第3章 契約期限

第13話 一年後の関係。

「ただいま」


 スーツケースを扉脇に置いてキッチンに向かう。冷蔵庫を開けると、卵と豆腐とにらと……言っておいたものは揃っている。

 早速豆腐を取り出して包丁で線を入れた。が。


「ねぇ……危ないから離れて。刺すわよ」


 彼氏(仮)がぴっとりと後ろから抱きついていた。最近増々持って鬱陶しい。


「葉那、おかえり」


 耳元辺りの髪に顔を埋めて、多分、匂いを嗅いでいる。邪魔。


「出張どうだった?」

「別に……いつもより解放感にあふれた3日間だったわ」

「俺がいなくて寂しかった、てことか」


 わずらわしい。どうしてこんな風になってしまったのかしら。ふう、と悲しく息を吐く。


「色っぽいな……誘ってんの?」

「今すぐ離れないとスーツケースを持ってこのまま出て行くわ」

「もう片付けた」

 笑いながらも手を挙げて離れた。

「じゃあ大人しく待っているから……」

「お皿を出して」

「はい」


 霧崎夭輔きりさき ようすけと付き合い(仮)始めて約一年。


 無口で暗い面影の彼はどこにもなく、今やただの盛った雄犬同然に成り下がっている。関係は特に変わっていないと思う。それでも意外と彼は諦めず、取り立てての落ち度もなく続いてしまっている。早く別れたい。でも面倒くさそう。そんな感じ。


「葉那の湯豆腐、すげぇ旨かった」

「そう。それで、私の後ろに座るのをやめてもらえる?」


 早々に夕食を済ませてリビングで読みかけの本を開いたら、彼まで付いてきて、抱き上げて自分の膝に載せた。髪を手で梳いている。自分が少しくせっ毛だから、さらさらした髪が好きだとかなんとか。


「何でつれないんだ?」

「いつも通りでしょ」

「そうだけど。久しぶりだから少しは甘えてくれてもよくねぇ?」

「……甘えたら離れる?」

「ああ。」彼が笑顔で請け合う。

「そう」


 本に栞を挟み、振り返って彼を見上げる。甘えた声で。


「霧崎君……浮気、してない?」  


「してない」途端に彼がぎゅっと抱きしめる。首筋に何度も頬をすり寄せて。犬なのかしら。


「……早く離して」

「無理。今のは

「ちょっと……んっ」


 抱きしめたまま唇が奪われて咥内に入り込む。

 おまけに手がスカートの中に忍び入った。

(ふざけないで……!)

 そう言いたいのに口が塞がれ体も拘束されて身動きがとれない。

(もう……!)

 なんとか舌をできるだけ強く噛むと漸く力が緩んで離れる。


「……ッ」

 彼は口を抑えて顔をしかめていた。

「血、出てない?」ちろっと舌先を見せて言う。

「出てるわよ。うがいしてきたら?」

「……悪かった。そんな怒んなよ」

「怒ってないけど。凄くストレスがたまるわね」

「自分でもおかしいと思っている。葉那を見ると止まらなくなる」

「少し頭を冷やした方がいいんじゃないかしら。暫く距離を置かない?」


 ――意外とすんなり言えたわ。彼もしおれているし、うまくいくんじゃないかしら。


「それは無理だ」


 しかし彼はきっぱりとした口調で突っぱねる。


「私も無理よ、貴方がそんな調子だと。少なくとも前はもっと紳士さを心がけていたのに。忘れてない? 私との約束」


 ――あの人とは余りに掛け離れている。


「忘れてた……。分かった、反省するから少し様子を見てくれ」

「了解。改善が見られなかった場合別れます」

「……」

「シャワーでも浴びて来たら?」

「ああ……」

 明らかに肩を落として浴室に向かう。

「葉那……今夜って、」

 と言いかけてて止めた。当然ね。何を言おうとしたか想像に難くない。    

 

 彼がいなくなった後、ふう、と息を吐く。少し乱れた髪を整えた。


 別に彼の事、嫌いじゃないけど。

 乱暴なところが苦手なのよね、本人はそう思ってないだろうけど。力加減じゃなくて、気や体の流れを読めないというか――彼の剣道もその傾向があったわ。変わる見込みが薄そうね。

 打って変わってしんとした部屋。肌寒さに気づいた。

 

 ……スパでも行って来ようかしら。

 メモを残して出て行った。




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