第40話 朝の始末。

 

 ポケットに入っていたカード・キーを扉にかざす。ピピっと緑の灯りが点滅した。


「本当に未だいるのか?」

「多分ね」

 

 本家自邸で身支度を整え、ホテルへと戻ってきた。未だ外は薄暗い。


 かちゃりとノブを回して押し入った。


 果たしてそこに男はいた。

 複数人の女性が囲んでいる。女性達は目隠しや口輪、手錠の拘束具を付けていた。隣で息を呑む音が聞こえる。


「コール・ガールよ。落ち着いて」  

 

 ガラステーブルにこれ見よがしに置かれた札束に目をやり諫めた。手で制さないと飛び出してしまいそうな形相だ。


「忘れないで霧崎君。よ」


 おぞましい光景なのに、隣に感情を露わにする人間がいると逆に冷静になる。

 男は突然の侵入にヒャッと声を裏返し仰け反っていたが、自分の姿に気が付くとニタリと笑う。背筋が粟立つ程気色悪く恐怖を覚えたその小男に、今は冷めた感情しか抱かなかった。


「ご機嫌よう。悪趣味中のところ申し訳ないけれど、ちょっとお話しできるかしら」


「やっぱり戻ってきたな。土下座して許しを乞うなら使ってや――」

 

 言い終える前に、男の頭はガラステーブルを突き破って床に押し付けられていた。


 ガシャアン


 音が後から聞こえたように感じる。

 破片が粒となって散らばる。絨毯に血の染みが滲んでいく。女性達はくもぐった悲鳴を上げて、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。


「約束、破ったわね」


 小さく溜息を吐いた。

「どうして男性はこうも乱暴なのかしら」

 男を押さえ付ける眼下の光景に今更気が付いたように、彼は手を引っ込めて素知らぬ振りをする。男は血だらけの顔を上げて、わなわなと震えた。


「僕が誰だか分かっているのか!? お前」

「分かっていないわ」代わりに答える。

「分かってるぜ」彼は否定した。


「殺すのはこいつだろ」


「なっ――……」

 男は立ち上がり、なお頭一つ高い彼を睨み上げた。そうして片側の口端だけ引き攣らせてニヤニヤする。


「餌をやらずに捨てた情夫バター犬か? 随分凶暴だな」  

 

 煽りに乗らないでよ、と視線を投げるが

 彼は既に人ではなく害虫にでも向けるような冷淡な眼差しで見下ろしていた。


「シツケは初めが肝心だろ。小賢しい令嬢も逆らえなくなるまでボコボコにすれば、責任もない婿養子で金も女も自由にし放題のうまい話だ。散財するなってウルサイ小言もなくなる。初期投資でオヤジに買わせたバカ高い指輪も、失くしたことにさせて売り払えば元を取れる」


 彼は最早見てすらいない。呆れと困惑の表情を私に向ける。


「葉那、お前……幾ら何でもこんなのと――会話は成り立つのか?」

「言わないで」 


 婚約が成立する迄外面を被っていたのだろうにしても、自分が愚か過ぎる。

 漏れ出る端々の嫌悪感すら、もう感情を持たないには丁度いいと解釈して。

 ――馬鹿だわ。

 辺りに散らばった紙幣が物語る。


「これで散財? 経営不振のようね。日下の足を引っ張るところだったわ」

「言ってやるなよ、患者優先の良い病院なんだろう。後継さえいなければ」


「お前ら……さっきから……俺を無視して、何を……!」


「そうだったわ。話しに来たんだった――婚約は破棄よ」

「はぁ!? 人形の、分際で――」

「悪いけど、もう貴方に割く時間はないの」


 きびすを返しかけて――屈んで、

 病院が潰れないよう親切に教えてあげる。


「彼は難病指定を幾つも消している病理学の天才らしいわ。貴方もたくないなら、医師免許は返上した方がいいんじゃないかしら」


 愕然とした男を置いて部屋を出た。

 廊下に控えていた黒服達に横目を向ける。


「教育をお願い。円満な、、、解決を望むわ」


 入れ替わるようにバラバラと黒服達で部屋は埋められていく。背後に悲鳴を聞きながら後にした。  


 

 *


「あれが本家の飼い犬、、、?」


 エレベーター・ホールのボタンを押しながら彼が訊く。


「私用の組よ」

「組ってなんだよ……政界は闇が深いな」

「冗談かしら。霧崎家なんて日本の闇じゃない。こちらは見えるだけ未だ明るいわ」


 下降するガラス・エレベーターから、白んでいく空が見える。


「ところでアレは、どうするんだ?」

「そうね。世の中に要るかしら?」

「要らねぇな」

「まあ私に落ち度があったし、社会的に死んでもらうくらいが後味いいわ」

「お前も一発くらい殴ればよかったのに」

「馬鹿言わないで。それじゃご褒美でしょう?」

「仰る通りです」 


 彼は生真面目な顔をして見せてから、その表情をやわらげた。


「いつもの葉那に戻って安心した」

「貴方もね」


 お互いをくすりと笑う。 

 


 ホテル玄関の車寄せで、黒塗りの車へ続けて乗り込みたそうに彼が屈んで覗く。

 

「俺もご褒美、欲しいんだけど」

「貴方は約束、破ったじゃない」

「そうか? 『日下家に処分を任せる』代わりに『接近禁止を解く』だろ? 任せてるし、近づけてる」

「少し言葉遊びが得意になったみたい」

 ふふ、と笑う。

「仕方ないわね」



 パアン と、朝の静寂を切り裂いて気味よい音が響き渡る。



「もう浮気したら、許さないんだからね?」






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