第20話 ラスト・デート
「……恋人ごっこにぴったりね」
開けたテーマパークを見渡して、葉那はふふ、と笑う。
いつか行きたいと言っていた。半分は話をはぐらかす為の咄嗟の嘘だったかもしれないが、彼女は読めない振りをするだけで、そこには本当が織り交じっている。
それでも今迄誘えなかったのは、その半分が「好きな人と」だと分かっていたからだ。断れない形で誘い出してしまったことを後めたく思いながら、僅かながら期待をしている自分もいる。最後だと言う彼女の本当と嘘を確かめたい。
いつもより嵩張る鞄の重さに妙に緊張しながら、かしこまって挨拶を述べた。
「付き合ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
彼女の受け答えは紅茶を淹れてくれた時と変わらない。
する、と指を絡めると拒まれる事はなくそのまま手を繋ぎ合う。彼女の肩から下がるのはいつもと変わらないポーチサイズだが、ただ真っ白なワンピースを着ていた。普段の服装の色使いでは珍しい。
「葉那、乗りたいものあるか?」
「特にないわ……面白いからぶらぶら歩かない?」
「俺もそう思ってた」
「何で来たか分からないわね」
「
「忘れたって変わらないけどね」
アニメーションから飛び出たようなデザインの建物や着ぐるみのキャラクターが大げさな身振り手振りをして、道行く人たちは皆心から楽しんでいるようだ。
「ちょっと私たちって場違いね。あそこに入らない?」
葉那が示したのは海賊をテーマとした「海上」レストランで、薄暗くてやや不気味な空間の中に対照的に華やかなテーブルセットやランプが
「中々雰囲気あるじゃない?」
彼女が微笑むなら何でもいい。
子供向けではない、本格レストランさながらの料理でアルコールの提供もある。
「こういう場所もあるんだな」
「若いカップル向けかしら。色々企業戦略があるのね」
コース形式の料理は次々と運ばれて、取り留めない事を話していただけでもうデザートになる。徐々に他のテーブルも埋まって混み出した。すぐに出ることになるだろう。時計を見れば思った以上に針は文字盤を進めている。どんどん彼女との時間がなくなっていく。
それから当てもなく歩いて、比較的待ち時間のないアトラクションを試した。乗っている時間は僅かだがその間は非日常的で、現実の時は止まりそして降りると同時に動き出すようだった。
水底を移動している設定。宇宙人まで出て来るので彼女が可笑しそうに笑っていた。遺跡探検を模したアドベンチャー。小さな頃見た映画だと言って、懐かしがっていた。シリーズが好きで幼い頃は考古学者を夢見たりもしたそうだ。自分も忘れていたが観た記憶はあり、同じようになんだかすごく好きだったような気になった。
殆どはただパークの中を見歩くばかりだった。チュロスを買って食べると、こういう風に歩きながら食べるのは初めてと言った。本当に箱入り娘なんだな。
結婚やそれを前提とした付き合いとなると取り付く島もないのはもしかして家の事情もあるのかもしれない。自分を本家の長女だと意識していて、現職に就いている事すら人生で初めての
――大学の研究職だなんてやっぱり遊んでいると思われるんだろうな。
俺は家を継げるような器の人間じゃないし、葉那もそう思っているだろう。父親も随分早い内にそう判断したのだろう、進路に関して口出す事なく放任していた。
「霧崎君?」
化粧室から戻って来た葉那が顔を覗き込んだ。
「大丈夫? 何か具合が悪そうだけど……日も暮れて来たし帰りましょう」
「まだ」と思わず手を握った。「遅くならないうちに帰すから、」
「私は構わないけれど」
通りに明るい光を漏らす大きな店があって、ストラップやキーホルダー、小物が並んでいるのが見えた。葉那の横顔をちらりと見る。特に興味は無さそうだった。が、俺が少し立ち止まったせいか「見ていく?」と笑顔を作る。さっきから気を使わせている気がする。でもどうしても出口に向かって歩くことができず、昼のように浮き足立ってもいられない。
葉那が一つのキーホルダーに目を留めていた。小さな透明色の靴が本物のガラスで細工されている。奇麗で繊細な感じがした。
「葉那に似合っている」
「
「貴方も……これなんか、お母様にどうかしら」
示された指先ではキャラクターのチェシャ猫がふわふわとした飾りになってぶら下がっていた。多分こんなのをやったら跳ねて喜んでずっとその話ばかり
「お前、俺の母親嫌いだろ」
「あら、そうだったわね」
葉那は読めない微笑をして手を戻す。
隣のカップルは何か楽しそうに選んでいて、棚にはペアのマグカップが幾多も置いてあった。並べてあるのも、離れてもつがいに使うのも
葉那はそれ以上土産に興味を示さず手持ち無沙汰そうだったので、結局何も買わずにそこを後にした。
「花火が上がるらしい」
「閉園間際よね。帰るには遅くないかしら」
「ホテルを取ろうか」
「いえ、いいわ」
きっぱりと言う。葉那はそういう、引き延ばしのような事は好まない。自分でも未練たらしいのが恥ずかしくなった。
「そういえば、」
葉那がくす、と何か思い出したように笑う。
「高校の頃学院で……遊園地を貸し切った時、花火が通常より早く揚がったわよね。あれ、理事長が婚約者とのディナーに合わせたらしいわよ。そもそも唐突なあのイベント自体彼女の為らしいし」
「そうか……」
多分父親も、似た様な事をするだろう。自分にはそういう発想すらない。最後のデートだと言っておきながら何も特別な準備をせずに来てしまった。
「あら? 身の丈に合わない落ち込みは可笑しいわよ、霧崎君。誰も貴方にそんな期待はしないから大丈夫」
彼女は悪気たっぷりに追撃した。
園の中心に
「葉那」
ゆっくりと唇を合わせる。
最後だなんてまるで現実味が無いのは受け入れることを拒否しているからだろうか。同じ家に帰って同じベッドで目が覚める、連綿と続いて来た日常がぷつりと
あの日もし衝動のまま唇を重ねたりしなければこの関係も別れも無かったものだ。今も自分の行動次第で何か変わるだろうか。それともどう足掻こうと始めから決められた、
ぐ、と肩を掴む手に力が入ってしまったのを、乱暴だったと言う言葉を思い出して緩め背中に回す。
「帰したくない」
腕の中に呟いた。反応はない。
「葉那、好きだ」
「……」
沈黙を続ける彼女の表情が見える分だけ離す。
「葉那は? 葉那の気持ちを聞きたい」
「私は……」重たげに口を開く。初めは小さく
「――嫌いじゃないわ。でもやっぱり遊びなの。ごめんなさい」
「……分かった」
分かっていた答えだった。鞄から手のひらに収まるケースを取り出して開く。
「今日迄付き合ってくれたお礼に……葉那に似合うと思う」
彼女は微動だにせずそこに収まるダイヤモンドリングをじっと見詰めていた。
「――婚約指輪でしょ?これ……受け取れないわ」
「こっちは捨てるから。ただのプレゼントとして」
もう一つ差し込まれていたペアの指輪を井戸に放る。ぴちゃんと一瞬だけ水面を揺らす音が聞こえた。柔らかな手を取り薬指を避けて差し入れる。
「受け取ってほしい」
「……」
暫し手を見つめている。透明な結晶が薄闇の中僅かな光を捉え、幾度も反射し煌めく。白く細い指を際立たせてとても美しく見えた。ケースの中にある時は無機質でしかなかったのに、今はまるでようやく持ち主に出会い命を持ったかのように輝いている。
そんな彼女は何も言わずに井戸の傍に立つと手を差し出してするりと指輪を抜いた。ぴちゃん、とどこか遠くで音がした。
「さようなら」
どこかで振り返ってくれるかもしれないと、暗闇に染まっていく白いワンピースを最後までずっと見つめていた。
これが俺と彼女との、恋人契約の終わりだった。
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