最終話 真実の恋人。


「何、これ」


 脱がせたシャツで手首を後ろで縛る。仕返しよ、と言うと苦笑してされるがままになった。倒した彼に跨って見下ろす。


 過剰な程やつれても、特殊メイクみたいに見える。ゾンビ・ヒーローが主演の、ハリウッド映画みたいな光景。

 真次さんが日本人離れした美形なのに、その上サファイアみたいな瞳のハーフなんだから、顔だけ直視しているとゲシュタルト崩壊しそうだ。身だしなみをくらいじゃないと外を歩けないのかも知れない。

 

「――もう降りろよ」 

「そんな口が利ける身分?」

「降りて下さい」

「どうしてかしら」


 そう言いつつも、彼の変化を腰下に感じた。

 いつかの友人の戯言ざれごとを思い出す。

 ――本当にこんなことで。


「こんなんじゃ、老舗のホステスに浮わつくのも無理ないわね」


 彼がこれまで女性を遠ざけてきたのは、押し掛けられて外面ばかり消費される億劫さからだろう。わきまえのある美人に半歩後ろを歩かれたら、人並みの男性同様気分は良いに違いない。それも慣れていないだけ簡単にろうされちゃって。


「庶民じゃできないお金の使い方が分かってよかったわね?」


 嫌味たっぷりに言うと彼は少し不貞腐れる。

 

「……葉那のことだけ考えてた」

「他の女性とデートしながら?」

「ごめん」


 ――もっと、ちゃんと言い訳をして。

 傷付いた自尊心を慰めてほしいのに。

 気位ばかり高くて我儘で愚かな自分を

 選んでくれる理由を知りたいのに。 

 貴方が他の女性を抱けても、


「私は貴方じゃないとダメなのに」


 ぐっ、と両肩を掴まれる。


「俺も葉那だけだ」 


 彼は上体を起こして、手首もいつの間にやらほどいていた。


「……抱かれてない、て言ったら、信じる?」

「当然だろ。お前は俺の、武道の師匠なんだから」


 あまりに昔の事を言うので可笑しくなる。


「俺も、信じてほしい」

「……」


 応えないといけないのに

 写真の残像が頭を離れない。

 棚上げだと分かっているけれど――

 貴方は『我慢』する必要はなかったでしょう。

 もう私の為に偽らせたくない。

  

「貴方の気持ちは、信じてる。遊んだだけなら、もういいの」


 あまりに近い、瞳を見れずに俯いた。 


「……葉那に選んでもらえるようになるなら、知りたいと思った。俺を見る目が変わっていくのは分かったから。――だけど部屋のドアは、開けられなかった」


 手が頬に触れて、顔を上げられる。

 藍色の瞳が真っ直ぐに見つめていた。

 微笑なんてない、口元を引き結んだで。

 

「――いいわ。私の方が、重罪ね」 

 

「違う。俺のせいだ。俺が間違ったせいで、葉那を傷付けた」

「葉那を幸せにする為だと本気で思っていた。お前と『約束』したのに、俺は何も変われていなかったから。社交界でも葉那の隣に並べる、葉那に結婚相手として認めて貰える男になりたかった。――そうすれば、の名前を呼んでもらえると思った」

「……だけど結局、俺はなれなかった。あいつだったら間違えないのに」

 自嘲する彼の頬に手を伸ばし、撫でる。

「それが私の原罪だから、もう止めましょう。私達は間違っていたし、完璧にはなれない。ならないでほしい」


「貴方の代わりは、いないから」


『あの人』を通して、自分を見ているとお互い思っていた。

 それが真じゃないという論拠はないけれど、少なくとも今、直接互いを見つめ合っている。

 私達に未来の正誤は分からないけれど

 今、真実だと言える。



「貴方を愛してる」


 

「葉那……」

 彼は茫然としていた。暫く言葉を失ってから「夢……? どこから」

「残念だけど、どこからも夢じゃないわ。全部繋がっていることだから」


 体が宙に浮いた。

 比喩じゃなくて、持ち上げられていた。

 子供みたいに持ち上げる、子供みたいな彼が私を見上げている。 


「葉那、俺も――俺も愛してる!!!!」


 嘘みたいに屈託のない笑顔で。

  

「知っているわ。降ろして」


 爪先つまさきが着くと同時にぎゅう、と抱き締められる。クリスマス・プレゼントにでもなったみたい。


「葉那、葉那、もう一回言って。貴方って俺のこと? 本当に誰だか分かる?」


 くるくると振り回されるのを止めたくて、からがら名前を口にする。


「夭輔、」


 彼の弾けた笑顔が、だんだん移ってどうにも笑いがこぼれてくる。



「一生大事にする。結婚しよう」



 畳み掛けるのに苦笑した。準備も何もしない、呆れるほど、彼。


「良いわ」


 返事をすると次の言葉を待てないか塞ぐようにキスをする。背中に手が回り、リボンがほどかれた。 







 ***


 白く波立つシーツに包まれ硬い腕に頭を預けながら、ふとした疑問が浮かぶ。


「それにしても、何で私は貴方の家の前で寝ていたのかしら?」

「葉那が無意識に俺のところに来た可能性は?」


 ……あの時私は、何処どこに向かって歩いていたのだろう? でも、むしろ彼にだけはあんな姿を見られたくなかった筈だ。


「ないわ。第一オートロックがあるじゃない」

「何でだろうな」

 と言ったきり彼は考えるのを止めたそうにしているので、頭に過ぎったであろうことを否定する。

「真次さんじゃないと思うの。だって、貴方に会わせないと約束したし……」

「約束を、守るならな」


 でもあれ程徹底的に、と思ってから何か引っかかる。真次さんの行動原理はいつだって、利益でも義理でも、約束ですらなく


の為なら何をしてもいいと思ってる」


 それから珍しく考え深げにして

「あの時、俺はあいつになれたかも知れない」そんな事を呟いた。

「真似るうちに自分も分からなくなってきて、あいつも、あいつになる『前』が有ったのかも知れないと思った」


霧世きりよ裂くまことの影やもとに――訳の分からない『霧崎家』家訓」

  

 『クニ』と共に興ったと云われる霧崎家の脈絡。表舞台には出ず影のように、個でなく国家に連綿と仕えてきた一族。

 継ぐ者は個を消す仮面を付けないといけないならば、あれ程無垢な人を伴侶に選んだり子の自由を守り抜こうとする姿勢は、真次さんが失ったものを表すような気がして何だか胸が切なくなる。 


「真次さんにも報告しなきゃね。きっと全部、お見通しなんでしょうけど」 

「見通してたとしたら流石に幻滅するだろ。お前があんな目に遭ったのに」

「自ら助けない者をたすけない、その容赦の無さもまた蠱惑的なのよね」 

「全く」彼は深く溜息を吐く。「そうやって煽るとまた優しくできなくなるぜ?」


 押し倒して指を縫い付ける、その欲しくて堪らなさそうな瞳が好き。理性的に導かれるよりも、衝動に任せて貴方と一緒に溺れたい。

 でも

「待って」

 胸を押して身を起こし、その膝の上に座る。驚く貴方に、私はいつもして貰うばかりだった。今度は交渉なんかじゃない。ぎゅっと抱き着いて耳元に囁いた。

 ――今度は私が


「貴方へ代わりに、してあげる。」 


            

          to epilogue.






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