First contact#2:今村茜と早川達也

日下葉那と今村茜

……………………


霧崎夭輔きりさき ようすけくんって知ってる?」


 弓道の部活帰り、更衣室で同学年の女の子が話しかけてくる。

 今村茜いまむら あかね。不思議な子だ。部内で――いや学内で自分に軽々しく話しかけてくる者はいない。先生や上学年も含め、ほとんどが敬語だ。


 自分が近寄りがたい存在である事は知っているし、自分も他人とは違うと思っている。だけどこの少女は周囲の誰に対してもと変わらない態度で、取り巻きになろうとする風でもなく、なんとなく気が楽だった。


「ええ、知っているわ」

「そう、同じクラスだものね、特別クラス……。あーあ、無理してこの学院に入れたはいいけど、特別クラスは授業も教師陣も完全独立態勢。校舎すら違うってどういうことなの」

「こちらとしては、幾分気が楽よ。全員が理事会を通した推薦方式だから身元も確かで各々家柄を弁えてるから煩わしい人間関係も少ないし。どの道学院を出てもずっと付き合わざるを得ない面子ばかりだしね。良くも悪くも檻の中、てとこかしら」

「うちは所詮ベンチャーみたいなものだからなあ……。ああいう美少年はその檻の中ばっかだし。あれ、美少年×檻ってなんか萌える?」

「……それで? 彼がどうかしたの?」


「捜査に協力頂きたい」


 意味が分からず眉をひそめる。

 何かしたのかしら? 揉み消しが面倒でないといいけど……

 今村茜はす、とファイルを取り出してそこから一枚のページを見せた。

 顔写真、名前、部活動名が書き込まれ、他、身長、体重、握力、入学試験の教科別点数など……数字関係のものはほぼ網羅されていた。


「3日前から調査を開始してるんだけどね。でも未だこれだけしか情報がなくて。入学以前の記録が見つからないのよ。多分逆留学なんだろうけど、日本全国はともかく世界中の学校をしらみつぶしに探すのは骨が折れて……こんなに難航したのは初めてですよ」


 はあ、と項垂うなだれている。どうやら目の隈はその為のものらしい。

 しかし目は爛々と輝いていた。


「人間関係さえ掴めれば後は芋づるで当たれるんだけど」

貴女あなたちょっと……気持ち悪いわよ」


 告げると途端に今村茜は土下座した。


「すみません! でも決して、決して、ストーカーなど直接接触するような迷惑行為などは致しません。ただ、ただただ、イケメンの情報収集が私の生き甲斐なんです…!」

「忠告するけど、貴女が思うより情報の価値は重いわ。貴女の手を離れたそれが、本人を危険な目に遭わせたとして、責任が取れるの?」


 流石にこれは異常だわ、とさらりと目を通す。

 が単身で家庭と仕事を切り離すのは、国家間で重要な交渉も行う職務上、万が一を考えて家族を危険な目に遭わせたくないから……。こんな情報を不用意に持ち歩いて欲しくないはず。面倒だけど辞めさせないと。


「血液型AB、ね。例えば『誤って』他の血液を輸血したりすればショック死させられる。ここに書いてある情報だけで、事故に見せかけた殺人にも結び付く。組織的な犯罪だったら容易たやすいことよ」


 そのファイルを返しながら言う。今村茜は呆気にとられたように目を見開いていた。


「勿論、貴女自身も心配ね……。その情報収集能力は、正しく使わないと身を滅ぼすと思うわ」


 今村茜は項垂うなだれる。


「う……ごめんなさい。暴走すると止まらなくて……」

「分かったならせめてそのファイルは持ち歩かないことね。それにこんなストーキングまがいなことをせずに、常識的な範囲で直接聞けばいいんじゃないの?」

「直接聞くなんて……無理だよ。雲の上の存在だもの」

「あら、私には気安く話し掛けるのに?が私より上なんて心外ね」

「ううん。そうは言ってもきっかけというか……。部活動以外じゃ申し上げた通り接触の機会もある筈もなし」


 ふうとため息を吐いた。できれば余分には関わりたくないんだけど 


「霧崎夭輔の出身校はフランスよ。――彼とは多少の面識があるから、接触の機会くらいは作れると思うわ……。その代わり、さっき言ったことは守ってね」

「え! ま、ままじで!?」


 今村茜は立ち上がり、両手を握るとぶんぶんと振った。


「ありがとう!本当にありがとうございます!ああ、なんて女神のように神々しい……。茜って読んでね!ねえ、葉那ちゃんって呼んでいいかな?」


「――調子がいいのね」


 そう言った自分の口元が緩んでいる事に気がついて驚いた。

 余りにあからさまで面白い。「こちら」でない人間は皆これくらい裏表がないのかしら? まあ、こういう人種と付き合うのも勉強になるかもね……。


「茜って将来刑事になったらどうかしら」

「ええー。でもイケメンにしかやる気でないんだよね。イケメン(専門)刑事とかならいいかな……。罪を犯したイケメンを追い、責める……うん、中々甘美でいいかも……」  

貴女あなた、やっぱり気持ち悪いわね」

「自重します」






今村茜と早川達也

……………………


「修学院て、お前……何であんなボンボン校に行ってんだよ。つうか言えよ、それくらい。俺らの学区だと普通、楢崎一中だろ。他の奴らも初日で吃驚してたぜ。茜がいない、って」


 ファミリーレストランで、真新しい学ランを着た男子学生がテーブル越しに女子学生に向かってボヤく。


「別に達也に言う必要ないじゃん。それに……あんな身の程知らずの名門校受けて、落ちたのがバレたら黒歴史だからね」

「つーかよく受かったな、お前。面接もあるだろ。通知ミスじゃないのか」

「うちだって一応プロダクションの社長だもん。アプリ開発してるし……将来有用の可能性があるベンチャー枠もきっとあるんだよ。超勉強したしね」

「お前まじで凄かったもんな。あの茜が、朝から晩まで机にかじりついて。何をまたそんな――玉の輿でも狙ってんのか?」


 ちら、と視線をパフェにずらして言う。

 今村茜いまむら あかねと彼、早川達也はやかわ たつやは所謂幼なじみというもので、それまではほぼ毎日顔を合わせていたが、中学に進学してからは約ひと月ぶりだった。


 今村茜はその苺パフェを掬って口に頬張る。


「イヤね、これだから庶民は思考が卑しくて……。お金じゃないのよ、幸せっていうのは。美麗でハイソな男子女子の華の園を、例え掃除用人としてだって垣間みる事がどれだけ尊いか」

「掃除用人って……お前、絶対浮いてるだろ。いじめられてないか」

「うーん、まあ、やっぱり小学校みたいなノリはないけどさ、精神性が高い、ていうか。イジメにメリットはないしくだらない、みたいな。流石だわ」

「多分お前、ボッチなんだろうな……。悪い事言わないから、戻ってこいよ」

「誰がボッチだ。この間だって、超お嬢様とお友達になったんだから」

「どうせ使用人みたいな呈だろ。お前そういうの鈍いからな。痛くて見てられねぇわ」

「あんたに見てもらう必要ないし。まあとにかく、そう思うなら余り話しかけないでくれる?もうあんたと住む世界が違うのよね。見つけたし」

「はあ……? お前、本気で言ってんのか?」


 がた、と早川達也が立ち上がった。


「――ちょ、ちょっと本気になんないでよね。こんなのいつもの――」

「お前はもう『いつも』から抜けてんだよ。そうだな、もうお前の事見かけても話しかけねぇから。クラスの奴にも言っとく。精々金持ちの鞄持ちでもして喜んでろよ」


 言い捨てるとメロンソーダの代金を捨てるように置いて出て行く。


「ちょっと、達也」

 今村茜は続けて立ち上がり、しかしその背を追うのを躊躇って座り直した。 


「……そうか、あたし、裏切ったのか……」





 

早川達也と霧崎夭輔

………………………


 ――茜の奴……


 あんな庶民丸出しの奴が金持ち校で絶対うまくいく訳ないのに。

 ミーハーなのも大概にしろよな。

 どうせ数ヶ月もしない内に転校でもし直すだろ……


 部活の春大会で、自校は敗退していたが決勝戦の見学の為少し離れた場所にある競技場に来ていた。勿論そちらが理由だが、そのボンボン校が近いので泣きべそかいているに違いない幼なじみを励ましてやろうかと連絡を取ったのだった。


 ――それにしても。


 今日のサッカーリーグの決勝戦はまた修学院中等部の連覇だった。

 しかもあのでけぇ競技場、学校の所有だって言うし、大会のスポンサーはあそこの親陣らしいし……出来レースじゃねぇのか。

 帰りも選手全員、個々に車の出迎えだったし……ほんと感じ悪いぜ。

  

 早川達也が彼には珍しく鬱憤とした気持ちで駅に向かって街道を歩いていると、ドンッと壁を伝う鈍い振動音を感じた。

 せわしない通行人の中で立ち止まるのは自分だけで、気のせいかとも思ったが彼は直感していた。こういうことに自分は気がついてしまう……厄介事に巻き込まれる体質なのだ。

 辺りを伺うと、丁度建物間に狭い路地があった。迷わず彼は入って行く。


 物陰に隠れて伺う。

 数人……5人程の柄の悪い男共が姿は見えないが一人を囲んでいるようだった。

 ――カツアゲか。

 音を立てないよう注意深く携帯電話を取り出した。ガアンと、また壁を殴りつける音と、何やら滑舌の悪いがなり声が聞こえる。


「オラ、さっさと金出せよ。てめえシューガクインだろ」


 ――

 ふと手を止める。茜の……。けどあいつらは車だろ。いや、は……あいつも駅を使う為にこの通りを歩いて帰るはずだ。さっき別れたばかりで未だこの辺に――

 体が飛び出していた。



「茜!」



「――あ?」

 男達が一斉にこちらを向く。

「なんだ、こいつ……」

「まあ、見られたからには……ちょっと口止めがいるな」

 ――やばい。

 明らかに体格が違う。ていうかメリケンとか、マジの不良かよ……


「おい、そっちの押さえとけ」


 そう指示を出されて三人がこちらに歩いて来る。


 やばい、いやでも――とにかくあいつを逃さないと。

 なけなしの拳を作って、そいつらに向かって走った。倒せるとは思わないがなんとか撹乱して、その隙に――


 そこからは早送りだった。

 あくまで後から記憶を再生させてみたことで、その時の事は実感がなかった。


 先ず奥でどさ、という音が聞こえたと思うとそれに思わず振り返った三人も一様に、順番に、もぐら叩きのように続けざまに倒れて伸びた。

 最後に立っていたのは自分と、制服を来た男子生徒だった。

 変な間だった。

 伸びた男達を挟んで向き合う……静まり返った蒼い眼と。


「使ってない」

  

 男子生徒は意味不明の一言を口にして背を向けた。それから後ろに転がっている荷物と何か袋に入った棒のようなものを――肩にかける。

 後でそれが竹刀だという事が分かった。



「……まあ、言わないけど」 


 その修学院の男子生徒と肩を並べて歩きながら言う。

 確かに、やばいよなあ。正当防衛とはいえ名門校がこんな喧嘩沙汰に関わったと知れたら。しかも剣道部か……。厄介事を避けて先に退部させられるかもな。「使ってない」とはいえ。


「別に竹刀使っててもチクらないし、問題にもならないだろ。相手だって武器持ってたし」

「違う。……また武道がどうだとか言われたら煩いからな」

「よく分かんねぇけど、師匠の言葉みたいなもんか。喧嘩に武道を使うな、みたいな」

「師匠じゃねぇよ」

「まあそれより良かったな、俺たち。無傷で」


 にかりと笑って言うが、相手は表情も変えずに見返した。


「……何でお前は飛び出した?」

「ヒーローってそんなもんだろ? お前ジャンプとか読まない? 突然眠っていた力が目覚めて――」


 終始冷ややかな眼のままなので口籠る。


「成る程ね、茜がノリが違うって言ってたけど、やっぱ相当つまらなそうだな、お前の学校」

「ジャンプって何だ」

「お、興味ある? いいぜ、家に来いよ。お前、それ――血がついているし」

「――ああ、」


 彼は自分のシャツにちょっと目をやるとやや物憂げな目をした。


「お前の家で捨てていいか?」

「え?いや、いいけど……証拠隠滅ってか。まあ何かあっても運命共同体だな」

「いや、母親が面倒なんだよ。鼻血だって言っても泣き出すだろうから」

「まじかよ」思わず笑う。「箱入り息子ってのか、大変だな」


 ――確かに、茜じゃないがこういう奴らの日常を覗くのも面白そうだな。


「あ、そうだ、俺は早川達也。お前は?」






の、そんな関係

…………………

 

「こいつさあ、電車の乗り方知らなかったんだぜ。流石ボンボンだよな。――って今のナシ。悪ぃ……睨むなって」


 ばんばんと肩を叩く。後日ファミリーレストランで早川達也、今村茜がまた向き合って座っていた。が、


「――何で」


 今村茜がやや震えた声を出す。


「ん? お前が本当だからお嬢様の友達を紹介するっていうから……俺も最近知り合った友達呼ぶって言っただろ」


「じゃ、なくて何で……あんたが――」


「こいつさあ、修学院なんだぜ。お前、この間言ってた男の事とか手伝ってもらえよ。どうせお前一人なんかじゃ相手にもされないだろ」


「おい、」

 隣のが煩わしそうに目を向けた。


「なんだよ、お前俺に借りがあるんだろ。俺が三人注意を引きつけたから『使わなくて』済んだとか――」

「……」

「あ、そうだ。こいつは――」



「知ってるわぁ!」



 今村茜がばんと立ち上がり、コーヒーカップがカタカタと音を鳴らす。

 その時涼やかな声が響いた。


「遅れてごめんなさい、茜――探す手間を省いてくれて有難う。突っ立ていても案内されないみたいだから助かったわ。悪いけどちょっと奥に詰めて貰えるかしら」


「あ、葉那はなちゃん……」

「――あら、」


 日下葉那が窓脇の男子生徒にちらと目を向けたが、それ以上に注意を向ける事は無く優雅に腰を下ろす。


日下くさか……」


 しかし彼の方は驚いたように声に漏らしていた。


「お。二人、知り合い? 偶然だな、いや同じ中学だもんな」

「は、葉那ちゃん……私、知らなくて……」


 今村茜は顔を真っ赤にして俯いている。正面には『彼』が座っていた。


「私も知らなかったわ。休日は女の子を呼び出してお茶会なんて流石いいご身分ね、我が校の男子生徒さんは」

「……帰る」

「待てよ――な、頼むから。こいつ霧崎夭輔。で、こっちが今村茜で」

「アカネ……?」霧崎夭輔が呟く。

「は、はい!」

「あれ? お前らも知り合いか」

「いや……お前が飛び出してきた時――」

「ちょっお前!待った!」


 早川達也が慌てたように霧崎夭輔の口を塞ぎ、声を潜めて言う。


「それ、言うな……。別にそういう訳じゃねぇから。幼なじみで、あの日丁度会ってて……。分かった。貸し借りはこれでちゃらで……とにかく流してくれ」


「え、何なに、達也――?」

「『そういう』?」

「ふうん」


 今村茜と霧崎夭輔は首を傾げ、日下葉那は訳知り顔で微笑した。


日下葉那くさか はなよ、よろしく――。どうやら少しばかり、ややこしくて煩わしい人間関係になりそうね」




 了.

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