第17話 カウント・アップ。
翌日。
特になんてことはなく朝食をとって仕事へ行き、夜帰って来た頃には忘れていた。彼は居らず夕食の準備をする。先にいないのは珍しい。
「ただいま」
「お帰りなさい」
思い出したのは彼が帰って来た時。
いつもなら帰るたびにお帰りのキスだとか言ってべたべたと触って来ようとするのに、今日は至って普通だった。普通に近づく事も避ける事もなく、一緒に夕食をとって適当に話をする。
――何だ、できるじゃない。いつもそうしていればいいのに。
いつものように警戒しなくて済み気持ちが安らいだ。今日はゆっくり本が読めそうだ。
皿を洗い終えると彼がリビングで新聞を広げている。黒い髪で、黒い瞳。きちんと身なりも整っている。
――そうしていれば普通に格好いいのに……
ハーブティーを二つ淹れて、持っていってあげた。はい、と置くと目線だけ上げてありがとう、と微笑む。でもすぐに目を新聞に戻した。
……やだ。霧崎君なのに……
でもこれ、完全に彼の意図に反しているわね。私はこっちの付き合い方の方が断然いいのに、何が身体が寂しくなるだろう、よ。思い違いも
シャワーを浴びて、ベットに潜り込む。
なんだか今日は気持ちがいい……
彼が同じくベットに入って来ても、触られないし。
安心して眠りに付ける。
ちゃんと続くといいんだけど……
三日目。になると違和感を感じるようになった。
同棲していて少しも触れないって、おかしくないかしら。別に触れてほしい訳じゃなくて、何か不自然というか……。でも家族と生活していても触れ合うなんて事今迄無かったし、別に普通ね。今迄が異常だっただけで。
夜。
彼の寝息が聞こえる。あちら側を向いている。……ちゃんとパジャマも着ているし。時計のデジタル盤を何度かちらちら確認する。
何か寝付けない……
四日目。
大通りで抱き枕が目につく。でもこんなの買ったらこれ見よがしに笑われるから絶対買わない。
彼は相変わらず朗らかで、普通だった。
私は髪をかきあげるのが多くなった気がする。なんだか髪が気になる。いつも髪によく触れてきた……。さらさらだとか言って。そうかしら。何度か
五日目。
物を手渡した時に指先が触れて、思わずパッと離していた。なんだがどきどきする。指先から熱が伝線して身体が急に熱くなった。
夜。あちらを向いた彼の髪の毛……くせっ毛の強い髪。ちゃんと乾かして寝ているのかしら。手を伸ばしかけて引っ込めた。
六日目。
やっぱり抱き枕を購入した。こんなくだらない事で買いたいものを我慢するっておかしいもの。前から気になっていた……と思うし。家に帰って彼がいないのを確認すると、ぎゅう、と抱きしめてみる。柔らかくてふかふかしていた。肌触りも心地いい。中々悪くないわね……。
からかわれたら嫌なのでクローゼットに隠す。
明日は休日。こんなのいつまでも続けられる訳ない。勿論彼が。
七日目。
休みの日。彼には買い物に行ってもらって、抱き枕を取り出して抱きしめていた。顔を押し付けていると安心する。親が余り家にいない子どもにいいんじゃないかしら。というか女性が抱き枕を持っていたって普通なんだし、隠す意味もないわね。と、脇に抱えながら紅茶を飲んで読書する。
帰って来た彼もカピバラの抱き枕に関心を示したので抱かせてあげた。
その後で独り占めして抱きつく。
八日目。
ちょっと肌が出るネグリジェに寝巻きを変えてみる。何かこっちも仕掛けてやらないと一方的な気がするもの。だけど彼は特に反応なし。
お互いに背を向けて眠る。
なんだか身体が空寂しい。
髪や首に脚。毎晩のように触れられた感触を思い出してしまって、両手をぎゅっと握り合わせて身を縮めた。
九日目。
気づくと彼をちらちら見ている。隣に座ると手を伸ばしたくなるのでできるだけ離れていた。髪を何度か整えた。香水を付け直す。
夜、何度か寝返りを打つ。今日も肌を見せた格好で寝ているのに何も手を出して来ない。彼の髪の毛。彼の背中。寝ているなら少しだけ触ってみてもばれないと思って手を伸ばす。彼が私に触れないのであって私が触れていけないルールじゃない筈。……でもぐっと我慢した。触る意味もないし。
代わりに抱き枕をぎゅっと抱いて眠った。
十日目。
彼の手元を目で追ってしまう。
どんな感じだったかしら……。髪に触れる手付き、腰に回る手の大きさ、肌に触れた手の温度……。彼の手って男らしく骨張っていて、何だかセクシーだわ。
遺伝のおかげで整っているのは顔だけじゃなくて、首筋とか、肩のラインとか、腰回りとか……全部、造形はタイプなのよね。
隣に彼が寝ている。なんだか身体がむずむずして眠れない。これじゃまるで思うツボじゃない。身体が忘れられないなんて、そんな事ってあり得るかしら。
意識しなければこんなことなかった筈。
一度触れればこのもどかしさも解消されるだろう。
十一日目。
珍しい、背広姿の彼の背中にぎゅっと抱きついた。やっぱり丁度いい。
彼が驚いたように振り向いて、それから柔らかく目尻を下げた。
「十日か……結構持ったな」
「何よ……私が触っちゃいけないって取り決めはないでしょ」
「そうか? じゃあ褒めてやらなくてもいいな」
「こんなの、くだらないわ……」
「頭撫でてほしい?」
「……好きにすれば?」
「じゃあ続行だな」歩いて行こうとする。ぎゅっと止めた。
「待って………てよ」
「何か言ったか?」
「……なでてよ」
「よくできました」
彼が笑って、頭に手を置いた。
その瞬間にふわりと全身が何かに包まれたような安心感が広がった。
背が高い。そう言えば彼、私より随分背が高い……。身体もしっかりしているし。抱き付くのに丁度いい背中や胸板……こんなに大人びた男性だったかしら。
広い手に頭が撫でられるのを目を閉じながら感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます