第18話 ハングリー・ドッグ。


「後は?どこ触ってほしーの?」


 ソファの上、膝の間に座って相変わらず頭を撫でられながら心地よい響きの声を聞く。いつもなら避けるもったりと甘いホイップクリームを無性に頬張りたくなるような、なんだか地に足の付かないふわふわとした心地だ。

 

「ん……あし」


 手が太腿ふとももに触れて優しく撫でた。


「何かそういう店みたいだな」

「行った事あるの?」

「想像」


 わざわざなんて例えるのなら案外こういう触れ合いに慣れている訳ではないのかもしれない――なんて、漏れてしまう笑みは何だろう。

 

「私はあるわ……銀座のクラブだけど」

「何の修行?」

「何で行ったのかしらね……ああ、何か父の友人の病院長が表彰されたとかのお祝いで、貸し切って……小学校を上がっていたかしら」


 置物のように大人しく愛想笑いをしていれば、良い子だ流石だと世辞を受けたものだ。尤もそれは父に対してで――誰も自分を見ている訳ではない事は子供ながらに分かっていたけど。


「へえ。葉那がいたら繁盛しそうだな」


 呑気な声に引き戻される。

 ちょっとズレた返答に苦笑して、肩を竦めた。


「上辺の会話をこなすだけなら貴方よりマシかもね。でもああいうドレスは苦手」

「酒弱いしな」

「飲んでもらうから平気よ」

「あれってどういう仕組み? 指名制とかあるんだろ」

「あら、興味があるなら父から紹介してあげるわよ」

「いや俺は想像で。葉那しか指名したくないから」


 この人も人並みにそういう妄想をすることがあるのかと思うと可笑おかしい。


「私も詳しくはないから……一緒に行ってみてもいいかもね」


 どう見ても場にそぐわなそうな彼を観察していれば上辺で笑う必要もなさそうだ。


「銀座に? 日本に帰っても付き合ってくれるってこと?」


 すかさず問い詰めてくるので苦笑した。つい乗せられてしまったようだ。


「ああ、無理だったわね……」

「後一押しだよなあ」

「何が?」

「独り言」


 彼は軽い溜息ためいきを吐いて、でも相変わらず優し気な手付きで体の線をなぞっていった。不思議なことにそこから――変な雰囲気になることは全く無く、ただただ自分の輪郭が人肌の温かさで実感できるのが心地よかった。


「ねぇ、そこくすぐったいわ霧崎君……」


 腰のくびれから脇までをなぞられる。


「でも気持ちいい?」

「さあ……」

「ところで葉那……これは分かってやってる?」


 プリーツスカートを少しめくられる。太腿ふともも迄のストッキングをガーターベルトで留めていた。


「スカートも短いし。日本領事館風紀乱れ過ぎだろ」

「ご心配には及ばないわ、着替えたのよ」

「へえ……何で」

「帰ったら部屋着になるでしょ」

「素直に俺を誘惑したかった・て言えばいいのに」 


 腿の内側を撫でられるので、反射的に脚をぎゅっと閉じた。


「葉那の脚に挟まってる……鼻血出そう」

「伝線しにくくて実用的なの。変な目で見るのがいけないわ」

「俺が変なのか……?」

「そうよ」

「そうかも」


 言うなり急に立ち上がって、それからひざまずいた。


「脚を舐めさせてください」


「随分唐突な性癖の曝露ね……恥っていう日本の文化、思い出せる?」

「変なプライドで自分の気持ちを騙そうとするのは馬鹿馬鹿しいと思って。人の振り見て我が振り直せ、ていう日本のことわざ」

「人って私じゃないでしょうね」

「お前以外に誰が」と片足を持ち上げる。

「きゃっ」


 スカートがめくれるのを抑えた。


「いいって言ってないんだけど?」


 声を尖らせてもお構いなしに留金を外し、片方のストッキングに手を掛けるとするりと引き抜く。慣れているのかいないのか、一体ちぐはぐな彼のこの躊躇いの無さは何なのか未だに分からない。


「確かに実用的かも」と勝手に納得しながら、足の甲に口付けると本当に舌を這わせた。

「ッ……!」


 ぞくぞくと這い上がる――これはそう、悪寒おかんが。  

 くるぶし脹脛ふくらはぎひざ……

 なぞり上がっていき、そしてすねのある部分を丹念に舐め始めた。糸のように細い薄らとした縫い目。自分すら忘れていたが、事件の痕だった。微妙な気持ちで眺める。


 何だか既視感がある……

 やけに頻繁に変えていた包帯は、まさか性癖だったんじゃないでしょうね。それとも事件的なショック性と庇護欲、性的対象が複雑に絡んであの時に形成されたんじゃ……。


 犯罪心理学の講義を思い出しながらそんな事を思い馳せる。しかし獣が傷を癒そうとするような真剣さについ母性がくすぐられる。その黒い毛並みを撫でた。


「霧崎君って、犬みたいね」

「葉那は猫みたいだけど」


 彼は脚に口付けて膝裏を持ち上げた。その力のままにバレエをたしなんだ脚は抵抗なく押し上げられて真上に伸びる。


「――柔らかくて」


 悪戯いたずらに笑って見上げる、彼を睨み付けた。


「躾が必要ね」

「葉那は躾けられる方が好みだろ」


 怯みもせず生意気に含んだ笑みで答えるので、なるべく冷たい声で突き放す。


「勝手な解釈やめてくれる?」

「あいつの前だとそんな感じだけど」

「――真次さんくらい格上の男性だったらね」

「彼氏の前でそんなこという?」

「気に障ったなら謝るわ、の彼氏さん」


 そこでようやくしょげて、笑みは消えた。


「別れない流れじゃなかったか?」

「流されないわ。……でも、私も貴方の馬鹿を真似て少し恥知らずになってみようかしら」


 立ち上がって彼の手を取った。


「もっと貴方に触れられたい」



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