エピローグ・オア


 電話機の着信履歴がちかちかと光っている。

 深夜。自宅に帰り着き明かりも付けず壁に寄りかかって座っていた。その点滅がうるさくてボタンなんてどれでもいいから手のひらで押すと、掛け直しになってしまった。実家の番号だったのでそのままハンズフリーボタンを押す。向こうでガチャ、と繋がった。


『はい、霧崎です。どちらさま、でしょうか』


 家の電話は何故か黒電話だからな……着信相手が表示されない。

 音読をしたような、たどたどしい女の声が聞こえる。そうか、家に電話をかけた側はこういう風に聞こえるんだな。


「……俺」 


よう! 夭ですか?夭……! 旦那様、夭がおいえに電話を掛けてくださりました! もしもし?夭。お母さんです』


 はあ、と溜め息を吐く。あんたが掛けたんじゃないのかよ。そして親父もいるのか。


『夭、どうしたのですか?お元気ですか?』

「俺に電話しただろ」

『あ、はい。夭のお声が聞きたくて……お母さんから電話してはいけないと分かっているのですが、とても長く連絡がなかったので、少し、心配になってしまって』

「ああ、元気だよ。じゃあ、切るから」

『あ、待ってください、夭……怒らないでください』

「怒ってねぇよ……けどこっち深夜だから」

『お願いします、少し、少し待ってください。今旦那様にもお代わりします』


 直後に、がしゃん、という大きな音が聞こえた。

 ロゼット、と奥に声が聞こえて大丈夫かごめんなさい旦那様問答があって、かたんと静かに何か置かれる音がした。

 恐らく母親が急いで代わろうとして固定機なのに受話器を持ったまま走り、電話機が落ちて同時にこけ、それで父親が手を取って抱き起こして怪我はないか愛してるとか言ってその後で電話機をもとの位置に戻したのだろう。


ようか』


 何事も無かったかのように朗らかな声が聞こえる。本当にこの夫婦は苦手極まりない。


「切っていいか?」

『ああ、元気だ。心配ありがとう。母さんも怪我はなかったみたいだ』

「いや……」

 母親が傍で聞いているので会話している風を装っている。

「……あんた、やっぱり日本勤務になったのか?」

『ああ、お前も無理するなよ。じゃあまた』


 ぷつ、と切れた。何なんだ。完全に俺の存在は無視して、母親への演技だけをして手早に切りやがった。ツー、ツーという一方的な音に無性に腹が立って固定電話の線を抜いた。

 と、ルル、と携帯の着信音が鳴る。基本的に人に教えていないので掛けて来るのは特定される。表示も見ず急いで取った。


「葉那?」


『いいや?』 

「……何であんたが俺の携帯番号知ってるんだよ」

『息子の番号を知っているのはおかしいことか?』

「教えてないからおかしいんだよ」

『まあそれより、勤務は日本だが管轄も変わったのであまり落ち着いて家にはいないだろう』

「……」


 何で切ったか分かった。未だ母親に話していないか、言い方を換えて話したんだろう。父親は母親に重要な事を話さない。何か上辺だけで会話している気がしてならない。まあ別にそんな事に口を挟む義理はないが。


『振られたのか?』


「――はあ?」

 本当にこいつが嫌いだ。ふざけている訳ではなくて異様に洞察力が鋭い。俺からするとほとんどエスパーだ。今迄の会話のどこにそんな手がかりがあった。


『追いかければいいだろう』

「……」

『お前の事を好きなら、本当は追いかけて来てほしいと思っている筈だ』 

「あいつが好きなのは俺じゃない」


 苛立って答える。絶対に分かっている筈だ。分からない筈がない。正面から受け止めずずっと柳に風のようにして流してきたんだろう。どんなことも。


『それはお前にとって一番大事な問題なのか?』

「あいつにとって一番大事な問題なんだよ」

『それならお前が奪えばいい。彼女も彼女の問題も、全て奪えば問題ない』

「あんたの方が余程乱暴だろ……女の目はどこについているんだ」

『夭輔、愛する女の涙を見た時、既に決意は終えている筈だ。どんな犠牲を払っても、自分の真実から外れるな』


 プツリ、と切った。

 ただ無音が木霊こだまする。 





〈第 I 部 偽りの恋人 完〉

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