ江』というすかしのデザイン文字、下半分が普通のガラスになっているので、奥のカウンターに座っていると道路がよく見えるらしい。

「何だろうと思って外に出たら、黒馬の前でお客さんと店主がもめてるし。」どうやら警察を呼んだのは黒馬の店主で、客はそれに対して怒っていたらしい。

「そりゃだって、大事な商品に何かあったら大損害だからさ。」黒馬の店主が言うには、店内でものすごい音がしたので振り向いたらその客が棚の方に手を伸ばしていたところだったと。

「おととい百万遍で仕入れてきた物を詰め込んだ箱があるところだったから、てっきり値札のないところからの万引き未遂かと思ってさ。」反射的に近くの交番に直通の警報装置のボタンを押してしまったのだという。偶然のいたずらか、いつも忙しくてなかなかすぐには駆けつけてこない警察が、そのときに限ってものの三分もしないうちにパトカーで駆けつけたモノだから、犯人扱いされてえらい機嫌を損ねたお客様が、文句を言って先ほどの鐘ヶ江店主の話に繋がるという訳らしい。

「・・・で、結局物音の原因も、分からずじまいというわけだ。」とりあえず、三軒並んでの商売だから、特にどうという話でもないが一応耳に入れておこうということらしい。私の方も曖昧に頷き、適当に気の無いような相槌をうってみせたものの、内心ではその物音の正体に思い当たる節があった。

そのまま適当なところで井戸端会議を抜け出して、午後からの着付けの準備を済ませてしばし待つ。

予約時間十分前、扉の呼び鈴が鳴り、予約のお客様の来店だ。

「こんにちわ。ようこそお越しやす。古着屋『かさね』です。」

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